いとうあきら イベントの企画・運営・演出を本業とするも、無類の食べ歩き好きが高じて“食べ手”の視点で店や料理を紹介。過去の書き手になかった大人の切り口で飲食への愛情を示した。著書に『東京百年レストラン(T〜V)』。

2015年10月01日

(86)麻布十番「赤星とくまがい」

ニューヨークから凱旋帰国したふたりが奏でる

日本酒と料理が出会う「今」の形

そろそろキノコが出始めるという素敵な季節に、スペインのミシュランガイド三つ星店を4軒回ってきた。
とある店のメニューに「UMAMI」とあったのでその意味を問うと、人間の舌が持つ4種の味覚、酸味、甘味、苦味、塩味のそれぞれから総合的に感じられる味覚と店側は説明した。ぼくの記憶では、20世紀初頭に日本人が発見したグルタミン酸が、うま味という五番目の味覚と理解していたが、どうやら異なる説のようだ。試してみたその料理を大雑把に表現すれば、それぞれの4種の味覚が感じられる食材が皿に並べられ、別添えされたトロロ昆布をそれに絡めて食べるという趣向だった。うま味が何かはご承知のようである。
また別の店では、どう考えてもシメサバとしか思えない切り身の上に大量にゴマがふってあって、ゴマサバかと突っ込みたくなった。パリで立ち寄ったネオビストロのメニューにも、ゴマ塩の文字があった。その店のメインデッシュのソースには豆豉が使われていた。

和食とは、もうすでに箸を使って食べる場合の料理でしかないのかもしれない。
といつつも、先日テレビの食レポを見ていたら、おバカタレントと称される十代後半の女性が、箸で食べるのが苦手なのてフォーク使いまーすと言って、和食をフォークで食べていた。

そんな世の中だから、ニューヨークで長く日本酒バルをやっていた方が日本に戻って、ニューヨークさながらの店を出すという流れも、ごく普通の出来事なのだろう。今回紹介する「赤星とくまがい」は、まさにそんな空間である。

赤星とくまがい、つまり赤星さんとくまがいさんとで始めた店ということだ。赤星さんが清酒のソムリエで、くまがいさんは料理人。ともにニューヨークで修業というよりは、お互い第一線で、しかもかなり長期間働いていたそうだ。
シェフ・ソムリエそれぞれの名前を店名にして、もし喧嘩別れしたらどーするんだろうと友人は言ったが、それを払拭するような暖かくて優しく包み込むような人柄が、赤星さんの第一印象だった。

麻布十番の真新しい飲食ビル最上階にある「赤星とくまがい」は、皿数によって分けられているいくつかのコース料理と、それに合う清酒をペアリングで提供するというのが基本スタイル。内装は基本的に洋風だが、壁一面に清酒蔵のラベルデザインが何種類も貼り出されるという異次元。つまり洋風のカウンター席に座り顔を上げると、まるで清酒居酒屋さながらのラベルの漢字やひらがなが圧倒的な迫力で目を奪う。清酒居酒屋では気づかなかったが、清酒のラベル文字にここまでの美しさやデザイン性が秘められていたのかと驚く。まさに逆輸入といった表現がふさわしいが、そこに違和感は存在しない。

料理も、まったく何料理なのか判断がつかない。というか、そんな無粋な考えは「赤星とくまがい」を楽しむなかで、すでに捨てている。くまがいシェフはニューヨークのイタリア料理店にいたそうだが、それを感じさせるヒントは、いい意味で見つけられなかった。イタリアンのシェフという前に日本人なのである。

ここは日本で清酒の国。赤星さんから、なぜこの料理にこの酒を合わせたのか、なぜこの温度にしたのか、そしてなぜこのグラスを選んだのかなど、熱意のこもった丁寧な説明に納得しつつ杯を合わせると、料理の一つ一つと清酒との国際結婚は理想的な形で成立する。さらに、微妙な温度管理から様々な形のグラスまでを吟味して提供する姿は、ソムリエという言葉で片付けたくはない、日本国の酒を極限まで見極める伝道師とでも言いたいイメージだった。

冒頭にも書いたが、料理や酒に国別地域別みたいな仕分けはすでにない、いちいち考えること、いや、問題意識を持つこと自体もナンセンスだと思う。
純粋に、日本の英知・世界の英知をぼくたちの五つの味覚で感じとり、感動や未体験や、時折違和感も交えた世界について席を隣り合わせた同士で語り合う、それがあたりまえに楽しめる時代になってきたことを、「赤星とくまがい」がさりげなく教えてくれた。

さて、壁一面の清酒のラベルデザインをみながら、ふと不安になった。
すかさずぼくは質問する。
「この壁に貼られた蔵は、時々入れ替わるんですか」
すると赤星さんは少し困りながら、本当はそうしたいんですが、実はこの壁面を製作するのに大変なお金がかかるんですよ……と照れた。

「赤星とくまがい」
●東京都港区麻布十番3-3-9 COMS AZABUJYUBAN 7F
●03-6459-4589
●18:00〜翌4:00(LO翌3:00)
●日休
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2015年09月01日

(85)代々木上原「ル・デパール」

グルメエリアとなる遥か以前から

町を静かに見つめてきたワインビストロ

2015年の今、代々木上原のレストランといえば山手線内の一等地とほぼ同じ立地感覚である。例えば、恵比寿の飲食店が飽和状態になり地代が高止まりすぎて、中目黒へと移行していったように、代々木上原も渋谷から同心円上に大人の店が逃げていくなかで、その大いなるピンポイントとしてのポジションを確保したような気がする。地元のメンバーで集う止まり木から、優れた飲食店を求めて都内一円から人が集うグルメエリアとして。
それは、あらかじめ山手線外という認識で成熟し大衆化した下北沢や三軒茶屋と異なり、静かで便利な住宅街からトレンディなレストランスポットに変化しつつあると表現しても過言ではなかろう。

そんな代々木上原にて、平成元年にオープン。その後27年間ずっとこの町の変遷を見て感じて、確かな存在感を放ち続けてきたレストランがある。「ル・デパール」という。こちらに訪問の機会を得た際、自分では初だと思い込んでいたが、ふと店の前に立つと見覚えがあった。もちろん既視感ではない。1990年代、ぼくは代々木上原から徒歩圏に住んでいたので、この店に何度か訪れたことを思い出していた。

店は贅沢なほど駅前だ。でも、27年前だからこそこんな好立地に店を構えることができたわけで、今は相当難しいのではないかとそんな想像をする。入口の佇まいからバブルの香りが漂ってくる。というか、すでにバブルを知らない世代の方がマジョリティだろうから、そんなぼくの独白も誰も気に留めないに違いないが。

店内は、クラシックでもなくモダンでもない、でも、ああこんな店に通ったなあと自分がぐいぐい若返ってくるような、少し落ち着かない、素敵なのになんだか照れくさい、そんな感覚。そして、十数年を経てこの店にまた来ることができた喜びが、じわじわと腹の底から込み上がってくる。

バブルの名残がまだ感じられた時代、「ル・デパール」には、まずは少々遠方からの客、そして戻ってきた地元民、深夜に集う同業者と、深夜2時まで三回転したと店主は語る。当時は人も雇っていたようだが、今はマスター一人。酒も料理も筋金入りである。

今も昔も、ここをワインバーと称するのだろう。というより、ワインバーとしての走りかもしれない。ただ客の全員が一斉にぐるぐるとグラスをスワリングしていた、まるで新興宗教のような一時の片鱗はなく、今はビストロ料理を出す硬派なバーとすると上手に収まる。メニューの感じも、長年の経験で歩留まりのいいいように工夫された苦労が見えるし、一皿ごとにボリュームがあって、付け合せもこれでもかという具合。仕上げに胡椒をガリガリと多用してくるところも、リヨンのブションを想起させる。オープン当初からそうだったのか、いや店内に2000年代半ばのミシュランが置いてあったので、そのころからの流れなのか。時代の変遷を越えて長く続く飲食店を追いかけているぼくは、「ル・デパール」の変化を勝手に想像することで、よりこの空間を楽しんでいた。

カウンターやバックバーには、ワイン以外のお酒をたくさん置いてあるので、当然あらゆるアルコール類を楽しむことができるのだが、カウンターに置かれたボトルをみると、アプサンやパスティスばかり。普通のオーセンティグなバーならスコッチやジンが置かれている、まさにその場所から強烈なフランスのエスプリを感じて思わず店主の顔を仰いだ。あまりにもさりげなくてカッコいいこだわりだ。

先月、仕事でハワイに半月ほど滞在した際、ホノルルで19年続いているという「カフェ・ミロ」なるフラスン料理店を訪れた。実に10年以上ぶりかもしれない。客の大半がひけた後、この店の日本人シェフとお話しをする機会を得たが、彼はその間ずっと、パスティスを手放さずに飲んでいた。ハワイというフランスの対極のような場所にいながらも、フランスのスピリットを楽しんでいる、というか決して忘れないよう心のどこかに置いておく凄さ。
「ル・デパール」のカウンターを見て、その時のことを思い出した。

「ル・デパール」
●東京都渋谷区上原1-36-15
●03-3468-6228
●19:00〜翌2:00
●日休
http://loveledepart.tumblr.com/
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2015年08月01日

今月はおやすみいたします

いつも新・大人の食べ歩きをお読みいただきありがとうございます。

今月は伊藤章良さんの海外出張と夏休みが重なったためおやすみさせていただきます。
申し訳ありません。

次回は9月1日アップでよろしくお願いいたします。
posted by 伊藤章良 at 10:39| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月01日

(84)大阪「87(オッタンタ・セッテ)」

フランチャコルタで喉の渇きを癒したい。

在伊13年半の小さなイタリア料理店

「87」Ottanta Sette(オッタンタ・セッテ)というイタリア料理店が大阪にある。夫妻で切り盛りするとても小さな店だ。ご夫妻は、イタリア本国にてオステリアを営んでいたにもかかわらず、日本に、大阪に戻って新たにレストランを開き、合わせて心酔するイタリア産スパークリングワイン「フランチャコルタ」の日本での拡販に尽力する、そんな面々なのだ。

「オッタンタ・セッテ」とは不思議な店名だと思う。店の回りに87に関係している地名や番地などは皆無である。マダムにその理由聴くと明快でおもしろい答えが返ってきた。

以前イタリアで店をされているとき、夕暮れになると「オータンタ・セーテ オータンタ・セーテ」とつぶやきながら馴染みの客が入ってくる。オータンタ・セーテとは、Ho Tanta Sete = I am very thirsty(あー、ノドが渇いた) という意味だ。

ご夫妻は「オータンタ・セーテ」って87(オッタンタ・セッテ)と発音が似てるよねとその当時から話していたそうだ。そして日本に戻り大阪で店を開く際、当時のなじみ客の合言葉「オータンタ・セーテ」に似た「オッタンタ・セッテ」という店名にしたというのである。
先日、アブルッツォ出身のイタリア人マッシモにそのことを話したら、日本人とは思えないすばらしい言葉のセンスだ! と、感心していた。

イタリアを、そしてフランチャコルタを愛する二人が、日本で初めてのフランチャコルタ専門イタリア料理店を、大阪はキタの外れにオープンしたのが昨年(2014年)のこと。大阪はぼくが生まれ育った土地だし、キタには母が住むので、「87」の界隈にもそれなりに土地勘があると思っていた。父が写経に通い、没後の葬儀に来ていただいた院主の菩提寺も近い。ただ、自分が暮らしていた30年前に、当時の条例で風俗関係は一掃されたはずだったが、それらが業態を変えつつ存在し続けているようで、街並みは一変していた。加えて、大阪経済の凋落とともに町全体が枯れつつあり、自分の生まれ故郷なのに、東南アジアの片隅にでもいるような不思議な空気がモワっと流れているのを感じた。

そんなわけで、風を切ってとはいかずあちこち迷いながら「87」に向かう。
以前は焼鳥屋だったという店内。カウンター5席とテーブル2卓。そんな小さな空間を二人の熱すぎる情熱で、歩いていけるイタリアへと変化させた。店全体にイタリアの色、イタリアの空気、イタリアの香り、そしてイタリアの味が、折り重なるように存在している。

決して厨房の環境が万全とは見受けられないが、前菜・パスタ・メインとそれぞれに魅力的なアイテムがメニューに並ぶ。
まずはおつまみとして置かれていた「猫の舌」と呼ばれるスナックを一口。
おや、とても優しい味だ。ググッとワインをかき込みたくなる塩辛さはない。続いて、トリッパやパスタもトライするが、同様に深みのあるおだやかなテイスト。ただ、その控えめな塩がシャンパーニュ方式(瓶内2次発酵)のスパークリングワイン「フランチャコルタ」の味わいを邪魔せず、逆に改めて魅力に気づかせるバランスのようにも感じる。

某イタリアンのように、酒を多く売りたいがために強調する塩辛さも、店を経営していくためには必須なのかなあとも思う。確実にその方が客の酒も進むだろう。しかし「87」では、フランチャコルタの魅力を感じてもらえるレベルの塩加減に徹しているようだ。つまり、あくまで主体は「フランチャコルタ」なんだよと、そこに深い愛情と決意を見出す。

シェフはイタリアに13年半もいたそうだ。しかも後半の2年は修業ではなくレストランを営んでいた。そんなに長くイタリアに留まっていた料理人は、東京にも存在するだろうか。自分の記憶には上がらない。
そんなシェフに、「87」の料理の塩加減ってイタリアと比べてどうなんですかと聞いてみた。すると彼はボクトツに「いや、おんなじですよ。別に違うことはしていません」と答えた。

シェフが修業をし、その後独立してマダムと営んだ店は、フランチャコルタ生産地域の街イゼオだったと聞く。イタリアにいた時点ですでに、彼の料理は、のどが渇いてフランチャコルタが飲みたいと切望する人に向けて作られていたのだろうと解釈した。

「オッタンタ・セッテ」、東京にはまず存在しえないレストランだろう。
泡好き、イタリア料理好き、そしてイタリア好きなら、大阪はさほど遠くない。

「オッタンタ・セッテ」
●大阪府大阪市北区曾根崎1丁目6−23
●06-6360-9508
●18:00〜25:00
●日祝休
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2015年06月01日

(83)渋谷「くろ崎」

メンドウクサイ薀蓄はさておいて

店主の人柄からまずは味わいたい

久しぶりに鮨店を取り上げてみたい。

さまざまな食ジャンルのなかでも、もっとも好きなのは鮨と公言しているだけに、新規オープンの店にはそれなりに足を運び研鑽を積むようにしているが、ここ最近、どうもコレという店に出会わない。自分の感覚がなまっているのかなあと内省するも、それ以外のジャンルでは何軒も特筆したいレストランと出会っていることを鑑みると、鮨の分野、とくに東京では出色の登場があまりないのかもしれない。

私見だが、鮨は、メシの上にのっている魚の質や施された仕事を取り上げる場合が多いが、適度な硬さや弾力を持つ冷たいタネと、基本軟らかく温かい酢飯の瞬間的な結合が最重要だと思う。それをどのように創りあげるのか、という点が、すべて職人の力量にかかっている。つまり、硬さも温度も違う両者がヒトの口の中で咀嚼され、ほとんど同時に消えていくことが理想だ。タネか酢飯のいずれかだけが最後まで残るなら、完成度はまだまだといわざるをえない。

しかしまあ、こんなメンドクサイとことばかり考えていたから結局楽しめなかったんじゃないのかと、痛感させられる店と出会った。

渋谷の「くろ崎」である。

渋谷、としながらも、場所はかなり渋いロケーションだ。宮益坂を上がって左折。飲食店の灯りが途切れかけたエリアにポッツリとある。注意しないとたいていやりすごすだろう。エントランスからカウンターに至るまでもゆとりがあって、入店即つけ場という慌ただしさがない。カウンターの奥からも人声が聞こえてきたので、個室もしつらえているようだ。個人的には鮨屋に個室は不要かと思うが。
店主の話では、とにかく目立たないところに店を構えたかったという。本来ならなかなか飲食店での許可はおりない場所だそうだが、ほとんど熱をつかわない鮨屋という形態ゆえオッケーがでたという。
客はさすがに渋谷だろうか、短パンにTシャツ、ビーサンという輩もいたが、決してチャライタイプではないところが、この界隈の典型的な成功者なのだろう。もちろん一心不乱に写真を撮っている類の鮨フリークの姿はなく、ただそれだけでも快適極まりない。

店主はすこぶる爽やかなオトコだ。予約の時間に入店すると先客がいて少々待たされたが、それに対するお詫びも軽やかでよどみなく、瞬時にそんな店の不手際など忘れてしまいそうなほどだ。
ツマミばかりを先に出すとおなかがいっぱいになってにぎりを味わっていただけないので、交互に出させていただきますね、と冒頭に言う。
つまみとにぎりを交互に出す店はすでに当たり前にはなったが、最初にこんな説明をされたことってあったかなあと(きっとあったはずなのだが)、あまりにも自然体な流れに改めて納得してしまう。

酒、特に日本酒は店主もかなり詳しいようだ。
「まつもと」が一番好きなんですよ、といいつつ、「旭興」「大賀」などが普通に出てくる。それに比してワインリストは少々しんどかったかなあ。日本酒が全く飲めず鮨にもワインというメンバーが一人いたが、それでもビオワインは鮨には合わないよと選択肢の少なさに嘆いていた。ただし、ぼくは鮨店でワインを自ら選ぶことはないので、どうでもいいことなのたが。

そしてツマミもにぎりも、一定の高水準をクリアしているのは大前提として、特徴的なことはあまりない。いい意味で普通なのだ。だからこそ邪念が入らず快適で寛げるのだとわかる。ただ、酢飯はもう少しキッチリと固めていただいた方が食べやすいし、完成度の高さも感じるに違いない。その辺まで極めてからの独立という道もあったかもしれないが、それらを凌駕する人間的魅力や接客業としてのセンスが店主にはあり、一人立ちすることをすすめる諸先輩も多かったのだろうなと感じる。それほどの好青年なのである。

店主の立ち振る舞いに呼応して、他のスタッフもすこぶる気持ちがいい。女性はアルバイトなのかもしれないが、ときおり繰り出す天然な行為や言動も、ピリピリとした鮨屋にありがちな緊張感をほどよく緩和してくれている。

こうしてトータルで愉しい鮨屋、心地よい鮨屋って、渋谷という立地も相まって貴重な、というかそんなエラそうじゃなく単純に、嬉しくてありがたい存在だなあと、気持ちよく後ろ髪を引かれながら店を後にした。
なにより、今後もずっと鮨オタに占領されないでいてくれたらいいなあと願いつつ。

「くろ崎」
●東京都渋谷区渋谷1-5-9
●03-6427-7189
●17:30〜24:00
●水休

posted by 伊藤章良 at 17:54| Comment(1) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月01日

(82)五反田「かね将」

この町にしかない、自分しかできない。

そんなポリシーが響いてくる銘居酒屋

フランス料理が好きな人は居酒屋について論じないと思うし、居酒屋フリークは結婚式以外でフランス料理を食べることもないだろう。
フランス・イタリアを歴訪するメンバーはハワイには行かないに違いなく、同じく香港や台湾のリピーターもハワイに食指は動くまい。

ただぼくは、日本中の世界中のすべてに顔を出す。自分にとってはあらゆる食が同じ土壌に載っているからだ。もっと言えば、食の興味に貴賤がないからだ。しかもそれは、広く浅くではなく、広く深くである自負も持っている。
よって、居酒屋フリークにも、フレンチ・イタリアンラバーとも、ハワイ通でも、ヨーロッパを歴訪する面々にさえも、なんとか同等についていけると思っている。

でも、とりわけ居酒屋が好きだ。
それは、居酒屋で飲むという時間が掛け値なく楽しいのとともに、居酒屋で働く人集う人に加わり交わるのが震えるほど興味深いからだ。高級フランス料理や江戸前鮨などでは、ワインも日本酒も飲まず、レストラン情報以外の話題で同席者と会話することもなく、デジイチで一心不乱に写真を撮っている、とまあそんなヤカラばかりを散見するトウキョウ。本当に食べること飲むことを、独りでもカップルでもグループでも、心の底から楽しもうとする人種は、昨今居酒屋にこそ存在するのだと感じている。

もちろん、居酒屋というのは、今や日本中のどんな駅に降りても、駅前にまったく同じ看板やサインばかりがギラギラと目を引くチェーン店ではない。「いざかや、いかがっすか」と兄ちゃんがチラシを配る、みたいな店は、対象外というか最初から規格外である。

基本、その街にそこしかない店、いや東京中にそこしかない店を目指す。
街にヒトに根付き、店としての矜持やポリシーがあり、スタッフも皆、誇りを持って働いていて、大将やスタッフは、常連から〇〇ちゃーんと愛称で呼ばれる。そんな世界。
たとえ駅から15分歩くことになっても、駅前のチェーン店に吸い込まれることは決してない。いや、15分歩けば幾倍もの楽しみや喜びがあふれるのに、それを体験しようしないこと自体、天を仰ぎたくなる。

こういった店は、山手線の上側以北か東側にしかなかなか見つかりにくいのが今の東京だが、五反田にも貴重なる一軒がある。「かね将」という。
「かね将」とは、マツケンやキムタク同様、店主の名前を縮めた愛称だそうだ。店主は金子章治というが、そこは「章」ではなく「将」と収めたところがカッコいい。意外にも五反田駅から徒歩すぐ。多くのチェーン居酒屋やラブホテルに囲まれながら、ご自身の愛称を掲げて切り盛りし続けてこられた。その生業がストレートに頼もしい。

入口が複数あるので中の様子はある程度掴めるが、意外と奥に深くて客席数も多いので回転も速く、居酒屋より酒場と言うにふさわしい。店内はとても賑やかで混雑時には外にまで客があふれる。お店のファサードにもfacebookページでも、焼きとん酒場とタイトルが付いている。にもかかわらず、食べログ等のサイトでは焼鳥との表記も散見するが焼鳥は存在しない。

ベースのもつ焼きのみ活字で、それ以外のメニューはすべて手書きか板書。こうも活気のある酒場にいると、手書きの短冊や板書のメニューのみが目を引き、活字のもつ焼きはすでにそんな中に埋もれている。焼きとんを看板にスタートしたけど、やがて店主の才覚や趣味か高じつつ、客の求めるものを揃えるなかで、どんどん変化していく。そんなさまが、壁じゅう所せましと貼られた短冊を見ていると感じてくる。

店主奥様の故郷の味として「牛すじトマト煮」が名物と言われる。それにガーリックトーストを添えるのが定番らしい。ワインとでも言いたくなるが、「かね将」ではすっかり甲類焼酎のお供として定着。酒のピッチも加速度的に早まっていく。

加えて愛すべきは、店で働くスタッフだろう。客層はほとんど自分の親の世代に違いないが、そういった人生の先輩から目を細められることなく、実に上手に接しておられて、とても気持ちがいい。店内がキチンと清潔でトイレもきれいなのも、こういった若いスタッフの気配りかと頭が下がる。

回転も速いと冒頭に書きつつ、あまりに居心地がいいので、あっという間に3時間が経った。ふと見上げると、混雑時には3時間で・・・という貼り紙。2時間ではないところが、さらにチェーンにはできない心配りかと、あわてて席を立った。

なお、食べログには予約不可となっているものの、18時までなら予約も受け付けていただけるようだ。当然ながら喫煙率は高く、それが自分を居酒屋から遠ざける最大の要因となっている。ただ、予約できれば喫煙者と相席をさせられることもなく、豪炎ならぬ豪煙からは多少逃れることもできる。

「かね将」
●東京都品川区西五反田2-6-1
●03-3495-4677
●16:30〜23:30
●水休
posted by 伊藤章良 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 焼鳥・居酒屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月01日

(81)新小岩「ワイン食堂 Chezとし」

客によりそった“実力”が心地よい

堂々たる地方の名フレンチ

亀戸に「メゼババ」というイタリア料理店があり、大変な人気を博している。1カ月後の予約もままならないとか。カウンター10数席なのでさもありなんと思うが、亀戸という下町にしてこの隆盛はすごいなあと驚いていた。そして、「メゼババ」の個性やこだわりを永く続けてほしいと思うゆえ、拙著『東京百年レストランV』にても取り上げた。

ところで、「メゼババ」に何度か通うなか、実は亀戸という場がこの店の人気を決める最大の要因になったのではないかと思い始めた。都心から30分余りでアクセスできる立地ながら、訪れる人の感覚を知れば知るほど、すでに地方の名店なのである。

「地方の名店」には、訪問する町々でぼくも訪れるものの、いつも感じるのは回りの評価ほどではない、という寂しい事実だ。もちろん「オテル・ド・ヨシノ」のような気を吐く店もあり皆無とは言わないが、最高の食材と人材が集まる東京とは、やはり比較の対象となりにくい。

というのも、都心から地方に遠征すると、平等な視点を持てなくなってしまう人が多いようで、自分がその地まで出かけて行ったという自慢がバイアスとなってしまう。わざわざ訪ねて行った店に低い点を付けることが悔しいのだろう。加えて、自ら地代の安い場所へ時間とお金をにかけて移動しているにもかかわらず、コスパがいいなどと、考えられない錯覚も起こす。

地方の店評価の信頼性については、フランスの『ミシュランガイド』とは雲泥の差を感じてしまうが、向こうは百年以上の歴史があるわけで、それを同等に持ち出すことには無理がある。ただ評価者が育たないと、店側もこの程度のレベルでいいのかと安住してしまう気がして不安でもあるのだ。

「メゼババ」に話を戻すと、亀戸ながら客側のこの店の扱いは、単なる地方の名店である。もしこの店が恵比寿や麻布十番にあったと想像するなら、おそらく今ほどは注目されなかっただろう。その辺もシェフ本人の戦略としたら、それは才覚なのだと思うが、現時点のブームは実力の正当な評価ではないと感じる。

今回紹介する、亀戸からもう少し先にすすんだ新小岩にあるワイン食堂「Chez とし」は、「メゼババ」とはまさに対極。銀座や六本木にあっても遜色ない高いクオリティを掲げつつ、地方の名店とはならない、というか情報で飯を食う、うつろいグルメさんは相手にしない、地に足着いたレストランである。

場所は新小岩の駅から数分。まったくおもしろみに欠ける商店街を少し外れた路地にある。辺りは当然ながら下町系居酒屋が点在するも「Chez とし」の佇まいは決して異質ではなく、どちらかというと上手に溶け込んでいるように見える。

カウンターのみ8席程度だろうか。入店してまず目を引くのは、カウンターの店にしては、重厚で立派な白い椅子。もう少し気軽なスツールタイプを選べば、増席も可能で後ろも通りやすいのだが、客をあたたかく迎えじっくり寛いでもらおうというコンセプトがそこに見えて頼もしい。

見上げると、丁寧な文字で記された板書メニューがある。そして手元にも今日のオススメ的なスペシャルが用意されている。板書メニューは、サラダ、生ハム、テリーヌ等に肉料理の数々。そして手元の紙には、今の時期らしいアスパラガスやホタルイカといった春の食材が並び、プロとして当然の差別化が施された、堂々たるフランス料理店的構成だ。

シンプルなメニュー名だが、どの皿も当たり前には出てこないに違いないと、選ぶ段階から想像力をかき立てられ、それが食欲に昇華していく。定番に後ろ髪を惹かれつつも、春のオススメからもあれこれと。考えればキリがなく、相当な皿を数えた。一皿ごともたっぷりな盛りで、ワイン食堂たる冠も裏切らない。

シェフの経歴からも、フレンチ以外からのテイスト、特に和のエスプリをまとうのは想像の範囲だが、すでに、和以外からの世界観は完成されていて、「としシェフ」オリジナル、唯一無比な料理に他ならない。食堂らしく〆の炭水化物まで、丁寧に仕込まれた圧巻の飯が途切れないのだ。

そんなワールドワイドな料理の構成や流れもあってか、ワインはスペインを中心に集められている。仏伊に比べると少々馴染みがないので瞬間的に躊躇もするが、なにせワイン食堂なのだ。どれを選んでも外れはないだろう。

食べることの愉しさ、そして寛ぎ。凡庸な表現だが、まさにありそうでなかなか存在しない「大人の店」である。エントランスに貼られている、ワインを飲まない人と子供はお断りという無粋な書き込みもまた、昨今の飲まないコドモグルメさんを拒絶しているように感じる。言うまでもないが自ら新小岩まで動いてきたわけで、大人が支払うにはとんでもなく財布に優しい。新小岩在住の方が本当にうらやましくなってきた。

「わいん食堂 Chez とし」
●03-5879-9907
●東京都葛飾区新小岩1-34-8 エヌアールビル
●17:30〜24:00LO
●日祝祭
posted by 伊藤章良 at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | フランス料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月01日

(80)中目黒「まるや」

中目黒というキャラ濃い場所に

ゆるやかに馴染むもつ焼き屋

ぼくは、まったくそうではないのにやたら高いものばかりを食べていると思われがちだ。本当に何度も書いてきたことなので、またかと言われる可能性も気にしつつ「高いものではなくおいしいものを」というのがまぎれもない事実である。それは、ものすごく高いときもあれば、エッというほど安価なものも存在する。

今はどのように教科書に記載されているのだろうか、ぼくたちが学んだ日本という国は高度成長時代に加工貿易で栄えた。資源の乏しい我が国では、原材料を海外から輸入し持ち前の知恵で加工。製品としての付加価値をつけて輸出する。その差益がひいては日本の国益となる。石炭を輸入すれば大量消費のプラスチック製品になり、同じ元素ながらダイヤモンドの場合はゴージャスな装飾品に変化する。

料理もまた同じで、使う食材が安ければ低価格で提供できリーズナブルとかコスパがいいと言われ、原価が高ければ高級料理となってしまう。ところがいずれも間違いで、料理に高級・低級は一切ない、というのが、石炭とダイヤの例のこどくぼくの持論だ。

今月紹介するのは 中目黒のもつ焼き店「まるや」。もつ、つまり獣の内臓は、一部でホルモン(関西弁で捨てるもの)とも呼ばれるほど、21世紀の今、安価な食材の代表である。ただ、新鮮でなければ価値がないだけに、と畜時の仕分けやその後の流通、保存手段を考えると、高値で取引される正肉と同等、もしくはそれ以上の手間がかかるのではないかとも想像する。つまり、もつが安いのは、霜降り肉を食べて「きゃー、とろけるぅ〜」と叫んでいる方々に大部分を肩代わりしていただいているからかなと、密かに感謝だ。

もつ焼は、焼鳥とともに日式串焼きの代表格。ある意味一人前がもっとも少量の料理である。言い換えれば一人飲み用としても最適なツマミだと思う。ところでこの「新・大人の食べ歩き」で大変お世話になっている「クーチャンネル」大家の土田美登世さんが、昨年末『やきとりと日本人』という本を光文社新書から上梓された。焼鳥という大衆食文化を、気の遠くなるような文献や取材の積み重ねと緻密で重厚な文体で学術的に紐解いていく労作である。本来なら、ここで好みの焼鳥の一軒でもと考えたが、思いついたのは、もつ焼の「まるや」だった。大家の土田さんは『モツ・キュイジーヌ』なる西洋の内臓料理の本も編集者として出してるし、串焼きのルーツをたどる以上、もつと焼鳥は切り離せない。この本の中でも幾度か言及しておられるが、「鳥◯」との店名ながら、関東以北ではもつ焼きを提供することが許される土壌もある(ちなみに、拙著『幸せになれる43の料理店』では、もつ焼店を二軒紹介しているが、「鳥茂」「鳥平」とも鳥の文字が入っている)。

「まるや」はなぜまるやというのか詳らかではない。高名な野方の「秋元屋」の流れを汲むとも聞くが、自分にとってあまり重要ではない。なにより中目黒というキャラの濃い場所にふさわしい快適な空間を作り上げているところにまず注目する。もちろんオシャレでもデコラティプでもない、真ん中に焼き台がある普通のコの字カウンターではある。ただ、ほとんどのもつ焼店が、座席のすぐ後ろが壁で席間もぎゅうぎゅう詰めで、焼き台とタバコの煙でモウモウなのは当たり前にもかかわらず、「まるや」は店内がとてもゆったりして窮屈さをまったく感じさせない。中目黒という土地柄か下町に比べ喫煙率も低い。そしてBGM代わりに流れるAMラジオが店内の雰囲気とマッチして、さらにゆるく心地よいのである。

もつについては、まずは半焼をチョイスしレアな食感を楽しむことからスタート。この半焼に使われている塩がまた絶妙。オススメのごま油でさらに香りも増幅する。以降はお好みで。味付けはシオシオと連呼せず店主に任せるのが一番かとも思うが、秋元屋系の個性として味噌もぜひ。ニンニクと味噌の甘味が過不足なく絡まっておいしさに頬がすぼむ。このまろやかさだとキレの悪さも危惧してしまうが、スッと消えて行く後味もまた格別である。

酒はブランド焼酎も数々並ぶものの、「まるや」ではシャリキンの酎ハイもしくはホッピーだろうか。シャリキンとは「キンミヤ焼酎」をシャーペット状に凍らせて、それを割るやり方。いつまでたっても水っぽくならずウマイのは当然というか、確実に酔いが早い。

長居したくなるもつ焼き店、というのは「まるや」にとって名誉なことなのかどうかは客が決めることになるだろう。ただし、ぼくはキッチリ他のもつ焼店の2倍は消費してかつ4倍の幸福を得た。

「まるや」
●東京都目黒区上目黒1-5-10 中目黒マンション 114
●03-6452-3995
●17:00〜22:00LO
●日休
posted by 伊藤章良 at 19:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 焼鳥・居酒屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月02日

(79)北千住「田中屋」

*アップが1日遅れました。大変申し訳ありませんでした。

魚料理ととんかつに囲まれて

やたらと楽しい北の玄関口の居酒屋

北千住と聞くと、東京の北の玄関口という印象は確かにある。ただ、東京に出てきて以来、中央線沿線か山手線沿線にしか住んだことがないので、北の方に千回住めるという北千住は、ここまで食や酒に興味を持たなければ訪れることはなかっただろう。

JRもメトロも私鉄も、いくつもが乗り入れ、もともとはここから日光街道・奥州街道の起点となっていて、現在も埼玉方面へ大きく延びている。駅前や駅から広がる商店街は、日本中どこでもある風景と同じで駅舎から出た瞬間はわびしくなるが、メインストリートから少し裏へと外れれば一気に飲屋街となり、カオスぶりは東京屈指ともいえよう。

一軒ずつ訪ね歩きたいぐらいの魅力的な店舗が並ぶが基本は「和」。特に、居酒屋、焼鳥屋、もつ焼き屋といった、一人でも入りやすくポーションが小さめで安価が魅力。といっても、どこも同じように見えて個性や異彩を放つ店も多く選択に迷う。

界隈に暮らさないと都心からは(東京の西側からは)かなりの時間がかかるので、早い時間からスタートして数軒をハシゴしたくなる気持ちはわかる。しかし個人的には、地元民ではない人間がぞろぞろと下町界隈に繰り出し、大人の遠足とか称してハシゴする姿は、北千住や京成押上線沿線では何度も遭遇した。そんな行為は、決して好ましいものではなく店にとっても迷惑であろう。居酒屋の名店「大はし」は店内での撮影を禁止としているし、料理がウマいことで知られる「徳多和良」は、明らかにそういった客は排除しようと1グループの人数制限を設けている。

とはいっても、当該の店は立ち飲みだったり短時間決戦だったりして、じっくりと根をおろして飲むというタイプではない。となると、ターミナルとして使うか地元民ではないと、ハシゴを前提としなければ時間をうまく使えない場合も多くて残念だ。

では、じっくりと腰を落ち着けて楽しめ、かつ、西側から北千住界隈まで出向く価値があるという店を一軒紹介しよう。北千住からは少し歩くが、京成線沿線千住大橋駅前の「田中屋」である。

駅前は実に殺風景で典型的な没個性ベットタウンの趣。個人的にはもう少し秀逸な飲み屋が連なっているエリアかと想像していたのでガクゼンとする。そして、線路沿いというか文字通り「駅前」で、ここにコンビニがあっても不思議ではない立地に「田中屋」はある。

看板には「とんかつ魚河岸料理」。そして「道灌」の文字。看板を提供しているのであろう酒蔵「大田酒蔵」の清酒だ。あまり居酒屋や酒に関心のない人なら普通に見過ごしてしまうだろうが、もっとも相反する生鮮品ととんかつ、そして東京ではあまり見ることのない滋賀県の清酒。この三位一体の違和感は、なかばこのエリアにおける治外法権な存在にも思えてくる。

引き戸を開けると、まずは白木のカウンター、そして奥に小上がり。というより、目を引くのは旅館の宴会料理まで出せそうなぐらい広々とした厨房。やたら広くて気持ちがいい。しかもとても清潔で美しい。もちろんカウンターに面してフルオープンキッチンだからということもあるが、それ以上に働く人たちの魂がこもってる感じがグングン迫ってくる。

こんな厨房を目にしつつ、さぞや大量のメニューがここから生まれるのだろうかと思いきや、アイテムはごくごく少数に絞られていてメニューは細長いカード一枚。エッと思うが、この中に、刺身、焼き魚、酒肴等一通りの魚河岸料理ととんかつを中心とした揚げ物がひしめく。

料理のメニューより酒のメニューのほうがずっと大きいのだが、定番の酒類はなかば時が止まった感のある所在なさに反して、絞られた地方の銘酒が目を引く。そして道灌は一番ベーシックな燗酒として供するようだ。なるほど、看板に偽りはない。

では刺身からいただくことにする。見渡すと皆さん刺身を盛り合わせで注文しているようだが、イタリア料理の前菜でも天ぷらでも、盛り合わせという主体性のない頼み方は好まないので、気になる旬の魚を数点。徹底して吟味された感のある上質さ。なによりグレイトバリューなことに安堵する。そしてとんかつ。これこそが治外法権なのかもしれない。上野や神田界隈にある名店と肩を並べるレベルで、かつフリークには全く荒らされていない(おそらく気づかれてもいない)肉は相当分厚く比較的硬めに仕上げられているが、その分噛んだときのキレ具合も、シャキーンと音が聞こえるようだ。ころもの質感も肉のうま味をじゃましないやさしさと節度を持っている。

なにゆえ「とんかつ魚河岸料理」なのか、店を辞したあと帰路においても問いかけ続けたが、結論は出ない。また、きっと魚河岸かとんかつのいずれかが先で、その後もういっぽうを追従させたのだと想像したが、厨房をくまなく観察してもそれすらわからない。唯一いえるのは、魚河岸料理ととんかつに囲まれて、やたら楽しいということだ。それは、いずれもが中途半端ではなく一流であるゆえ成せる業だろう。

「田中屋」
●東京都足立区千住橋戸町13
●03-3882-2200
●17:00-21:30
posted by 伊藤章良 at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 焼鳥・居酒屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月01日

(78)恵比寿「おやまだ」

あえて鶏料理と清酒で硬派に味わう。

男前の主人が仕切る女性が憩う和食店

あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします。

さて、最初に少し告知です。百年後にも存在していてほしいとぼくが願う料理店、という縛りだけで選んで紹介しているシリーズの第三弾が出来上がりました。『幸せになれる43の料理店 ―東京百年レストランIII』です。第三弾では以前にも増して、それぞれのレストランから感じる「継承」をテーマに据えて書き込み、序章では、ぼくのレストラン訪問や執筆に対する「こだわり」を改めてまとめてみました。どうぞよろしくお願いします。では、今月の店へ。

ぼくは、書くこと以外に、日常はイベントプロデュースという仕事をしている。イベントや各種ステージを展開していくなかで、モデル、コンパニオン、ナレーター等を派遣する事務所とのかかわりがある。きれいな女性と一緒に仕事ができていいですねともよく言われるが、実はそんな甘くやさしいものではない。

バブルが終わってすぐのころだったか、女性の人材を抱える事務所が「ざんぐり」という居酒屋も経営していることを、その事務所からの年賀状で知った。長い間行きたいなあと思いつつも結局叶わずだったが、そこと同じ名前の店のオープンを偶然に見つけ、早速訪問となる。

まずは店主の男前ぶりに驚き、料理の力量、人柄、そして清酒にたいする知識と情熱に惚れ込み、しばし通うようになった。その後の経過はここでは割愛するが、「ざんぐり」の店主だった小山田さんは、晴れて恵比寿駅に独立開業を果たし、「おやまだ」という日本料理と酒の店をスタートさせた。立地は、恵比寿駅西口から、線路沿いの急な坂をハーハーいいつつ上がっていくとすぐ。西口に7時で待ち合わせをしても、7時の予約で十分お店に失礼はない。

今までの小さなカウンターのイメージからいうとかなり広く、小上がりとテーブル席が中心となっていて、どちらかというと多品種の酒よりは料理に徹する決意の現れとも感じられる。いずれにしてもぼくはカウンターを所望し、背中に女性グループの喧騒を受けながら陣取ることにした。

小山田さんが勤めた以前の店は、モデル事務所が経営しているといいつつスゴく硬派な印象があったので、この女性客の多さ、女性に支持されているさまには少々面食らう。しかも、「おやまだ」のウリである清酒、焼酎に手が出るわけではなく、ゆず酒やワインといった「逃げ」で置いてあると思えるアルコール類のオーダーが飛び交う状況にさらに疑問符が付く。

自分が勝手に硬派だと思っていた小山田さんの店は、すっかり恵比寿西口界隈で働く女性の憩いの場となっている様子。そして、改めて気づいたのは小山田さんの男っぷりだ。店主のルックスが全てと思わないが、なるほど女性客を集める重要な要素なのだなと感心する。そういえば、オープン当初はほとんど誰にも気づかれず、いつでも入れたし清酒や焼酎をなめているオッサンばかりだったのだが。

「おやまだ」の店主は、恵比寿という土地柄を愛し恵比寿にこだわり続けた人というイメージが出来上がっているので、この地にこんな隠れ家的なステキな店を開けば、酒を飲まない客で満席になるだろうとはわかっていたと思えるが、きっとそれも含めての「おやまだ」なのだと解釈することにした。

料理は、「和食 おやまだ」と名のるだけあって、新鮮な刺身を中心に魚介が豊富にそろう。酒肴としてへしこなんかも置いてあり、清酒党なら目を細めるであろう。ただぼくは、ここでは鶏と決めている。「ざんぐり」時代のメインは鶏で、ご主人がいつも鶏をさばいていた記憶が強いし、その当時から魚というよりは鶏に合う強めの清酒に重きを置いていた。いっぽう「おやまだ」のメニューは、客層も鑑みて広い範囲に揃えている様相。その中での鶏料理は、ちらっと見ただけでは埋没しているようにも感じてしまうが、ぼくにとっては砂金のように輝いている。

とびきり新鮮な品を生で扱うだけではなく、塩麹、昆布、バルサミコ酢等で一手間かけたものがさらに秀逸。またモノが最上級なので、あぶり焼きや唐揚げにしても、普段定食屋のランチなどで口にするものとあまりに違い、そのジューシーさに脱帽だ。

当然、酒は清酒しか目に留まらない。鶏料理は、比較的塩が強くタレなどの濃い味付けもあるので、どちらかというと焼酎派だが、こと「おやまだ」では、そもそも鶏に合う清酒がご主人の眼力を通じて揃えてある。あとは、相談しながらそれをどのように組み合わせるだけだ。

少し心配なのは、というか老婆心ながら清酒のメニューに価格が書かれていない。その意味を尋ねることができなかったが、清酒の価格が書かれていないので、キチンと値段が書いてあるゆず酒やワインを客は選ぶのかもしれないと感じた。加えて相当の地酒猛者ではないと、この店のラインナッフには食指が動かないだろう。でも重ねて強く言いたいけど「おやまだ」では清酒である。

もうひとつ。「おやまだ」のエントランスに掛かる暖簾には、クラシックともモダンとも判断のつかない、極めてカッコいいロゴが染め抜かれている。山の形を表す図形の下に田を意味する地図記号。こんなところに垣間見るセンスの良さも「おやまだ」の魅力といえよう。

「おやまだ」
●東京都渋谷区恵比寿南1丁目13−11 ヴェール1F
●03-6412-7566
●18:00〜23:00LO(月〜金)、18:00〜21:00LO(土)
●日休(祭日・祝日は要確)
posted by 伊藤章良 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする