いとうあきら イベントの企画・運営・演出を本業とするも、無類の食べ歩き好きが高じて“食べ手”の視点で店や料理を紹介。過去の書き手になかった大人の切り口で飲食への愛情を示した。著書に『東京百年レストラン(T〜V)』。

2015年07月01日

(84)大阪「87(オッタンタ・セッテ)」

フランチャコルタで喉の渇きを癒したい。

在伊13年半の小さなイタリア料理店

「87」Ottanta Sette(オッタンタ・セッテ)というイタリア料理店が大阪にある。夫妻で切り盛りするとても小さな店だ。ご夫妻は、イタリア本国にてオステリアを営んでいたにもかかわらず、日本に、大阪に戻って新たにレストランを開き、合わせて心酔するイタリア産スパークリングワイン「フランチャコルタ」の日本での拡販に尽力する、そんな面々なのだ。

「オッタンタ・セッテ」とは不思議な店名だと思う。店の回りに87に関係している地名や番地などは皆無である。マダムにその理由聴くと明快でおもしろい答えが返ってきた。

以前イタリアで店をされているとき、夕暮れになると「オータンタ・セーテ オータンタ・セーテ」とつぶやきながら馴染みの客が入ってくる。オータンタ・セーテとは、Ho Tanta Sete = I am very thirsty(あー、ノドが渇いた) という意味だ。

ご夫妻は「オータンタ・セーテ」って87(オッタンタ・セッテ)と発音が似てるよねとその当時から話していたそうだ。そして日本に戻り大阪で店を開く際、当時のなじみ客の合言葉「オータンタ・セーテ」に似た「オッタンタ・セッテ」という店名にしたというのである。
先日、アブルッツォ出身のイタリア人マッシモにそのことを話したら、日本人とは思えないすばらしい言葉のセンスだ! と、感心していた。

イタリアを、そしてフランチャコルタを愛する二人が、日本で初めてのフランチャコルタ専門イタリア料理店を、大阪はキタの外れにオープンしたのが昨年(2014年)のこと。大阪はぼくが生まれ育った土地だし、キタには母が住むので、「87」の界隈にもそれなりに土地勘があると思っていた。父が写経に通い、没後の葬儀に来ていただいた院主の菩提寺も近い。ただ、自分が暮らしていた30年前に、当時の条例で風俗関係は一掃されたはずだったが、それらが業態を変えつつ存在し続けているようで、街並みは一変していた。加えて、大阪経済の凋落とともに町全体が枯れつつあり、自分の生まれ故郷なのに、東南アジアの片隅にでもいるような不思議な空気がモワっと流れているのを感じた。

そんなわけで、風を切ってとはいかずあちこち迷いながら「87」に向かう。
以前は焼鳥屋だったという店内。カウンター5席とテーブル2卓。そんな小さな空間を二人の熱すぎる情熱で、歩いていけるイタリアへと変化させた。店全体にイタリアの色、イタリアの空気、イタリアの香り、そしてイタリアの味が、折り重なるように存在している。

決して厨房の環境が万全とは見受けられないが、前菜・パスタ・メインとそれぞれに魅力的なアイテムがメニューに並ぶ。
まずはおつまみとして置かれていた「猫の舌」と呼ばれるスナックを一口。
おや、とても優しい味だ。ググッとワインをかき込みたくなる塩辛さはない。続いて、トリッパやパスタもトライするが、同様に深みのあるおだやかなテイスト。ただ、その控えめな塩がシャンパーニュ方式(瓶内2次発酵)のスパークリングワイン「フランチャコルタ」の味わいを邪魔せず、逆に改めて魅力に気づかせるバランスのようにも感じる。

某イタリアンのように、酒を多く売りたいがために強調する塩辛さも、店を経営していくためには必須なのかなあとも思う。確実にその方が客の酒も進むだろう。しかし「87」では、フランチャコルタの魅力を感じてもらえるレベルの塩加減に徹しているようだ。つまり、あくまで主体は「フランチャコルタ」なんだよと、そこに深い愛情と決意を見出す。

シェフはイタリアに13年半もいたそうだ。しかも後半の2年は修業ではなくレストランを営んでいた。そんなに長くイタリアに留まっていた料理人は、東京にも存在するだろうか。自分の記憶には上がらない。
そんなシェフに、「87」の料理の塩加減ってイタリアと比べてどうなんですかと聞いてみた。すると彼はボクトツに「いや、おんなじですよ。別に違うことはしていません」と答えた。

シェフが修業をし、その後独立してマダムと営んだ店は、フランチャコルタ生産地域の街イゼオだったと聞く。イタリアにいた時点ですでに、彼の料理は、のどが渇いてフランチャコルタが飲みたいと切望する人に向けて作られていたのだろうと解釈した。

「オッタンタ・セッテ」、東京にはまず存在しえないレストランだろう。
泡好き、イタリア料理好き、そしてイタリア好きなら、大阪はさほど遠くない。

「オッタンタ・セッテ」
●大阪府大阪市北区曾根崎1丁目6−23
●06-6360-9508
●18:00〜25:00
●日祝休
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2013年03月01日

(63)中目黒「クオーレ アズーロ」

東京イタリアンの“呪縛”を感じさせない

のびのびとした姿勢が頼もしい

前々回、東京のイタリア料理店に強く惹かれる店が少なくなってきたことを書いた。あれからもずっとそのことを考え続けていて、新規オープンの店をのぞいたり、人気店に再訪問してみるものの、やはり「強く惹かれない」という感覚に変化がない。一時のような、イタリア料理にワクワクする、というかゾクゾクする気持ちが沸き起こってこない。

その理由として、東京のイタリア料理店が一定の円熟期を迎え「優等生」になりすぎているのではと、個人的には感じている。なんとなく70点ぐらいにまとめておけば、客も満足するしネットで悪く書かれることもない。シェフ個人の嗜好や目指す姿が明確にあったとしても、経営的に存続させることが第一。もちろん、キチンと儲けて長く続けていただくことがもっとも大切で、ダイニングをカウンター中心にするなど効率面での工夫は見られても、冒険や挑戦をしているなあと感じる皿に出会わなくなっている。

同じ土俵では、日本料理やフランス料理の方がチャレンジ精神的な強さや期待を持って接することができ、なによりそれが客を楽しませる。いっぽう優等生との付き合いは、それなりに心地よく同席者に不快な思いをさせることも少ない。しかし、ぼくのように単純に友と食べて友と語ることだけが目的で利用する客には、以前はあんなにワクワクしたイタリア料理店から楽しさがこみあげてこないのだ。

昨年末に上梓した拙著「東京百年レストランII」では4軒のイタリア料理店を紹介したが、特にその中でも「GANZO」は、シェフ自身の店舗に対するこだわり、料理へのやんちゃなアプローチや主張が気に入っていた。

そしてもう一軒。中目黒に昨年春オープンした「クオーレ アズーロ」を取り上げたいと思う。なにより、東京イタリアンの呪縛やヒエラルキーを感じさせない、のびのびとしたシェフの姿勢が頼もしいのだ。

場所は、中目黒商店街をずんずん進んだ終点近く。界隈にも「ラ・ブーシェリー・デュ・ブッパ」や「タツミ」などビストロの名店が並ぶが、正に「タツミ」の隣りにあるのが「クオーレ アズーロ」である。

「タツミ」との相似形を感じてしまうような細長い店内に「タツミ」よりさらに狭い厨房の中から、実に様々な料理が巧みに生み出されていく。

ダイニングのキャパもレイアウト的にも、基本はバール。入口付近と奥にはテーブル席があるものの、メインはキッチンを囲むようにしつらえたカウンター。オープン当初は飲み中心の展開をコンセプトとしたようだが、ワインのつまみにしてはもったいない多種多様な料理の数々かイタリア料理好きの琴線に触れ、ウェブ上で取り上げられる以前から、じわじわとその魅力が口コミで伝わった。かく言うぼくも、そんなイタリア料理好きの友人からココを教えられ、さっそくファンになったひとりである。

店内はサラッとシンプルに組み合わさっていて、色使いの中に可愛らしい主張がある程度。だが詳細を見ていくと細かい部分にこだわりや個性が見いだせて、単純にバールというスタートではなく、この場所で長く営んで行こうという心意気が響いてくる。特に化粧室はドアの雰囲気から室内のアイテムのおもしろさ・居心地よさまで、思わず長居したくなる。

シェフはイタリアの北から南、ピエモンテからサルデニアまで修業したと聞くが、帰国後はしばらく神戸でならし運転をして中目黒にたどり着いた。どちらかというと北イタリアの料理が中心に感じるが、そのバリエーションは、メニューが書かれた黒板を眺めるだけでも飽きないどころか、満腹感まで追いついてくるようだ。

パスタは、イタリア修業時代に木型を集めてきたそうで、小さな見本に入れられ幅広く用意されている。多くの手打ちバスタは、ゆでた際にゆるくなってしまうのか個人的には残念だったが、「クオーレ アズーロ」の手打ちバスタはいずれもカチッとしたアルデンテで提供され、乾麺フリークの心も掴むことだろう。

もれ聞くところによると、シェフの奥様はまったく違う業界の方ながら、イタリア好きが共通のベクトルで現地で知り合われたとか。「イタリア」という共通項で結ばれたながらも、夫婦で違うキャリアを積んでいく流れが、のびのびとした前向きな楽しさを生み出す「クオーレ アズーロ」の源泉となっているのかもしれない。

「クオーレ アズーロ」
●東京都 目黒区上目黒2-42-12渋谷ビル1F
●03-5708-5101
●18:00〜25:00LO
●火休
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2012年10月02日

(59)大阪「カンティーナ ピアノ・ピアーノ」

イタリアンは西高東低と

改めて思えた1軒

イタリア料理店の紹介なのに、冒頭から日本料理の話で恐縮である。

そもそも、日本料理は西高東低と言われ、西に魅力を見出す向きが多かった。ところが、昨今の東京の食べ手は、京風であれば無批判に受け入れようとする京都コンプレックスの呪縛からやっと抜け出し、東京の日本料理を東京で生まれたものとして、楽しめるようになってきた。

そんな現象は、特に次々と独立する若手の料理人が、過去に修業した店のやり方にこだわらず、自分たちで食材の仕入れ先を探したり、新たなオペレーションを考えたりと、独自の道を歩み始めたことでも理解できる。

そんな日本料理の状況とは逆に、今やイタリア料理が西高東低ではないかなあと最近時々思う。東京のイタリア料理店は、一時期もの凄い隆盛を見せたが、現在はかなり飽和状態にあり、よほどの個性、地方性を発揮しないと、素人目には他店との差別化が難しくなっている。

加えて、イタリア料理は、ニンニク臭かったり塩辛かったりパスタが硬かったりしてはいけない。やさしくて美しくて野菜中心のヘルシーなものという、トウキョウイタリアンの呪縛から逃れるのが相当困難な様子。であれば、そんな縛りを受けにくい首都圏外のほうが、様々な個性を発揮する店が生まれやすい土壌を持っているように感じているのだ。

ではなぜ、縦に長い日本の中でも、関西地方なのだろうか。
すでに言われているスペイン料理なら関西、という流れが、同じラテン民族の食であるイタリア料理も、やっぱり関西人のスピリットに響くのだと考えれば、より面白い展開だ。それは、大阪だけではなく、京都や奈良の山奥にまで、出色のイタリア料理店が見つかるところも興味深い。

もちろん大阪の雄である「ポンテベッキオ」を筆頭としたい気持ちはあるが、今回はもう一つの潮流ピアーノ・ピアーノから、「カンティーナ ピアーノ・ピアーノ」を紹介したい。
場所は西梅田。関西人なら誰でも知っている大阪サンケイホールのビル。今は、なぜかブリーゼブリーゼという“広告代理店のプレゼンに対しまったく疑問を挟むことなくOKしてしまった”みたいな意味不明の名前になっている。こうして、古くからなじみある場所はどんどん失われ街は枯れていくんだなあとつくづく思うが、思うだけで自分にはどうしようもない。
ビル自体も決してわかりやすいレイアウトではなく、目的のフロア6階に上がっても、広いスペースではないにもかかわらず、なかなか目的の店が見つからない。天災などが起こったら、必ずやどちらに避難していいのかわからず、パニックになるだろう。

さほど人通りもないフロアゆえ、果たして「カンティーナ ピアーノ・ピアーノ」はどうなんだろうかと思いきや、入店した途端、それまでの迷いは杞憂に終わった。

満席、である。しかも、家族連れや落ち着いた年配のグループなど、客層は抜群にいい。東京にて、こんな客層で埋まるイタリア料理店は、ほとんど見かけない。ゆえ、大阪の客の成熟度を改めて認識すると同時に店側も幸せだろうなと感じた。

サービススタッフのノリのよさ、客を楽しませようというサービス精神は、改めて西のスピリットだと思うし、客からも「オモロないなー」とか言われ、相当鍛えられているに違いない。ここでも、単にボナセーラと叫んでいれば及第点の東京とは、一線を画する気がする。

料理は相当に塩が強い。煮込みなど舌が痺れるぐらいである。そのせいかもしれないが、各テーブルを見渡すと、今や客の半数以上が水しか飲んでいない東京より、圧倒的にワインをボトルで飲んでいる確率が高い。

パスタは、かなり個性的で他に類を見ないウマさ。手打ち麺だそうだが、同席した元日本製粉の知人ですら、乾麺じゃないの? といったぐらい、エッジの効いた乾麺特有の弾力がある。加えて手打ちのモチモチ感もじわじわと発揮するので、いわゆる双方のいいトコ取り。それを一つの方向のみに味付けしたシンプルなソースと具材に絡める。麺に相当自信があり、麺を食べさせる料理だ。

商業ビルの飲食フロア一角、化粧室も店の外しかもかなり遠い。そんな環境ながら、大阪の上顧客をキッチリ集め心から楽しませる。イタリア料理店としての熟成度合いは、かなり高いと感じた。

今後も関西のイタリアンに注目していきたい。

カンティーナ ピアノ・ピアーノ
●大阪府大阪市北区梅田2-4-9 ブリーゼブリーゼ 6F
●06-6136-5667
●11:00〜14:30LO、17:30〜21:30LO
●不定休
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2012年02月01日

(52)神楽坂「アンティカ オステリア カルネヤ」

熟成牛のカツレツで感じた

イタリアンとしての上質度

ぼくは、東京でほとんど牛肉を食べない。もちろん「コート・ドール」に行けば「牛しっぽの赤ワイン煮」が待ち遠しく、四川料理店では「水煮牛肉」を欠かせない。ただ、そういったスペシャリテ以外の牛肉料理をレストランで自らオーダーすることはほとんどないし、その道のスペシャリストからのお導き以外では、焼肉・ステーキの類に足は向かない。

ただそれは東京に限ったことで、大阪に帰省すれば日課のように焼肉屋へ出向き、アメリカに渡れば、3日に1度ぐらいの頻度でステーキにはまる。昨年出張したウイーンでは幸いにも高級ホテルに泊まったので、朝食メニューにステーキがあり、卵ではなく牛肉を毎朝チョイスしていた。

なぜ東京で牛肉を食べないのか。第一に値段が高いからである。ずっと様々に書いてきたが、「肉いうたら牛肉」の関西と「肉といえば豚」の関東とでは、市場規模、流通、価格とも異なり、わざわざ高い東京で食べることはないと思ってしまう。例えば、沖縄や北海道に行くより安価に台北や香港に行ける今日、わざわざ高くておいしくない日本で中国料理を食べることはない、というのに近い発想だ。

加えて、東京の焼肉店のうま味調味料まみれには閉口する。今やラーメンに代わって最もうま味調味料満載な料理は、東京の焼肉である。肉の表面が真っ白になるぐらい振る人気店も存在するし、焼肉フリークには聖地のように語られても、うま味調味料を舐めている感じが拭いきれない店もある。

また、サシの入った霜降りの肉を好まないのも大きな理由のひとつ。甘いとかとろけるとか、そういった形容が霜降り肉には頻繁に加えられるけど、それは、肉に対してではなく脂への賛辞なのだ。その不健康な脂を愛でるつもりはない。

一方欧米の牛肉は赤身オンリー。また熟成の方法も、国や地方、店それぞれに個性がある。ウィーンで毎朝食べていた牛肉は、マグロの赤身に匹敵するぐらいにあっさりとしていて噛むほどに強い酸味があった。ちなみに生涯最高の牛肉は、フランス・ラギオールの「ミシェル・ブラ」で出会ったオーブラック牛である。

そんな話をツラツラと肉のスペシャリストにしていたら、お前に食べさせたい牛肉店がある、という。神楽坂の「カルネヤ」。ここはアンティカオステリアと称するようでイタリア料理店らしい。というか、そこそこ肉イタリアンとしての名声はぼくにも聞こえていて、ランチ・ディナーともに訪問経験あり。昼のハンバーガーはアメリカの優良店を思わせるもので、ディナーでは「カルネヤオールスターズ」なる肉ばかりのスペシャリテにも、それなりに満足だった。

ただ、肉を本格的に食べさせるイタリア料理店なら、ン10年前から「トゥリオ」や「ラ・ビスポッチャ」等が普通に存在し、今はなき「テラウチ」も、以前投稿していたサイトで紹介するほどのお気に入り。それらの印象から、イマの「カルネヤ」が大きく上回ることはなかった。

ところがスペシャリスト曰く「熟成牛のカツレツを食べたのか?」と質す。和牛ではなくホルスタイン種を使いながら、牛肉を扱うその道の熟練者たちによって極めて上質かつ個性豊かに長期熟成され、最後に「カルネヤ」シェフの巧みな火入れや味付けによって完成する合作だと言うのだ。

確かにすばらしく、そして実に楽しい料理だった。自分が経験したことのある欧米の牛肉、特に何度も通ったニューヨークの「ピータールーガー」が試みる熟成香・熟成感とは表現方法自体が異種のもの。

まさしく「枯れた」とでも言おうか。枯れるのは悪い意味ではなく、熟成を経ることによって、甘いとかとろけるといった牛肉の最も興味を感じない部分がそぎ落とされ、その代り咀嚼したときの肉の香りと味にほんのりした野生味が蘇る。そして最後の叫び的な肉汁は、それはそれは儚く独創的だった。

「お腹の具合はどうです? パスタなどいかがですか」とシェフから聞かれ、お、ここはイタリアンだったと思い出す。再びメニューを見つつ「かなうなら、先ほどの熟成牛のローストを今度はいただきたく……」。さすがにカツレツのおかわりとは言い難くローストを所望。

ただローストは、個人的には「ピータールーガー」に軍配。というより、改めてコートレット(カツレツ)という料理の完成度に瞠目して、「カルネヤ」が上質のイタリア料理店であることを認識。今度はパスタもいただこう。

「アンティカ オステリア カルネヤ」
●東京都新宿区南山伏町3-6 市ヶ谷NHビル1F
●03-5228-3611
●12:00〜14:00LO、18:00〜22:00LO
●日休
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2011年05月01日

(43)恵比寿「アルマ」

応援のつもりが元気をもらった

東北がテーマのイタリアンバー

4年ほど前、宮城県は仙台市に本拠地を置く飲食会社が、恵比寿から渋谷方面に向かう明治通り沿いに「アルマ」というイタリアンバーをオープンした。この辺りはかなり頻繁に歩くので、開店当初から存在を意識していたものの、店の外観から放たれる雰囲気は、いかにもレストランのヒットメーカーが企画・デザインしました的匂い。ぼくの場合、そういった臭気が一番苦手なので、「ここはちょもらんま酒場じゃないよね」とかひとりごちながら毎回通り過ぎていた。

そして2010年夏、同じ明治通り沿いの「アルマ」の少し恵比寿寄りに「ビストロエビス」がオープン。一見、似たような外観ながら「ビストロエビス」にはプロの考えそうな「あざとさ」が感じられず、その素人的手作り感に吸い寄せられて、しばし「アルマ」の存在を忘れていた。

ところが先日ある方からお誘いを受け、「アルマ」に行く、ということになった。宮城県からの野菜や、七ヶ浜や塩釜、相馬など三陸を中心とした新鮮な魚介を使った料理をウリにする当店にとって、東日本大震災は最大の痛手である。食材が入らないという物理的な問題はもちろん、仙台出身の店であるゆえ、スタッフの心のケアや本拠地の救援など、きっとさまざまな窮地に直面し乗り越えてこられたことだろう。

そんな心からの応援の気持ちもあったけど、信頼できる今回の主催者によると、実にいい店、らしい。外からの眺めや勝手に決めつけた匂いだけで判断していた過去を反省し、今までの時間を取り戻すつもりで店には一番乗りをした。

だが実際に食事を始めるまでは、悪い予感は消えていなかった。メインダイニングの、計算され尽くしたような木造り感とオレンジの照明。そして赤いカーテンで仕切られた怪しげな中2階。まさかあそこに案内されるのではないだろうなと訝るものの、店の雰囲気とは真反対の明るくステキな女性スタッフによって、カーテンの裏へと通された。

ダイニングを横切ったときも気づいたが、そのカーテンの奥に入って、この店はなんと男性客の多いことかとビックリ。イタリア料理&ワインを標榜する店でこんなにも男性比率が高い場面はあまり経験がない。

一番乗りはしたものの、すぐに息苦しくなって化粧室を探す。すると中2階から降りる階段の要所、そして化粧室への導線にも、先ほどとは違う、若く溌剌とした女性スタッフに親しげに声をかけられ、トイレに行くのが少々恥ずかしくなる。

メンバーが揃って食事スタート。まずはバーニャカウダと焼き野菜。これが相当にウマイ。東北から食材が来ないので西の方にて美味しい野菜を懸命に探しているそうだが、基本的に食材の目利きに優れるメンバーなのだろう。また、そのように説明するサービスの真摯なまなざしにも、野菜の鮮度以上に心を打たれる。

続いてソムリエとおぼしき方に、色々とワインの要望を伝える。何本が携えテーブルに並べるが、どうもこちらの要望に答える種類ではない。まあいいか、とオススメをオーダー。そのワイン自体はぼくの好みでまったく文句はないんだけど、1本目なので軽めでとお願いしたのに、すでにかなり重め。

そんなこともあったので次にリストから選ぶと、ことごとく品切れという。ワインの在庫も震災の影響とは思えないものの、逆に数少ない在庫のなかで必死に客の要望を叶えようと説明に熱が入るソムリエールに感情が移入されてしまい、個人的な要望など二の次になる。

魚介の炭火焼も名物。残念ながら三陸沖ではないわけだが、良質でしかも火の通し方焦げた皮の香ばしさ加減など、厨房からのメッセージも、熱意溢れる女性スタッフ同様に、ひしひし伝わってくる。

日付が変わって店を辞するころ、ぼくたちはほぼラストな客。にもかかわらず、接客を担当する女性3名がひとりも欠けることなくエントランスから外に出て、帰路につくぼくたちの背中にずっと視線を送ってくださった。

不遜にも応援の気持ちを携えての訪問だったが、幸せで元気になったのは逆のぼくのほうだなと、心と頬を赤らめながら明治通りを歩いた。

alma.jpg
アルマ
東京都渋谷区東3-15-6 百百代ビル 1F
●03-5468-5737
●18:00〜翌2:00
●月休
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2011年04月15日

(42)田町「ナビリオ」

変わらない料理と空間に

激動の今、癒される

5年ぐらい前だろうか。少しの間、雑誌等からレストラン取材の仕事を引き受けていた時期があった。その後しばらくして、編集長に気に入られるような原稿を書くことに疲れ、積極的には引き受けなくなった。が、普段の自分では決してすることのない、シェフや店舗オーナーへのオフィシャルなインタビューはとても楽しかった。

料理人やオーナーの側も、いつもなら若い女性ライターから話を聞かれるはずが、突然髭面のオッサンが現れれば皆さん構えるし、ぼくの場合、とりあえず行ったことのある店の数だけは多いので、訪問時の経験を織り交ぜれば、それはそれは盛り上がる。中には、情報ポータルサイト時代のぼくを知っていて、会うことを楽しみにしてくださった方もいた。

そんな短い活動期間の中で出会ったシェフに池ノ谷昌宏さんがいた。彼は、西麻布の「トレ・ディ・マッジオ(現在は移転)」「クアトロ・ルーリオ」の2店舗で、イタリアンなら西麻布と言われた全盛期のころ長く料理長を務め、田町は芝浦側の運河沿いに、今回取り上げる「ナビリオ」を開いた人だ。

「ナビリオ」とは、イタリアはミラノにある運河の街NAVIGLIOからとったという。ミラノの下町地区にある運河のイメージが芝浦と少し似ているとのこと。ミラノ下町の運河と芝浦倉庫街の名残運河では、あまり似ているとは思えないものの、未訪ゆえ詳細はわからない。

この界隈はバブル全盛期のころ、ディスコ「ジュリアナ東京」や、ライブハウス「インクスティック芝浦」に大勢の人が集まり、運河沿いにテーブルを並べた「Tango」といったレストランが最先端を極めていた。

そんな浮世離れした時代から数十年を経て、再び運河沿いに小さなイタリア料理店が産声を上げる。オープン当初は、バブル時代の回顧もできる運河沿いの小空間として食マスコミにも取り上げられていた記憶があるが、シェフの経歴やイタリアに対する憧憬とは異なると感じていたし、実際に取材をしてみると、シェフの狙いはそこにはなかったことがわかった。

シェフの池ノ谷さんがこだわったのは、あくまで「港区」という場所だった。西麻布にて長い間シェフを務め独立する際、やっぱり自分の店を出すなら港区。「ここは、本当に港区の端っこかもしれませんが、間違いなく港区なんですから」との言葉をよく覚えている。

ナビリオというミラノの運河の街に自分の新しい店を投影し、あくまで港区で開くことにこだわる。飄々としてさわやかな風貌からは予想がつかない、レストランを営んでいく上でのこだわりや頑固さを感じて、この店はいいなあ。ずっとこの場所で末永く続けてほしいなあ。というのが取材時のぼくの願いだった。

そしてすでに5年が経過。2011年に6年目を迎える「ナビリオ」に久しぶりに再訪。シェフを見知ったレストランを紹介するのは自分のポリシーに反するような気もして恐縮だが、取材以降、まったく顔を出すことがなかったゆえ、池ノ谷シェフも、来店したぼくのことはすっかり忘れていたと思う。

交通量の多い幹線道路に面した入口は小さく、節電の影響もあって注意しないと通り過ぎてしまう。ただ、店内は奥に長く突きあたりは全面窓でウワサの運河を望める趣向。ダイニングは、厨房を囲むカウンターと運河に開かれた窓に面した席(テラスも可)、そして3卓ほどのテーブル。当日は仲間5人との食事で、5人以上座るレイアウトにできたかどうか記憶が不確かだったが、エントランス付近は少し広くなっており、大人数にも対処できるレイアウトが組める。

田町の芝浦側にオフィスを構えていた博報堂やJTB等の大企業が移転し、そして大震災……。5年ぶりの「ナビリオ」は静かすぎるぐらいの穏やかな空間だった。でも、5年の年月を経ても、どんな環境下でも、決して変わることのない居心地のよさが「ナビリオ」の真骨頂だなあと改めて認識できた。ひとえに、シェフの心と体が強靭であることによると思う。

食したものをひとことで言うと、逆らわない料理、そんな気がする。季節の食材というとことで、ソラマメ、ホタルイカ、ホワイトアスパラ、菜の花などに集中してお願いしたが、甘く濃くそして苦い春のテイストを十二分に楽しんだ。

もちろん、あたりまえのことだが、逆らわない料理はぶれない料理でもある。大人数だったので多種類のパスタを頼んだが、すべてにおいて最良のゆで加減。しかも、ソースとのからみもそれぞれのパスタの特徴をとらえて離さない。

こうして、5年前とまったく変わらない空気と時間の流れに浸りつつ、これほどまでの激動の年の心の疲れがみるみる癒えていくのを実感していた。次の5年、そして10年。ずっと変わらない居心地の「ナビリオ」を期待してやまない。

ナビリオ.jpg
「ナビリオ」
●東京都港区芝浦3-20-4 1F
●03-5419-2061
●11:30〜14:00LO、18:00〜22:00LO
●日休
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2010年12月01日

(35)恵比寿トラットリア・ピッツェリア「マッジ」

日本のピッツァへの功労者のひとりが

イタリアン密集地で新たな勝負へ

レストランの業界にも「美談」と呼ばれる逸話がある。この話もその部類だろうか。

大学時代のラグビー部で育まれた友情。その後二人はライバル同士の大手広告代理店に就職したが、その一人は食への夢を断ち切れず、ナポリに渡ってピザづくりの修業に入った。

修業を終えた一人は日本に戻り、ナポリで学んできた「ピザではなくピッツァ」を日本で広めるべく、東京でレストランを出したいと、大学時代の親友に(実際には、先輩後輩との話も聞いてますが)相談。

親友はその話を聞いて感激し、貯金をはたいて資金を作り、日本でほぼ初めてに近いナポリピッツァの店を、彼と共同で白金に開く。その店では、本格的なピッツァを目指すゆえ、ピッツァ窯の施工についてもイタリアから職人を呼び寄せるほどの凝りようだった。

彼らの功績によって、多くの日本人はピザとピッツァの違いを知り、というより、ピッツァという食べ物が「いかに美味しい」かに驚愕し、「ピザーラお届け」とは違う新たなレストラン市場を日本中に広げた。

と、ここまではインターネットを検索すれはすぐに入手できる話だ。ぼくはこのお二人を直接存じ上げないが、元同僚だった友人もおり、実はこの経緯も、リアルタイムで伺っていた。

二人で始めたピッツェリアは親友の経営才覚もあり大きく発展。その後、国の内外を問わず優秀な料理人を起用することで、レストラン運営会社として成功をし続けている。今やピッツァたけではなく、「サン・パウ」や「カンテサンス」といったミシュランガイド東京でもお馴染みのレストランを傘下に収めて、今後も楽しみな彼らである。

と思っていたら、ナポリで修業して帰国した一人は、2年ほど前からピッツァやイタリア料理に特化した別の運営会社を設立していた様子。そしてその彼が、恵比寿はガーデンプレイス近くの、元々結婚式の貸衣装屋だった場所に、トラットリア・ピッツェリア「Maggi(マッジ)」をオープンした。

その間の事情はまったく存じ上げないし、よく言われる成功したら別れてしまうパターンなのかもしれないが、「彼」が焼くピッツァにまた巡り合えると思うと、それは一人のファンとして素直に喜びたい。

場所は、恵比寿ガーデンプレイスとウエスティンホテルの間の坂を明治通り方面に下る道沿い。徒歩1分圏内に、同じくナポリ直送の窯でピッツァを安価に提供する店を含めイタリア料理店が少なくとも7軒はあり、元々彼らが運営していたピッツェリアもその中に含まれるというスゴイ密集地への乗り込みだ。

階段を上って2階。まさにビッツァのオリジンを訴えるべく、エントランスのすぐ左に真新しい窯が設けられ、ココでピッツァを食べずしてどこで食べるのだ、という気分にさせる。

店内は想像していたよりも広く、ぼくが訪れたときはすでに大半の席を女性ばかりが占め、各所で嬌声が上がっていた。この瞬間いつも残念に思うのだが、この手の店はどうして女性ばかりなのだろう。警官の制服を着た男性の集団がむしゃむしゃとピッツァを食べていたナポリでのシーンが懐かしい。

店内には女性客ばかりでなくスタッフの多さも異様に目立った。が、多いだけで厨房もダイニングも正常に機能していないところは、開店直後のどの店にもみられる慌ただしさだ。

さすがにピッツァはウマい。よく言われるもちもち感は当然だが、その中にしっとりとした芯もあり、噛むほどに甘味もにじみ出す。また、しつこさは一切なく、量を食べてもスーとお腹に入ってくる。その辺が女性にウケる所以とは思うが……。

いっぽう、パスタは少々いただけない。2品乾麺を頼んでみたが茹で加減ですら安定していなかった。一品は茹ですぎでもう一品は間違いなく茹で足りない。後者の一品はあまりにも固くて(アルデンテという認識からは大きく外れていて)一応クレームを伝えた。ピッツァの窯には、ネイビーのポロシャツを着たオーナーがつきっきりで火加減を見たり指導したりしていたが、パスタについては他のメンバーに任せきりのようで、トラットリアとしての看板を上げるなら、その辺もしっかりと目を行き届かせてほしいと思う。

ただ、トータルとして安価な設定と忘れがたいピッツァの味には脱帽だ。もう少しコナレてきたあたりで、お腹を空かせて再訪したいと思う。

トラットリア・ピッツェリア「マッジ」
maggi (1).jpg
●東京都渋谷区恵比寿4-23-9 恵比寿ブルーメ2F
●03-6450-3461
●11:45〜14:30LO、18:00−25:00LO(月〜金)/17:30〜25:00LO(土)/17:30〜22:00LO(日祝)
●無休
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2010年11月15日

(34)西麻布「オステリア・フィオレンツァ」

西麻布にあって日曜営業のイタリアンで

グッドバリューな料理と酒に酔う

2000年代前半、情報ポータルサイトに記事を投稿していたころ、文京区は本郷にある「ココ・ゴローゾ」というイタリア料理店を熱心にメールで紹介してくださった方がいた。その当時はとても様々な方から「ここに行け!」とレストランの紹介を受けた。ぼくにいただくその手のメールは、比較的信憑性の高いものが多かったので、そんな情報を頼りに出かけ、すばらしいと感動したことも度々あった。

「ココ・ゴローゾ」の推薦メールは、今でもよく覚えているぐらいだからとても素敵な文面だったのだが、どうも文京区本郷という場所が自分にとって縁の薄い場所なのか、残念ながら未だに訪問は果たせていない。

そして、そうこうしているうちに、「ココ・ゴローゾ」が京橋に「リストランテ・フィオレンツァ」というリストランテをオープンしたとの情報を入手した。

本郷に続いて京橋・・・。こちらも決して頻繁に顔を出すエリアではないものの、本格的なイタリア料理を食べたいとの気運が高まったある日(といっても随分前だが)、イタリアン好き、そして酒好きのメンバー数名で押しかけた。

すばらしい店だった。客は女性ばかりだけど、料理は男性的。一皿一皿にタップリと量があり、フィオレンツァというだけあって特に肉料理に力を注いでいて、とかく日本のイタリアンでは軽んぜられるセコンドピアットにも、十分な盛り上がりを見せる。

聞けばこちらのシェフは、フランス料理店「ロアラブッシュ」や「ステラマリス」で、フランスのミシュラン一ツ星シェフ吉野建氏に師事。その後イタリアへ渡って、イタリアの郷土料理を学んだ。さらに、彼の店では日本風にアレンジしないイタリア料理を出すことをモットーとしていることも知った。

そして、セコンドピアット以上に盛り上がったのが食後酒。実に愉快で説明巧みなソムリエがいて、様々にハードリカーをススメてくるので、相当飲みすぎたことを記憶している。

「ココ・ゴローゾ」「リストランテ・フィオレンツァ」ともに、ちゃんとブログ等での情報発信もされているが、場所が飲食密集エリアではないだけに、その実力や魅力に比してなかなか顔を出す機会が訪れず残念に思っていた。

そして。
この「リストランテ・フィオレンツァ」は、2010年5月に西麻布にも「オステリア・フィオレンツァ」として姉妹店を出店していたことを比較的最近知ってガクゼンとした。超イタリアン過密エリアへの出店である。しかも外苑西通り沿いの「旧タケオキクチビル」とは・・・。このビルへは1980年代後半から地下にあったバー「BOHEMIA」に通っており(現在はおでん屋)、今も頻繁に前を通っていた。

そして早速、西麻布の店「オステリア・フィオレンツァ」の客となった。まず最初にウレシイ特長からお伝えすれば、ここ「オステリア・フィオレンツァ」は、西麻布にあって日曜日に営業をしている。これはぜひ記憶にとどめておくべきだろう。そしてついでにもう一つ特長を言うと、イタリアはモレッティの生ビールが飲める。手間や原価を考えたら大変なご苦労だと思うが、イタリアでは何度も喉の渇きを癒してくれた思い出の味に、最初からイタリア気分が高揚する。

店内はオステリアと称するだけあって、テーブルにクロスは掛かっておらず、京橋よりは随分カジュアル。メニューは冊子もあるが、黒板のスペシャルもかなりの充実。そしてなにより安い。ここは西麻布だろうか・・・と自問自答してしまうぐらいの居酒屋価格である。

ただし、そんな安価ゆえ皿が気の毒なぐらいのポーションなのかと危惧するも、杞憂に終わる。メニュー数も豊富なうえ京橋店同様に量も十分。そして、そのひとつひとつに丁寧な仕込みがされていて、パスタの種類も数々ある。

ビールからワインに切り替えると、「リストランテ・フィオレンツァ」同様(価格はぐっと西麻布の方が安価だが)、酒に関しては任せてくれといった饒舌なソムリエが登場。私たちが飲む客と理解するや、ぐいぐいとグッドバリューなボトルを押してくる。

そんな彼からの「デザートはいかがですか」との呼びかけにも、すかさず食後酒を所望すると、思いっきり彼の頬は緩み、ガラガラとワゴンを押して大量のハードリカーが運ばれてきた。

さて、「オステリア・フィオレンツァ」のシェフは、元々冒頭でも紹介した「ココ・ゴローゾ」でシェフをされていた方だそうだ。ぼくの7年間の不義理も、やっとここで解消されたかなあと少し安心した。

fiorenza.jpg
「オステリア・フィオレンツァ」
●東京都港区西麻布3-17-25
●03-6447-0144
●11:30〜13:30LO、18:00〜23:00LO22:00
●月休
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2010年10月01日

(32)銀座「アロマフレスカ」

銀座に進出した

日本のイタリア料理店の王者

銀座に移転した「アロマフレスカ」に行ってきた。
流石、という言葉しか思い浮かばない圧倒的に寛いだ時間だった。

「アロマフレスカ」の広尾や麻布十番時代の思い出は、「クラリタ ダ マリッティマ」の記事に大半を書いたので、ここが本家ではあるけど省略。ただ、麻布十番に移転した当初「カーザ・ヴィニタリア」のみの営業とし、その後、満を辞して「アロマフレスカ」オープンに着手した経緯から、ここが「かの店」にとっての最終形なんだろうなあと、個人的には解釈していた。

ところが銀座進出である。しかもレストランやショップが多々入る雑居ビルの最上階。さまざまな目的の人々と明るすぎるエレベーターに乗合わせなければならない。

いろいろな機会で「レストランに行く目的は店へのアプローチから始まっている」と書いていきたぼくだが、この店ばかりは、最寄り駅で待合せて一緒に向かうのではなく、「店のダイニングに集合」としたほうがベターかもしれない。

といいつつも、満員のエレベーターに乗ってさまざまに階層を選ぶ中、自分が「12」のボタンを押し、視線が一斉に「12」にはなにがあるのかと上を見上げる瞬間は、多少誇らしくはある。

到着したフロアは左右に分かれていて、向かって右手が「アロマフレスカ」、左手は、ディフュージョンである「サラ・アマービレ」。エレベーターを降りた瞬間にはレセプションも看板もないので、初めての客はどちらに行っていいのか分からない。ホテルの最上階にありがちのチープなレストランフロアを思い浮かべて若干苦笑。

若いサービススタッフが飛んできて、「どちらに行かれますか」とすぐさま問う。店名を告げると方向を示されて終了。コース20,000円の店なら、せめて入り口まで案内をしてほしかったなと思う。

そう、麻布十番から銀座に移った「アロマフレスカ」の最大の変化は価格を大幅に上げたこと。9,000円だった定番のコースが16,000円に、11,000円は20,000円になった(皿数が少し増えたのと税サ込みではあるが)。

これを一般には、銀座に出店して地代が上がったからだと解釈する向きもあるけど、ぼくは、少しでも予約を取れやすくしたい、混雑を緩和させたいと願う店側の挑戦と受け取った。
価格を上げることによって、抑止力がかかり予約が楽になるのか、客層が安定するのか。それはこれから検証されていくことになる。ただ今まではあまりに安価すぎて、需要と供給のバランスがとれていなかった。

いっぽう、ワインの価格は据え置き。というか、コース20,000円のレストランにしては異常に安く感じる価格帯である。ワインの価格は訪れてリストを開いてみないと分からないし、飲まない人にはあまり関心がないゆえ、逆にワインの価格は上げる必要がなかったとも考えられる。

さて、再びダイニングに目を向けると、全体的にぐっと照明を落として安易に写真を撮れなくし(笑)、真ん中に大きな植物のアレンジメントを施す。それを囲むように円テーブルのみを配置。ぼくが訪れた日は9卓。全てがカップルなわけで、円卓の片側は全く死んでしまう贅沢すぎるレイアウト。壁側をベンチシートにして四角いテーブルを使えば2倍は集客できるだろうけど、あえてそれはしない。というか、するつもりもないだろう。
しかも、同じサイズの円卓のみを使うので、予約人数のマックスは6名と限定している。お食事会的な団体様を排除する目的もあるのだと思う。

「アロマフレスカ」のダイニングを統括するのは田渕勝俊マネージャー。「クラリタ ダ マリッティマ」の植野剛史さん同様、ずっと以前からアロマフレスカグループのサービスを支えてきた古株。植野さんとタイプは異なるが、これまたサービスマンの鏡のようなステキな方である。田渕さんと植野さんが麻布十番時代の「アロマフレスカ」から抜け、個人的にはすっかりこの店への興味を失っていただけに、ぼくにとっての最大の朗報といえよう。

さすがに「カーザ・ヴィニタリア」のころのようなコミカルで楽しい接客には、店は広すぎるしコンセプトも異なるが、日本を代表するイタリア料理店のマネージャーとして堂々たるもの。相変わらず動きにキレがあり、しなやかな応対も抜群だった。

料理の内容はあえて論ずるまでもないと思う。少し次の料理がサーブされるまでの時間がかかりすぎ(特に前半)とは感じたが、少しでも長く、あの贅沢な空間にひたっていられることをラッキーと受け止めるべきだろう。

「アロマフレスカ」は、さすがに日本のイタリア料理店の王道。しかも常に新しい仕組みを求めて挑戦も続けている。パーツパーツでは「アロマフレスカ」を超える店もあるが、総合的に日本のイタリア料理店でここを超える店はあるのか。当分は「アロマフレスカ」を追う店を探すことになりそうだ。

fresca.jpg
「アロマフレスカ」
●03-3535-6667
●東京都中央区銀座2-6-5 銀座トレシャス12F
●17:30〜23:00 (LO 20:30)
●日月

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2010年05月15日

(25)クラリタ ダ マリッティマ

トップサービスマンが作り出す

江ノ島の海に輝く空間と地元ならではの料理

前回、「アロマフレスカ」から独立したシェフの店を取り上げたが、もう一度今回も「アロマフレスカ」にまつわる話題から始めてみたい。

広尾にオープンした初代「アロマフレスカ」を皮切りに、品川のビル内にできた「アロマティコ」、麻布十番の「カーザ・ヴィニタリア」〜「アロマフレスカ」。そして、名古屋は栄のデパート食堂街にある「アロマフレスカ名古屋」、熱海の山側にひっそりと佇む料亭「和び」まで。ずっとアロマフレスカグループのサービスの要として働き続けた方がいる。

植野剛史さん。ぼくは植野さんの接客がとても好きで、30年食べ歩き続けて出会ったなかでも、トップクラスのサービスマンだと尊敬している。植野さんが、麻布十番の「アロマフレスカ」を去られて以降、すっかり「アロマフレスカ」には興味がなくなってしまったほどである。

ただ、上記のように長くマネージャの責務を全うされていても、植野さんのスタイルは、人気絶頂店のリーダーとしてそれらをまとめる支配人的なタイプとは異なる。常に個々の客と1対1で向き合い、均等に平等になるよう気を配るのだ。動きも静かで優しくサービスの節目節目にタメがあり、たとえれば日本舞踊のよう。決してタキシードが似合う堂々たる体躯ではないが、その所作に溢れんばかりの誠意がある。

そんな彼が、アロマフレスカグループを辞して独立開業の準備に入ったとの話を聞いた。生まれ故郷の湘南にて、が希望とのこと。そして2009年2月、アロマフレスカグループの料理人と共同で、江ノ島にてスタートしたレストランが今回取り上げる「クラリタ ダ マリッティマ」である。

江ノ島は首都圏の一大観光地ではあるが、すでに街としてピークを過ぎ、サザンが歌うようなオシャレなエリアとは言いがたい。でも、「クラリタ」のある場所は、江ノ島へと続く土産物街道とは一線を引いた静かな江ノ電沿い。付近には、観光客相手ではない老舗とおぼしき干物店が軒を連ねる。

ダイニングは16席程度でさほど広くなく、植野さん一人が仕切る。
席に着いてしばらくすると、このダイニング最大の魅力に気づく。江ノ電が通る側に面した大きな窓。そこには、色も形も様々なクルマの往来ではなく、大きなストリートカーが窓一面に一定間隔で繰り返し通り過ぎていく様子が見える。こんなシーンは、ポルトガルのリスボンやカナダのトロントでしか記憶がなく、あまりにも非日常な風景。普段見慣れない動きの連続も面白いし、店の壁に大きなスクリーンがあって、そこに秀逸な環境映像が映し出されているような効果もある。植野さんに、江ノ電が通るのがいいですね。と聞くと、「それが魅力でこの場所に決めました」と即答だった。

また、植野さんらしい心配りやサービスは店の随所で見つかるが、客席全てに配置される、日時と予約者の名前入りメニューがその象徴といえよう。毎日毎日、日付と名前を入力し人数分のメニューを刷る。これが自分の店で一番やりたかったと彼は言うが、手間は大変なことだろう。

「お飲み物は?」の問いに、ワインはおまかせしますよと返すも、「一度ワインリストをご覧くださいよ」と渡される。なるほど、すぐにその意図を理解した。広尾の初代「アロマフレスカ」当時と同じように、ワインリストが巻物になっている。わー懐かしい、巻物ですね。と言うと、待ってましたとばかりに「前は塩ビでしたけどね」と相好を崩す。

ところで、「クラリタ ダ マリッティマ」とは、「輝き、海辺より」との意味だそうだ。文字通り、嘘偽りなく、目の前の地物で勝負する。植野さんが一冊ずつメニューを刷り、帰りに客に持たせるのは、そういった海の輝きを忘れずお持ち帰りくださいとの想いもこめられているのだろう。それが証拠に、メニューには、江の島産、腰越産、長井産、三崎産と湘南の地名がずらりと並ぶ。肉料理も「やまゆりポーク」と神奈川産出の豚肉だ。

中でも、スペシャリテの言葉どおり「腰越産生しらすのリゾット」は忘れがたい一皿。生シラス丼を求めてあちこちで行列を作る人たちを尻目に、正真正銘、目の前の浜で取れた生シラスが、芯を残しつつもしっとりとスープに絡んだリゾットの上に載っている。シラスからは、新鮮さを現す潮の香りとともに、ほのかに生姜が加わる。口に運ぶと、歯ごたえと苦味がシラスの生命力を舌に伝え、遥かイタリアとも重なり合う。前回の「アーリア」でも書いたが、当然のようにアロマ(香り)は、アロマフレスカから継承されていて、地元の食材の魅力を引き出す一助になっていると思う。

厨房で機敏に動く料理人を見ると、まさに海の男のように皆さん真っ黒だ。聞けば、仕事の合間に寸暇を惜しんで海に向かうそうだ。植野さんが「休憩時間にはサーフィンもできるよ」と口説き落としたのかもしれない。植野さんも日焼けしてますね、と返すと「いやー、ぼくは通勤の自転車焼けです」と、広尾の頃から変わらないシャイな笑顔を見せた。

clarita.jpg
「クラリタ ディ マリッティマ」
●0466-47-3544
●神奈川県藤沢市片瀬海岸1-6-11 1F
●11:30〜15:00(LO14:00)、17:30〜22:00(LO20:30)
●月休、毎月最終火休

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2010年05月01日

(24) アーリア

超人気店から受け継がれた

“香りの料理”とくつろぎの空間

予約のとれないレストラン、その筆頭といっても過言ではない「アロマフレスカ」は、現在第三期に入った。多くの方がご存知のように、最初は東京メトロ広尾駅の最寄り。明治通りから少し奥に進み、小さな橋を渡ってすぐの地下。本当に小さな小さなレストランから始まった。

そんな空間からは想像もつかない大ぶりの花が、いつも店の奥にドンと活けられていて、モダンでシンプルなダイニングに、むせるような艶っぽさを放っていた。当時のぼくは還暦を過ぎた母を連れて行ったことがあったが、強く感激するものの「こんな場所に私を連れてくるようじゃ、あかんで」と笑われたものだ。

そんな広尾の「アロマフレスカ」も、発祥の場所に別れを告げ麻布十番へと移った。同じように席数を絞り、様々に植物を配するしつらえは同様だったが、艶っぽいというよりは濃淡のある大人の空間へと変貌していった。

そして2010年春、麻布十番にても予約のとれないレストランとして名声を保ち続けた「アロマフレスカ」は、銀座へと移転。
今回は「アロマフレスカ銀座」の第一報をお届けすることも考えたが、ぼくにとって「アロマフレスカ」はすでに過去の店となりつつある。既存の超人気店をトレースするよりは、そこを巣立って次のステップへと駒を進める次世代のメンバーに対する興味のほうが尽きないのである。

話を戻すが、「アロマフレスカ」が麻布十番に移転した後(正確にはいったん品川の「アロマクラシコ」へと移るのだがその辺の詳細は省略します)、その後の同じ場所に「アロマフレスカ」のオーナーシェフ原田氏に薫陶を受けたひとりの料理人が「リストランティーノ・バルカ」を開いた。師匠から直々に身代を引き継ぐのだから、まさに免許皆伝とでも表現しようか。ちょうど「分とく山」が移転した後、同じ場所で愛弟子が「すゑとみ」を開いたのと同様である。

「リストランティーノ・バルカ」は、アロマフレスカ時代に花が活けてあった部分がカウンターとなり、店のレイアウト自体は大幅に変わったものの、一部に同じ家具が使われ、底辺に流れるスピリットが奥深くに息づいており、「アロマフレスカ」のカジュアル版的気軽さもあいまって、とても好きな店だった。

カウンターを設けたことでも気づくように、優れたワインを比較的安価で飲める環境が整い、ぼくはここで、個人的には生涯最高との印象を持ったキアンティ・クラッシコと出会った。

つい最近、たまたま前を通りかかって「リストランティーノ・バルカ」が閉店していることを知り、ショックを受けた。ところが、程なくして閉店ではなく移転のようであり、「アーリア」という新しい名前で、まさに「アロマフレスカ銀座」のオープンと同時期に恵比寿にオープンしたことがわかり、さっそく訪問。

恵比寿駅西口から駒沢通りを代官山方面に。しばらく歩いて最初の大きな十字路を右へ折れると恵比寿西公園が見えるが、その筋向いにある白い建物の4階。いわゆるペンシルビルと称される狭いスペースに建った真新しいビル。この界隈はかなり頻繁に歩くが建設中であることも気づかなかった。

このビル、1階にはカフェというかワインバーもあり、4階の「アーリア」と同系列とのこと。さらに、その1階店舗を通り抜けないとエレベーターに乗れない構造になっている。「アーリア」に向かうなら抵抗はないが、それ以外にも店舗が入っている様子で、そこのお客さんにとっては若干入りにくいのではないだろうか。実際「アーリア」に行く時も、1階店舗スタッフの視線がとても気になった。

ま、そんな枝葉末節はさておき、4階に到着するとそこは別世界。落ち着き研ぎ澄まされ無駄が一切ない空間。「リストランティーノ・バルカ」から、さらに一段上の完成された姿を一瞬で垣間見た。

ペンシルビルのサイズゆえ想像はついたが、これもアロマフレスカイズムだろうか。ダイニングは20席に満たない小スペース。恵比寿西公園に向いた窓に2卓、内側に数卓。そしてテーブルを優しく照らす美しいシャンデリア。実にゆったりと、食べる側への究極のくつろぎを演出している。

料理はこの店のスタイルが味わえるとする8200円のコースとアラカルト。アラカルトの品数は、オープン間もないからか、もしくはこの店のスタイルなのかは不明だが、さほど多くはない。でもその文字や行間を読むだけで香りが立ち上るような錯覚を受け、迷わずアラカルトから、あれこれと迷いながら料理を選択。

誤解を恐れず言えば、ぽくにとって、アロマフレスカの料理に脈々と息づいているのは「香り」そのものであると思う。それは、ガツンとイタリアらしさを想起させる匂いではなく、トウキョウイタリアンの優しいフレーバーでもない。季節ごとのそして日本の食材独特の、色までも見えてきそうに感じる香り。それこそが個性だと感じている。

それは「アーリア」でも健在だった、まず、アミューズとして出されたひと口大のアランチーニ(ライスコロッケ)。熱々のものを口に含んで咀嚼するとぐわっとフキノトウの香りが広がる。最初からやられてしまった。そして、魚介のパスタには磯の、鴨肉のラグーには獣の香りが、奥に奥にと広がっていく最新の3D映像を見ているような余韻で楽しめる。

ワインリストは皮製のブックタイプで、相当立派なもの。眺めているだけでも幸せだが、店の照明がほの暗いこともありどんどん時間が経ってしまうので、ソムリエに一任。泡、白、赤いずれの段階でも3本ほどのボトルを並べて説明を受けたが、その内容も価格的にも充分満足。加えて、最後にもうちょっとだけ赤ワインが飲みたくなり、グラスでもいいかとその日のグラスワインの説明を聞いていたら、あまりにもそそられてボトルごと頼んでしまった。

ただ「アーリア」の難点のひとつは、閉店時間が23時と早いこと。ランチ営業もしているしビルの都合でやむをえないとの説明だったが、銀座のど真ん中でもないので、せめて終電に間に合う時間帯までは営業していただきたいものだ。

遅くスタートし集まりも悪かった当方に非はあるけど、よどみないディナータイムだったゆえ、終わりを告げられたときの失望度合いも大きかった。

最後に、「アーリア」を訪れる際「リストランティーノ・バルカ」で出会った最良のキアンティ・クラッシコを見つけたならぜひ飲んでみようと決めていたにもかかわらず、「アーリア」で過ごした時間のあまりの快適さに、店を出るまですっかり忘れてしまったことを付け加えておこう。

aria.jpg

Aria (アーリア)
●東京都渋谷区恵比寿西1-12-11 Biosビル 4F
●03-3496-5050
●12:00〜14:00(LO)、18:00〜21:30(LO)…23:00(Close)

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2010年03月01日

(20)ラ・レッテラ

フレンチの街(?)に堂々と挑む

ほどよい直球のイタリア料理

食に対する斬新なアプローチと熱い情熱を兼ね備えた友人夫妻と食事をすることになった。ぼくよりかなり若手なので本来ならぼくが店を選ぶ立場なんだけど、彼からのメールに掲げられた店のリストに未訪のイタリア料理店が一軒あった。さっそくネットで確認するとメチャメチャよさげ。これなら、先輩だからと主導権を握るより彼らの提案にのっかるほうが間違いない、と判断したぼくは、さっそくそこに行きましょうと返信した。

場所は神楽坂。目指すは「ラ・レッテラ」。

神楽坂といえば、昔ながらの色町風情に溶け込む日本料理か、近くにフランス政府の公式機関である日仏学院があって、神楽坂界隈を「日本の中のフランス」とイメージづけているゆえのフランス料理か。確かに歩いている外国人のフランス人率は高いんたけど、神楽坂がパリに似ているとは、ぼくには決して思えない。

ただ、少なくとも飲食店の密集地であることは確かだし、何度訪れてもぼくの血が騒ぐのもまた隠しようのない事実である。特に、チェーン店にほとんどの場所を占領された神楽坂のメインストリートから横に折れると、細い道の両側には一軒一軒すべてを訪ねてみたくなるような、小さくて魅力的な飲食店が並んでいる。そんな店群に後ろ髪を引かれながら、本日の目的地「ラ・レッテラ」に向けて進むのだった。

ところで、“イタ飯”とニックネームもできるぐらい、日本人はイタリア料理好きである。ただそんな彼女たちが「今日はイタめしぃ」との選択肢に入るイタリア料理店は、そのほとんどがトウキョウイタリアン、つまり日本風にアレンジされた料理のような気がする。

ぼくたちは子供のころから、ナポリタンやミートソースといったスパゲッティに親しみ、ひとり暮らしでデリバリーのピザを覚え、グラタンやピラフも主食としている。でもそういった料理のルーツはイタリア本国からダイレクトではなくアメリカを経由して入ってきたんだという事実は、ゆですぎのパスタや分厚いピザをアメリカで食べると容易に気づく。

いっぽう、現地で修業を重ね日本に凱旋した料理人は(もちろんそうではない方も多くおられるが)、イタリアで学んだやり方を日本でストレートに表現するのではなく個々人の創造性もそこに込めた。加えてオペレーションのやり方やサービス方法も、あまりイタリアの例にならわなかったのではないだろうか。20数年前から始まったその流れは、江戸前イタリアン〜トウキョウイタリアンとも呼ばれ、日本人、特に女性の大多数から評価されるに至った。

ただ、そんな店でイタリア料理を何度となく経験した後イタリア本国で食べると、改めてイタリアの料理ってこんなにおいしいものなんだと嘆息し、提供の仕方やサービスの流れなども、言葉は通じずとも随分と心地よく、かつ食べ手の心をつかんでいるよなあと、特に南に行けば行くほど感じることが多かった。

そして、神楽坂の「ラ・レッテラ」に話を戻す。

ここは神楽坂から脇に入り左に折れて、くだりかかった道が二股に分かれたその真ん中にポツンとあり、その立ち姿がまず日本のレストランイメージとは離れている。建物がほぼ三角形でその先端部分がエントランス。入口からすると中はとても小さな店のように感じるけど、入ってみるとそこそこスペースがあり、テーブルレイアウトもうまく工夫されている。

ダイニングには女性スタッフがおらず、ラフな服装の男性が気軽に声をかけながら料理やワインを提案し提供する。といっても決して軽すぎたりボナセーラと叫ぶ(古いかな!)系でもない。こんなところからすでに、南イタリアで体験した現地のレストランに近い姿、というかフシギな既視感があった。

料理はニョッキもリゾットもあるし南イタリアにこだわっている風ではなく、スタッフ自ら釣ってくるという鮮魚の料理が黒板に書かれていてその辺がウリのよう。生でも焼いてもパスタと和えてもOK。でもパスタは南イタリアを意識した固めのゆで加減が絶妙。また、きっちりと仕込みがされた口当たりの個性的なアンティパストも豊富で、ワインは確実に飲みすぎる。

スタッフの人数がギリギリなので料理やワインのサーブに待たされることもあり、個人的には、もう少しひと皿の量が多いと、もっとリアリティがあるよなと思う。でもイタリアを訪れたり暮らしたりした経験があって、そこでの料理やサービスとトウキョウとになんとなく違和感を持っているような方には、「ラ・レッテラ」はかなり待望久しかった店となるような気がする。実際ぼくは、その友人夫妻と皿を平らげ杯を重ねるごとに「コレだよ」と快哉を叫んでいた。

でも、この店は好みが分かれるかもしれないなあ。反面、一緒に行く人を選ぶドキドキ感や楽しみと、選ばれた自分が思いっきりハマッたときの喜びがたまらないレストランともいえよう。

食事の後半でここのオーナーと少し話す機会があった。店のオープンに際し、当初は恵比寿や代官山に出したいと思って探したがいい物件がなくココに落ち着いたという。でもトウキョウイタリアンの聖地のような恵比寿・代官山には「ラ・レッテラ」は似合わないだろう。神楽坂でよかったよ。

lettera.jpg
ラ・レッテラ
http://www.la-lettera.com/
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2009年09月15日

(11)ビオディナミコ

名マネージャーが手がける

ネット時代をいく感動のイタリアン


インターネットの情報サイトでレストランの紹介をしていた頃、印刷媒体や料理マスコミに未だ取り上げられていない新規オープンの店について、いち早く書く(というか書ける)ことに少なからず興奮したものである。と同時に、これからは飲食関連の情報もインターネットが主になるであろう潮流を強く肌で感じていた。

その後も爆発的にウェブの情報量は増え続け、ネット上で確認できないレストランはほぼ皆無といっても過言ではない。いっぽう、そのネタの信憑性や精度、そして表現や評価方法にいたるまでがバラバラ。取捨選択のために時間を浪費し疲弊するケースが度重なってきた。

今回取り上げる「ビオディナミコ」は9月15日現在でオープン未だ10日。そんな店に出会い、ここにいち早く精度の高い情報を提供できることで、久しぶりに高揚している。

少し時代を戻すが、銀座に「シチリアーノ」という南イタリア料理店があった。徹底してシチリアにこだわり、シチリアはエトナ山麓の店でずっと修業をしてきた料理人を起用。ぼくは大いに気に入ってシチリア在住の友人をお連れしたほどである。その店のプロデューサー兼マネージャーとして毎日ダイニングに立っていた藤巻一臣氏は、その後横浜に移って「サローネ2007」という強烈な個性のイタリア料理店を開いた。

横浜を京成立石や葛飾区金町よりも遠く感じるぼくは「サローネ」に行きそびれているが、いまや横浜一との呼び声も聞く。そして、横浜に移転後も気になる動向はずっとホームページでチェックを続けていたところ、藤巻氏は彼らの原点である「タベルナ・ポルタポルテーゼ」をリノベーション。古巣の渋谷に戻って新たな店を開くという情報を得た。

これは行かねば。気もそぞろである。

その新しい店「ビオディナミコ」は渋谷区神南。世界一鬱陶しい渋谷駅に降りるというハードルを乗り越え、喧騒を抜け渋谷の谷底から脱出するように坂を上がった一角。ガラス張りビルの2階へと非常階段のようなステップを目指す。一時代前、渋谷・原宿辺りに散在した外観。

ところがドアを開けてイメージは一新。白一色で統一された明るくみずみずしいダイニングは、照明をぎりぎりまで落としていた銀座の「シチリアーノ」とは対照的。席数は銀座同様に16席程度で、藤巻氏がすべて目の届く範囲に絞っている(これは、ゆくゆくはプラチナシート確実)。

藤巻氏の今回のテーマはトスカーナ、というかトスカーナオンリー。シェフは若干28歳。料理人を志して最初にトスカーナで修業。続いて「ヴォーロ・コズイ」でスーシェフとして3年。その間腰を痛めて厨房に立てなくなった西口氏を全面的に支えてきた。ただ「ビオディナミコ」では「ヴォーロ・コズイ」での教えは封印。徹してトスカーナ時代に学んだ料理をそのまま一切のアレンジを加えず提供する、というのが藤巻氏と交わした約束。

銀座と同じように、シェフひとり、サービス兼ソムリエひとり(実際にはもう一人おられたが)でのぎりぎり編成は変わらず。それで運営していくための工夫も斬新である。

まず、電話により店内での作業や接客が中断されないよう、予約はインターネットに限るとした。これは実に画期的なこと。冒頭に書いたレストラン情報もインターネットが主となるとの潮流と呼応している。

料理はアラカルト(ランチを除く)のみ。ただ、皿をシェアするのは原則オススメしていない。シェアするお客様に対応する時間を他に使いたい意図であろう。メニューは前菜・パスタ・メインがそれぞれ4種類ずつ。そのいずれを選ぶかなどできないぐらいにすべてが垂涎モノ。加えて藤巻氏の堂々たる解説が加わり、さらに迷いの極致に達してしまう。

そこで「ビオディナミコ」には、4名で訪問されてみては如何だろう。各自で4種類全てのメニューを注文し、相手の料理や表情を見ながら語り合うのが最高に楽しそうだ。さらに、圧倒的な存在感で「ビオディナミコ」の皿への愛情と自信を語る藤巻氏には、相当の意気込みで挑んでほしい。自分たちの食べたい飲みたい気持ちをあらゆる手段を使って藤巻氏に伝えれば、彼の大きな体からさらに魅力的な言葉を聞くことができるだろう。

それにしても、料理はメチャメチャうまかった。五感を目覚めさせる前菜の存在意義。パスタの茹で加減やソースとの絡み具合の絶妙さ。そしてメインの奥深さとガッツリ感。特筆すべきは、トスカーナゆえ肉料理が中心と思いきや、シェフの修業先は海から200キロも離れた場所ながら魚料理専門店だったらしく、魚介の扱いも繊細かつ大胆である。

ワインはもはやココで取り上げるまでもないが、トスカーナのビオワインのみの取り扱いに徹するも、その表現力たるやヨーロッパ全土から取り寄せたんじゃないかと嘆息する。

最後に、「ビオディナミコ」は昼のランチタイムから夜のラストオーダーまで休憩なしに開けているそうだ。「蕎麦屋で一杯、みたいなノリをやりたかった」と藤巻氏は語る。人気が出てそのうち1日6回転とかそんな状況になってしまうんじゃないかと、今からおふたりの体が心配である。

「ビオディナミコ」
bio (1).jpg
●東京都渋谷区神南1-13-4フレームインボックス2F
●12:00〜22:00(LO21:00)
●火休
http://www.bio-dinamico.com/index.html
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2009年07月15日

(9) ブーカ・ジュンタ

イタリア人になりきって、ひたすら

飲み、喰らい、語り合いたい

料理が毎日作りたくて"料理人"を目指したとしたら、間違いなく食べることも大好きな料理人のはずだ。ぼくは常にそう信じ、信念を変えることなく、そんな料理人を求めて30年以上食べ歩いてきた。

もちろん、料理を作ることも食べることも"職業"と割り切る方も多いと聞く。ま、どんなシゴトでもそうだしね。でも、ぼくがレストランに行って、料理やお酒を前に食いしん坊&飲兵衛ぶりを発揮しつつニコニコしていると、同じ想いや趣向が伝播するのか、スタッフの雰囲気やシェフの応対は確実に変化し、そのたびに得も言われぬ幸福を味わってきた。

ここ「ブーカ・ジュンタ」もまさにそうだ。
この店を知ったのはある評論家のブロクだが、その時点でシェフのジュンタ氏が、テレビ番組の司会も務めた名編集者のご子息であることやフィレンツェなどで修業した経歴も知った。ただ、ぼくにとっては、シェフの料理に対する取組み方だけが最重要ポイントで、ご家族や経歴などにはほとんど興味がない。

初めて訪れた日、少々の疎外感を感じた。1カ月以上前に予約を入れていたにもかかわらず、案内されたのは入口に一番近い末席で、メンバー5名のレイアウトは4名掛けのテーブルに1名はお誕生日席。皆が揃うと、サービススタッフは黒板に書かれたコース料理をおざなりに薦めてくる。それは受け入れがたいよなあと、グランドメニューやワインリスト(少々寂しいラインナップだが)を眺めるも、5名の意見はいっこうにまとまらない。

そこでジュンタシェフ登場。「アンティパストミスト(前菜盛合わせ)でもつまみながら、ゆっくりお決めくださいよ」と言う。快諾すると、皿の絵柄も見えないほど大量に盛付けられた豪快な前菜がドンと置かれた。「おいしいねえ〜」と言いながらアッという間にたいらげたぼくたちに、ジュンタシェフは初めて相好を崩す。

前菜と2本のワインでようやくおなかも落ち着いて、戸口に近い席の不安定感にもやっと慣れると、「ブーカ・ジュンタ」は、なんだかスゴイいい店だなとわかってくる。

ブーカとは穴倉の意味。まさに窓ひとつない静謐の空間。壁面はすべて煉瓦でドーム状におおわれていて、オレンジ色のランプが絶妙な陰影を作る。奥の壁には、藁で包んだキャンティのなつかしいボトルがずらりと並べてある。

イタリアというよりさらに南、スペインやポルトガルにでも来ているようで、ここが果して東京なのかと錯覚すら感じるダイニング。モノマネに走ったり奇をてらうことなく、オリジナルを十分に熟知しているからこそできる自然な姿でのヨーロッパとの調和。その空間で、本国並みにどっさり盛られた郷土色豊かな料理が次々と出てくるのからたまらない。特にこの穴倉で食べるパスタは最高。パスタというシンプルな料理は、結局麺のゆで加減とソースを絡めるタイミングのみが勝負だという事実を認識する。

ただ冒頭から話を進めてきたように、「ブーカ・ジュンタ」は、話題のイタリアンだからとかギョウカイ人が多そうといった理由で選ぶと確実に肩透かしを食らう。この店は、イタリア人になり切って厚かましく自己主張をしながら、ひたすら喰らい、飲み、時間忘れて語らうトコロなのだ。それがしたい(できる)人になら、まさに天国だろう。

帰りがけ、すっかり意気投合したジュンタシェフとしばし歓談。そこでシェフから、初めて訪れ過去に面識もなかったぼくたちに、すばらしい貴重な提案があった。食いしん坊同士だからこそ通じ合えたと確信するウレシイ瞬間である。

junta.jpg
●「トラットリア ブーカ・ジュンタ」
●03-6808-6009
●東京都渋谷区神宮前2-3-30 神宮前ベーシックビル1階
●18:00〜23:30LO
●日祝休

posted by 伊藤章良 at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリア料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月15日

(5) イル・マンジャーレ

ぼくが今、

食べたいパスタがここにある

1990年代の後半だったか、パスタがウマイと評判のワインバーがあった。当時は田崎眞也氏が世界最優秀ソムリエを獲得したこともあり空前のワインうんちくブーム。誰もが意味もなく、というか意味もわからずグラスを回しているシーンは気持ちが悪かったものの、その新宿の「ヴァン・ヴィーノ・ブリュレ」に、パスタ目的で何度も足を運んだ。

ウオッチャーというほどカッコいいものではないし、ご本人を存じ上げてもいない。だけどぼくは、当時そのワインバーでパスタを作っていた鵜野秀樹氏の料理を、鵜野さんが店を移るごとにずっと追っかけてきた。彼はその後、ミシュラン三ツ星の「カンテサンス」を擁するレストラン運営会社グラナダが経営する「リストランテキオラ」のシェフとなって頭角を現す。グラナダ社長(電通出身)の手腕もあってか、家庭では絶対に作れないとする、もはやイタリア料理を超越した創作レシピを引っさげ日本のスターシェフのひとりとなった。

「 イル・マンジャーレ 」は、そんな鵜野さんが、イタリアを基点に紆余曲折しながら地球上の料理をグルーッと一周して、再びスタート地点のイタリアに戻って始めた、ぼくにとっては待望久しかったレストランである。

先にレストランを辞する際の話をして恐縮だが、その時鵜野シェフは「いやー、今までいろいろと迷いすぎました……」とつぶやいた。オーナーの意向を汲むのもスターシェフを続けるのもたいへんだが、そんな時代を経てもなお、純粋にイタリアの料理を作りたいとする彼の想いは変わらなかったのだろう。

「 イル・マンジャーレ 」のメニューは、8,500円のコースと、その日のオススメ、そしてアラカルトで構成されている。乱暴というかお世辞にも達筆といえない文字が並び解読に時間はかかるが、季節・色・温度などを様々に盛り込んだ、熟読して余りある魅力的な構成。食べる前からすでに断腸の思いで、アラカルトとオススメからチョイス。プリモピアットはどうしても絞りきれず、1人1.5皿に挑戦した。

冒頭にも書いたが、パスタが本当にウマイ。まさに原点回帰。
スターシェフの時代にはこんなおいしいパスタとはめぐり合えなかった。しかも、前菜もメインも、もちろんパスタもニンマリするほど大量。典型的なイタリアのうまいものが皿の上で堂々としていた。

ぼくはふと、多くのファンに惜しまれながら昨年末で31年の歴史を閉じた「カピトリーノ」を思い出した。似ていると書くと誤解が生じるだろう。でも、情報の渦やトウキョウに巣食う手垢にまみれないイタリアへの真摯な目線は、まさに同じ。去っていくシェフもいれば、その地点からまた新たにスタートする料理人もいる幸せを、食べ手のひとりとして噛みしめていた。

余談だか、アカデミー外国語映画賞の「おくりびと」で脚本を担当した小山薫堂さんと、彼がハリウッドに旅立つ直前に代々木でしゃぶしゃぶを食べた。最近、イケてるイタリアンはどこ? との話題では、「イル・マンジャーレ」でお互いの意見が一致したことを付け加えておきたい。

マンジャーレ.jpg

イル・マンジャーレ
●東京都港区麻布十番1-9-2ユニマット麻布十番ビル6F
●03-6459-1577
●12:00〜14:00(LO)、18:00〜22:00(LO)
●月休(4月から無休)

posted by 伊藤章良 at 10:54| Comment(3) | TrackBack(0) | イタリア料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月15日

(3) オッジ・ダルマット

食いしん坊の料理人だからこそ

できる仕掛け

ぼくには「ここ、常連なんです」と胸を張れる店が少ない。1軒でも多くの店を知りたいゆえ、なじみを作っている時間がなかったからだろう。でも三度のメシより頻繁に外食活動を続けていると、シェフやサービススタッフと「食いしん坊同士」心が通じ合うことも何度かある。西麻布にオープン、その後恵比寿にも2店舗目を出した「ダルマット」はまさにそんな1軒である。

以前ぼくはある情報サイトに、西麻布「ダルマット」の紹介記事を書いた。そこへ150軒余り紹介した中でも、「ダルマット」は渾身の内容だったと今でも思う。もちろんぼくは単なる食べ手で、取材したりシェフの意見の代弁は一切書かない。しかし後で聞くところによると、その時の文章は「ダルマット」の平井シェフが迷い迷って一大決心で始めた新しい手法(低料金の超特大ボリュームおまかせコースや赤白ワイン飲み放題など)の、最初の公の理解者だったそうだ。

そんなシェフのもとからひとりの料理人が巣立ち、新たに「 オッジ・ダルマット 」を西麻布「ダルマット」の真上に開店。こんな形で営業すれば上下で客を奪い合うんじゃないかと心配すれば、「オッジ」もまたまた食いしん坊が喜ぶ画期的な魅力と個性に満ち溢れていた。

オッジとはイタリア語で今日という意味。その言葉通りディナーの予約は今日その日の10時からしかできない。逆にいえば、予約が困難な店として名を馳せてしまった「ダルマット」も、今日電話して席がゲットできる可能性がある。もっと加えると、予約がとれないので何カ月も前からスケジュール調整をして……、とか考えることなく、思いたったその日にチャンスが待っているのだ。ここに食いしん坊シェフとしての発想の転換がある。

もうひとつ。西麻布「ダルマット」は夜の店のイメージが強い。明け方まで「ラ・ベットラ」落合シェフ譲りのうまいパスタが食べられるとして、業界人や閉店後のバーテンダー等に重宝されている。いっぽう「オッジ」へは昼の顔を作った。深夜営業はやらない代わりにランチタイムを設けそこで夜と同じメニューも安価で提供。さらに1000円でスプマンテの飲み放題までくっつけた。もちろん昼の予約は当日じゃなくても可能だ。

平井シェフが、西麻布「ダルマット」でワインの飲み放題をやったとき、採算的にはかなりキツかったそうだ。だけど、気づけばワインの仕入先で最も多くの廉価ワインを売る店に成長。仕入先も同じ価格でどんどんといいワインを回してくれるようになったという。食材の仕入れもしかり。固定メニューにして最大のサービスを提供するやり方は今や3店舗の「ダルマット」でそのスケールメリットをいかんなく発揮している。

また、こうして店舗数を広げていく想いは仕入れだけではないことを「オッジ」のサービスとして期間限定でダイニングを手伝っている平井シェフからうかがった。それもなるほどと関心したが、ぼくは記者ではないしここには書かないでおこう。

そうそう、ぼくの数少ない「なじみ」である新橋の鮨店も、「オッジ」に先駆けその日の朝からのみ予約を受けつけるシステムにしている。食いしん坊の料理人はこうして呼応していくんだな、と密かに微笑むのも食べ手の特権だ。

ダルマット写真.jpg

オッジ・ダルマット
www.dal-matto.com/
posted by 伊藤章良 at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリア料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする