いとうあきら イベントの企画・運営・演出を本業とするも、無類の食べ歩き好きが高じて“食べ手”の視点で店や料理を紹介。過去の書き手になかった大人の切り口で飲食への愛情を示した。著書に『東京百年レストラン(T〜V)』。

2017年09月01日

( (104)ハワイ「Hihimanu Sushi」

カオスな近未来空間で味わう
レイモンドが握るハワイのSUSHI

ハワイに行ってきた。今年で19回目となる夏の仕事である。
ハワイの、特にハワイの食については、2017年は相当に刺激的だった。
ハワイの地場で形成されてきたオリジナルな料理やその手法はすでに過去のものとなり、アメリカ本土、南米、そして日本と、いわゆる外来種の最高峰料理店・料理人がハワイに続々と進出。すでにハワイの食を植民地化しつつある。

大きく話題になった、ハワイ「すし匠」。超一流ホテル リッツカールトン内に店を構え、江戸前に基づきつつハワイ前と称したコンセプトを掲げ、日本の魚や米を使わずハワイもしくはアメリカ本土の食材のみで創り上げる。なんといっても、東京トップクラスの鮨職人だった中澤圭二氏が、ご自身の四ツ谷の店「すし匠」を後進に譲り、すべてを断ってハワイに移住と、そのすごい決断も話題を呼んだ。

ぼくは10年近く前に、中澤さんを取材したことがある。
酢飯を二種類使い分けたり、つまみと握りを交互に出すという荒業も見事に定着させる。業界では異端児ながら、同門だけにとらわれない、すべての後輩から慕われる素晴らしい職人である。取材がご縁で「すし匠」にて18kで飲み食いをさせていただいた恩義もある。
この流れなら、いの一番にハワイ「すし匠」に訪れるべき、いや訪れるつもりでいた。ところが、結局今回は行かなかった。その最大の理由は、ハワイで暮らすアッパーなアメリカ人の友人たちから、あの店が美味しい素晴らしいという評判が聞こえてこなかったからである。

彼らの率直な意見として、むちゃくちゃ価格が高い。お酒やチップも含めれば、日本円で一人6万から7万ほど。
ゲーテという雑誌のウェブ版にハワイのスシ店特集を見つけ、「すし匠」のところを読んでみると、中澤さんの談話として「いずれいい魚は高騰し、世界の富裕層だけのものになってしまう。(中略)ハワイでやるからには、その土地のネタで旨いすしを握りたい」とあるが、すでにハワイの「すし匠」は、世界の超がつく富裕層だけしかいけない価格となっている。しかも、ホテル側の工期が遅れた結果、二年間賃貸料をフリーにしたという話もハワイのセレブには知れ渡っている。

ところが、ハワイの富裕層にとって、高額なのが最大の問題ではない。ハワイで暮らす人たちにしてみれば、なぜ、自分の身の回りで獲れる魚がこんな高額な支払いになるのかが腑に落ちないのだ。逆に、すべてニホンの築地から入れているとするなら、まだ納得できるというのである。

そして、もっとなるほどと思った彼らの意見は、日常は焼いてしか食べたことのないハワイの魚をナマで食べても大丈夫? という健康上の不安。築地の魚なら、すでに何百年もの間星の数以上の人間が生食を経験し、その実績があるが、果たしてハワイの魚はオッケーなのか、というのだ。

言い換えれば、中澤さんという日本トップクラスの鮨職人が参戦したとしても、これが世界の鮨に対する標準的な感覚、そして評価なのだと思う。日本人と違って当然だけど、評価軸が完全にずているという悔しさすら感じたのだった。

そんな中、あるアメリカ人セレブの女性から紹介されたすし店があった。彼女曰く「すし匠」と同じような『創作寿司』で、「すし匠」の5分の1ぐらいの価格で食べられ十分おいしいの、という触れ込みだ。これはぜひ行ってみるしかない。

韓国系の店が多く並ぶと言われる怪しげな路地。店の外まで音楽がガンガン鳴っているダーツバー、いやクラブと称するべきか。真っ暗な店内で立って飲んで騒ぐ大勢の若者の間を縫って奥に進むと、貧相なカウンターにスツールが7つ。ここが彼女が推薦するスシバー「Hihimanu Sushi」だった。

店主は、沖縄の米軍基地で18歳まで育ったアメリカ人。その後ハワイで日本料理とスシを学んできたという。鮨職人より、巨大マフィアに潜入するCIAの捜査官といった風情。彼はレイモンドという名前で、愛称であるレイと日本語のエイの発音が似ていたので、店名はエイを意味するハワイ語にした。日本人は誰も、エイとレイの発音が似ているとは思わないし、ましてエイは鮨タネではない。その感覚の違いこそ、スシという料理のすべてに共通してくることになる。

店の環境は、まるで「ブラックレイン」や「ブレードランナー」といったリドリー・スコットの映画の世界。東西の夜の文化が混在するカオスそのものである。純粋に清潔で明るい環境下で鮨を食べに来たなら、顔をしかめる人も多いかもしれない。でもぼくはこの近未来な、日本ではありえないシチュエーションを楽しんだ。

そしてレイのスシはとても美味しかった。もちろん創作寿司としか表現できないカテゴリで、だからこそできる、客からストップがかかるまで提供するスタイル。おそらく、日々の仕入れやレパートリーの広さにもそれなりに自信があるのだろう。

自分の舌からすれば、中澤さんの鮨との差は歴然ながら、しっかりとスシや和食をハワイで修業し書物・文献等でも勉強しているバックボーンを強く感じたことも確かだ。なにより、鮨タネだけではなく酢飯にも注力し、炊き加減や酢の配分へもきちんとフォーカスしているのが頼もしい。上質なすし酢がないからと、お酢まで自分で作るという凝りようは、お江戸の鮨職人にも通じるスピリットである。半分ぐらいは日本から仕入れた魚との話ながら、九州のイワシなど日本で食べるよりおいしいかなと驚く。魚の調理ポイントも、実はちゃんと押さえている実力がうかがえた。

レイは沖縄で暮らした経験から、カタコトの日本語ができる。
どこから来たんだという英語の質問に対しトウキョウと答えると、
「トウキョウ イイネ」と日本語で何度も繰り返す。その言葉が嫌味ではなく純粋に日本文化への憧憬と受け止め思わず微笑んでしまった。

このレイ。驚くべきことに来年には、「すし匠」があるリッツカールトンと並ぶ高級ホテルチェーン、フォーシーズンズリゾートハワイ内に自分の店を出すそうだ。つまり、オアフ島において、すし匠中澤と並び称されるポジションに着くわけである。
江戸前鮨をずっと食べてきた日本人のぼくにとっては複雑な心境だ。でも、アメリカの、いや巨大ホテルチェーンのマーケティング力を考えれば世界的なSushiに対する評価はここなのだと想像する。それが今の時点で分かっただけでも、今回のハワイの旅は価値があった。ただし、レイのスシがフォーシーズンズ内の店で幾らに跳ね上がって登場するのかについては、少々不安を覚えるが。
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2016年12月01日

(96)「麻布 山路」

偉大なる師匠たちの技と心を受け継いで
港区に帰り咲いたすしの名店

「山路」と聞いて、テレ朝通りを少し脇に入ったところにある「鮨」の大きな看板を思い出した方は、相当のすし通であろう。
もはや伝説となった鮨職人・藤本繁蔵から薫陶を受けた弟子といわれる、清水喜久男、鈴木民部、新津武昭らと並ぶ位置にこの舘野弘光氏の店「山路」はあったが、抜群の立地や店に敷きつめられた赤じゅうたんの色っぽさ、そして店主のざっくばらんな人柄等、1980年代東京に移動してすぐの自分にはとても親しみやすく、最初に受けた江戸前鮨の洗礼だった。よく言われる関東と関西とで異なるテイストとは、うどんでも蕎麦でも鰻でもなく、一番大きく違うのは「鮨」なのだ、と深く知った。

松田優作が愛した店などさまざまな逸話が残り場所柄も芸能系の方々が多い環境で、六本木ヒルズができる前のこの界隈のコアな東京っぽい雰囲気がまた格別。全国からの来客、例えば大阪の兄と慕うJ氏や広島の弟と想うI君など、食べ好きの友人も多数お連れした思い出がある。

テナントビルの取り壊しが理由とも聞くが「山路」は閉店、舘野氏は腕を買われて別の店を少し手伝っておられるとまでは耳にした。ただ、六本木当時のお弟子さんが「山路」という屋号を引き継いで、盛岡で鮨店を営まれている、との話は伝わってこなかった。

そして、もっと驚いたのは、10代のころから六本木の「山路」で舘野氏の元にて修業ののち盛岡に移って36年間続けた「山路」を閉め、再び東京の麻布に「山路」を再開させた、という事実に直面したときだ。

ご主人曰く、二人いる息子さんも料理人だが、おひとりは東京でお勤め、もう一人はすでに東京で店を開いており、盛岡の店を継ぐ人間は誰もいない。であるなら、ぼくが再び東京に行こうと思い立ったというのである。60代後半からの新たな東京出店なのだ。そんな熱い前情報のなか予約の電話を入れると、優しい東北なまりの女将さんによる応対で、これはもう間違いないと確信。心が震え静かに興奮した。

お店は、東京メトロ麻布十番駅からすぐ。軽井沢に本店のある蕎麦「川上庵」の前である。頻繁に歩いているこの界隈だが、不覚にも「麻布 山路」の暖簾に気づくことはなかった。店内にすすむと予約電話通りの柔和な女将さんの笑顔に迎えられ、この道50年というベテランながらも、新たな東京出発に意気が揚がるご主人の前へと導かれた。

刺身、召し上がりますかの声にうなずくと、いかにも老舗のごとく、皿を広く使っての4点盛。日本酒に切り替えると岩手の未経験な銘柄。ホタテ、赤ムツなど火を入れたお魚が続く。強烈にうまいかというと、それはよくわからない。でも、この上なく快適だった。

昨今の東京の鮨店は、血気盛んな若手の職人による高級食材の饗宴である。店内もその職人と呼応してギラギラに明るい。しかも、少しずつ次から次へと出てきて都度長い解説が入るので味の本質がつかめない。客はブロイラーのごとく連続して突っつき続け、落ち着く暇もない。

にぎりをお願いする。酢飯はかなりのアルデンテである。この硬さを盛岡でも提供し続けてこられたのだろうか。今の東京の主流は、もう少し酢や塩を利かせた具合だが、酢飯の炊き加減には往年の六本木「山路」を彷彿とさせるものがあった。しかもさすがというべきか、これも昨今の若手職人には技術的に追いつけない、握る際の力加減にこそ、この道50年の技を感じて目頭が熱くなる。

他の客は、焼酎を飲みつまみながらのビジネス談義で、にぎりは少々との注文。
30年前なら「すきやばし次郎」にもこんな客はいたなあと思いつつ、おそらくは盛岡でも移ってきた東京に至っても、まだまだこういった客層なのかと少々残念に思う。その日は、コハダをお願いしても寝かせが足りないのでまだ未完成と言い、かんぴょうを頼んだら冷凍しかないとの回答。

ただ、圧倒的な技術力と実直なお人柄は比類なく、しかもここが藤本繁蔵の孫弟子の店と知られることになれば、高スペックが大好きな東京の鮨フリークがいずれは日参するに違いない。
そして、そんな鮨好きが飲み客を圧倒しつつ、ご主人が本流のにぎりに注力し昔の杵柄を取り戻したあたりで(おそらくすぐだと思うが)、また再訪しようと強く誓った。

「麻布 山路」
●東京都港区麻布十番3-2-6 ライオンズマンション麻布十番第三 105
●03-6453-6717
●17:00〜23:00
●水休
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2016年07月01日

(93)日本橋蛎殻町 「すぎた」

任せっぱなしがおまかせではない。

客と主のやりとりで流れを作る圧巻のすし店

まったく個人的なレベルを大前提に、正統派江戸前鮨の将来に危機感を抱いている。それは、現在築地と呼ばれる仲卸も鮨職人もぼくたち食べ手もそれぞれに感じているが、ここでは食べ手側の危機を取り上げたい。

極論すれば、高級江戸前鮨は、今や金さえ払えばもっとも頭や気を使わずにすむ食事である。敷居が高いとか謎めいているとか、どうやって頼めばいいのかわからないとか様々に形容されてきたが、結局、金に糸目をつけなければバカでも簡単に食えてしまうのが高級江戸前鮨の現状である。正直、回転寿司の方が次になにを選ぼうかと頭をひねる。

まず、カウンターメインゆえ男女問わず一人で行ける。誰を誘おうとか、同席者とどういった会話をしようとか、そんなことは一切悩む必要がない。全国どこでも電話をして予約しカウンターに座ればそれでいいのだ。スタートからそんな楽な食事なんて他にあるだろうか。

そして、今やどこでも高級と称される江戸前鮨のメニューは「おまかせ」、つまり一つのコース料理のみである。すべて店側のおまかせにすることで自らの力量不足を隠し食材のロスを極力抑え、請求の計算も簡単。高額の支払いに客もおまかせだからと納得する。
それゆえ、何を食べるか飲むか、料理の順番や食材でどのようにディナーの流れを組み立てるか等々、まったく頭を使う必要がなく、ただただ出されたものを食べ高額のお金を払えば高級江戸前鮨に行ける時代、それが今である。

結果、「今月は毎晩鮨だよ」などと言ってしまうお金持ちがブロイラーのように餌を摂取する場となり、他人を誘えない、味以上に重要なコミュニケーションというテイストを食事の場に持ち込めない人たちの拠り所となり、お金だけは何の疑問も意義もとなえず払うので、鮨の価格だけが高騰し続ける。

気骨ある幾人かの鮨職人は、そんな状況を相当に憂いている。少しでも解決となる方法を模索する貴重な面々もごく少数だが存在する。「小笹すし」や「鶴八」は、かたくなに「おまかせ」を否定し「おこのみ」でしか注文を受け付けないし、その流れをくむ「しみづ」は、当日の朝からしか予約を受け付けないという、業界でも唯一無二なシステムを導入した。
ただ、そういったレアなケースを除けば、「おまかせ」しかない高級江戸前鮨店が、信じられないぐらいの勢いで続々とオープンし、経営が苦しくて閉店したという話をほとんど聞いたことがない。
それほど他人と交わらずに済む楽な栄養補給が魅力なのだろうか。そして、こんな時代ながらも、金があり余っている人、経費を含めた金を食事に自由に使える人がそこまで多いのだろうか。いや、そんな人が多くを占める訳はないにしても、高級江戸前鮨がどの店も10席程度で営業している環境からして、あくまで需要の方が多いというのが現状に違いない。

「すぎた」は、もともと別の場所で違う名前で営まれていて、比較的最近水天宮に移転したのは周知の事実だが、ぼくはそれを知らず、移転前の「都寿司」にも気が遠くなるほど前に一度行ったきり。そもそも予約の取れない店にわざわざ行かないので、移転前の「都寿司」もすでに自分のリストにはなかった。

友人に「すぎた」に行こうと誘われ、直前までとんかつ店だとばかり思っていたので、「すぎた」入店後もその話をしていたら、店主はそれをおもしろがって、「もうすぐ揚がります」などと返され、終始なごやかな時間だった。
銀座界隈の意味不明な緊張感とは別次元の、下町の鮨屋としての度量や円熟味が備わった店だと感じ久しぶりに心が動いた。例によって半年以上も予約が取れないということだが、そこは多少の手段を講じつつ一カ月後に再訪した。

夜は二回転、休日は昼も二回転だという。すんごい儲かってるんだなあと感心しながら夜の二回転目に訪問。指定された時間に遅れそうで慌てて駆け込んだものの前の客が終わっておらずしばらく待たされ、着席後も酢飯を作ってくるということで店主が席を外すが、その際の口調やちょっとしたつまみの提供等、実に見事で、客を不快にさせないさまは料理人すべてが手本にすべき対応だった。

もちろん「すぎた」も、おまかせのみである。大ぶりの切り口が頼もしい刺身や意外ときめ細かい料理がつまみとして提供され、その後にぎりとなる。もはやこの店のタネがどうだの酢飯がこうだのと紹介することになんの意味も意義も感じない。ただ、極めて圧巻で特筆すべきことがあった。

その日は、私たちの両側が都寿司以来の常連とおぼしき男性同士の二組。カウンター全員が一切写真など撮らない、スマホをカウンターに置くという無粋なことすらしない。都寿司の常連は、なんとすばらしいマナーの持ち主なのかと感極まった。そして店主は、カウンターの三組に対し、それぞれの好み、体調、酒の進み具合にあったバラバラのメニューをバラバラのタイミングで提供した。

ぼくたちにはおそらく、もっともベーシックな「すぎた」スタイルであったのだろう。一方常連二組には、それぞれの方々の持病まで熟知し軽口もたたきながら、扱う魚や量も上手に調整して過不足ない流れを作っていた。

「おまかせ」を頼みつつ、左右の客、そして自分たちとも違う料理が出てきたというのは鮨店において初めての体験だ。目の前で出来上がるつまみやにぎりに、あ、ぼくもあれが食べたいなあとか、いろいろと贅沢な思いをはせながらも、「すぎた」の常連への道は遠いだろうなあと観念したのだった。

日本橋蛎殻町 「すぎた」
●東京都中央区日本橋蛎殻町1-33-6 ビューハイツ日本橋 B1F
●03-3669-3855
●17:30〜、20:30〜(火金)、17:00〜、20:00〜(土祝)、11:00〜、13:30〜、18:00〜(日)
●月休
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2015年06月01日

(83)渋谷「くろ崎」

メンドウクサイ薀蓄はさておいて

店主の人柄からまずは味わいたい

久しぶりに鮨店を取り上げてみたい。

さまざまな食ジャンルのなかでも、もっとも好きなのは鮨と公言しているだけに、新規オープンの店にはそれなりに足を運び研鑽を積むようにしているが、ここ最近、どうもコレという店に出会わない。自分の感覚がなまっているのかなあと内省するも、それ以外のジャンルでは何軒も特筆したいレストランと出会っていることを鑑みると、鮨の分野、とくに東京では出色の登場があまりないのかもしれない。

私見だが、鮨は、メシの上にのっている魚の質や施された仕事を取り上げる場合が多いが、適度な硬さや弾力を持つ冷たいタネと、基本軟らかく温かい酢飯の瞬間的な結合が最重要だと思う。それをどのように創りあげるのか、という点が、すべて職人の力量にかかっている。つまり、硬さも温度も違う両者がヒトの口の中で咀嚼され、ほとんど同時に消えていくことが理想だ。タネか酢飯のいずれかだけが最後まで残るなら、完成度はまだまだといわざるをえない。

しかしまあ、こんなメンドクサイとことばかり考えていたから結局楽しめなかったんじゃないのかと、痛感させられる店と出会った。

渋谷の「くろ崎」である。

渋谷、としながらも、場所はかなり渋いロケーションだ。宮益坂を上がって左折。飲食店の灯りが途切れかけたエリアにポッツリとある。注意しないとたいていやりすごすだろう。エントランスからカウンターに至るまでもゆとりがあって、入店即つけ場という慌ただしさがない。カウンターの奥からも人声が聞こえてきたので、個室もしつらえているようだ。個人的には鮨屋に個室は不要かと思うが。
店主の話では、とにかく目立たないところに店を構えたかったという。本来ならなかなか飲食店での許可はおりない場所だそうだが、ほとんど熱をつかわない鮨屋という形態ゆえオッケーがでたという。
客はさすがに渋谷だろうか、短パンにTシャツ、ビーサンという輩もいたが、決してチャライタイプではないところが、この界隈の典型的な成功者なのだろう。もちろん一心不乱に写真を撮っている類の鮨フリークの姿はなく、ただそれだけでも快適極まりない。

店主はすこぶる爽やかなオトコだ。予約の時間に入店すると先客がいて少々待たされたが、それに対するお詫びも軽やかでよどみなく、瞬時にそんな店の不手際など忘れてしまいそうなほどだ。
ツマミばかりを先に出すとおなかがいっぱいになってにぎりを味わっていただけないので、交互に出させていただきますね、と冒頭に言う。
つまみとにぎりを交互に出す店はすでに当たり前にはなったが、最初にこんな説明をされたことってあったかなあと(きっとあったはずなのだが)、あまりにも自然体な流れに改めて納得してしまう。

酒、特に日本酒は店主もかなり詳しいようだ。
「まつもと」が一番好きなんですよ、といいつつ、「旭興」「大賀」などが普通に出てくる。それに比してワインリストは少々しんどかったかなあ。日本酒が全く飲めず鮨にもワインというメンバーが一人いたが、それでもビオワインは鮨には合わないよと選択肢の少なさに嘆いていた。ただし、ぼくは鮨店でワインを自ら選ぶことはないので、どうでもいいことなのたが。

そしてツマミもにぎりも、一定の高水準をクリアしているのは大前提として、特徴的なことはあまりない。いい意味で普通なのだ。だからこそ邪念が入らず快適で寛げるのだとわかる。ただ、酢飯はもう少しキッチリと固めていただいた方が食べやすいし、完成度の高さも感じるに違いない。その辺まで極めてからの独立という道もあったかもしれないが、それらを凌駕する人間的魅力や接客業としてのセンスが店主にはあり、一人立ちすることをすすめる諸先輩も多かったのだろうなと感じる。それほどの好青年なのである。

店主の立ち振る舞いに呼応して、他のスタッフもすこぶる気持ちがいい。女性はアルバイトなのかもしれないが、ときおり繰り出す天然な行為や言動も、ピリピリとした鮨屋にありがちな緊張感をほどよく緩和してくれている。

こうしてトータルで愉しい鮨屋、心地よい鮨屋って、渋谷という立地も相まって貴重な、というかそんなエラそうじゃなく単純に、嬉しくてありがたい存在だなあと、気持ちよく後ろ髪を引かれながら店を後にした。
なにより、今後もずっと鮨オタに占領されないでいてくれたらいいなあと願いつつ。

「くろ崎」
●東京都渋谷区渋谷1-5-9
●03-6427-7189
●17:30〜24:00
●水休

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2013年09月01日

(67)神田神保町「鶴八」

江戸前の楽しみはおこのみ、を

改めて実感

一回分、お休みをいただきました。
申し訳ありませんでした。

さて、8月1日にアップ予定だった「新・大人の食べ歩き」では、2013年5月に新しくオープンしたフランス料理店を紹介しようと考え、原稿をすすめていた。ただ、8月頭からの海外での仕事の準備が佳境に入り、なかなか原稿に取り組む時間がとれず、このサイト大家に詫びて一回お休みをいただいた。

そして、しばらく外国にいてナイフ・フォークでオイルまみれの食事をしていると(といってもこちらも決して嫌いではないけど)、帰国後フランス料理店をまとめるよりも、ずっと渡米中に恋いこがれていた「鮨」について、またまた書きたくなってしまった。前回に引き続き再び鮨店の登場で恐縮なんだけど、多少は秋の声も聞けるようにはなったとはいえ、まだまだ熱気ムンムンの都会にいると、フランス料理より鮨に食指が動いてしまうものだ。

ずっと以前だが、サイト大家と話していて、あまり食に詳しくない友人たちとレストランに行けば、コースならまだいいけれどアラカルトの場合、メニューを組んだりワインを選んだりするのは、たいていはこちら側(つまり、ぼくや大家)の役割になってしまうよね。みたいな流れになった。彼らに好みを聞いても返ってくる答えは「任せるよ」とか「信じてるから……」である。結果、こちら側の注文に食前も食後も異議を唱える人はいないけど、それなりに選ぶ側にも緊張やストレスはある。鮨屋に行くと、最初に飲み物、といってもビールか清酒ぐらいを決めて「お任せで」と伝えればあとは次々と出てくるわけで、これはある意味、同席する人との会話に集中できるし、次にどうしようとか先々に気を回さなくてもよくて、意外と快適なんだよね。との意見の一致を見た。

例えば、廉価な寿司店や回転寿司では、お好みを告げたり紙に書いたりして注文するのがカッコいいみたいな風潮もあるが、基本的には、それらの店でのにぎりたては、タネと酢飯の温度差がありすぎるので、回って来たものを選んだ方が賢明である。一方、高級とカテゴライズされる江戸前鮨は、ほとんど全ての店で、「おまかせ」と呼ばれる決まったコース料理を提供する。

座ったら、最後にお茶をいただくまでずっと、なにも注文をすることなく順々に出てくるシステムは、上述したようにラクではある。一方、食材のロスを極力減らし、旬を理由にしつつもその日の仕入れ具合によってにぎりの種類や数も決めてしまうやり方は、隣の客と同じものが出て面白みが感じられず、また店側も様々な客にフレキシブルに対応する技量を磨くことなく、仕入れと仕込みに注力すれば事足りるという結果になる。

ただ、久しぶりに「おまかせ」の存在しない、神田神保町「鶴八」を訪れ、江戸前鮨の究極の楽しみは、「おこのみ」と称される、自ら好みのタネを注文するやり方に見いだすぺきだなあと痛感した。

「鶴八」には、他界された食べ歩きの大先輩に最初に連れて行っていただいた。当時は、江戸前鮨の象徴的存在であった師岡幸夫氏が健在で、現在板場を仕切っておられる田島さんは、ぼくの大先輩を含め、常連客からみっちゃんと親しみを込めて呼ばれていた。

田島親方の代になってからも、しばらくご無沙汰をしてしまったが、何も足されず何もひかない、あのころと同じ静謐な空間がそこにあった。磨き込まれ、しっとりとした光を放つ「つけ台」にそっと手を触れてみたくなる。多くの鮨屋において、つけ台に直接、刺身やにぎりを置く店はなくなった。ただ洗うだけの皿とは違い、毎日相当の力で磨かなければならない「つけ台」の手入れは、相当に大変なのだろうと想像がつくし、また、直接置くことを清潔ではないと嫌う客も多いと聞いた。そんな中で、今でもここ「鶴八」から、「新橋鶴八」〜「しみづ」と、つけ台の上で勝負する伝統が脈々と引き継がれている。

おこのみ、でしか注文を受け付けないゆえ、逆に日々用意される鮨タネの種類は少ない。ロスは出さないように、というより、旬を逸脱した魚や品薄の魚も一切置かない。盛夏に訪れても当然シンコはないばかりではなく、サバもコハダも用意しない潔さである。

注文は板場のバックにかかげられた、その日仕入れた魚介の札を見て確認。まずは刺身として少量切っていただき、続いてにぎりとなる。刺身として食べてみると面白いもの、にぎりでぜひ味わうべきもの、などと、いくつかのタネの中で向き不向きもあって、親方と相談しつつも意外と頭を悩ませる。

にぎりは、ひとネタ二貫が基本。「おまかせ」だと確実に一貫ずつで、もう一つ食べたいなあと言い出しにくいものだし、仕入れによっては冷たく「品切れです」と断られることもある。好みのタネを二貫ずつ食べることができるというのは、こんなにも満足度が高いのかと頬が緩む。

酒はビールと清酒。冷やした清酒はないので、熱燗か常温で。鮨屋にてワインや焼酎を選ぶことは絶対にないが、もちろん「鶴ハ」には最初から存在しない。本当に、酒というのは最低限そろっていれば十分だと実感する。

酢飯はさほど酸がたっておらず優しい。炊き加減もアルデンテというには少し柔らかい。そんな話を親方としたら、昨今、特に若い鮨職人は酢飯の塩や酢が強く、固く仕上げるのがいい、といった風潮がありますが、自分は、それは好まないんですよ。と返って来た。最近の傾向に対する反発もあるかもしれない。でも、そのにぎりに込められたやさしさは、まさに親方の人柄そのものだと感じた。

神田神保町「鶴八」
●東京都千代田区神田神保町2-4
●03-3262-0665
●12:00〜14:00 17:30〜22:00
●日祝
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2013年07月01日

(66)銀座「鮨 わたなべ」

つまみににぎりと、流れるような「おまかせ」の仕掛け

銀座では破格の値段設定に、主の心意気を見た

久しぶりに鮨店の紹介である。

いろいろなところで書いているが、外食の中で何が一番好きかと問われれば、今でも鮨と答えるし、江戸前鮨の行脚は現在もずっと続けている。特に最近は、一人15000円前後で収まる店を見つけることに心血を注いでいる。

もちろん金銭的な注目だけではなく、仕入れの吟味、つまり魚の旬をうまく取り入れることで高級食材に頼らない工夫がある。もっといえば、大トロやウニ等を外してでも客が十分に満足できる「おまかせ」を組み立てることができる。そんな店が理想。新・大人の食べ歩きでも、同様の縛りで何軒か紹介をしてきたし、その全ての店が今でも高いクオリティを保っていると思う。

今回取り上げる「わたなぺ」は、過去に紹介して来た若手の店に比べるとすでに大御所。ご主人は、柳橋「美家古鮨」四代目に師事した最後の弟子、とかいうふれこみも見かける。そこを巣立った「鶴八」「しみづ」は、確固たるファンとポジションを確立していることでも有名だ。「わたなぺ」のご主人も、銀座に出る前は、湯島の「一心」にて、独自の技量と師匠の教えに磨きをかけてこられた。

いわゆる銀座の雑居ビル。バー、クラブ、小料理屋、鮨などが肩を寄せ合いひしめき合う中に「わたなべ」もある。ここのスペースが過去からどのように売られて来たのかは不明だけど、「わたなべ」のカウンターに座るまでの道程は、とてもよくできている。エレベーターホールこそ狭いが、そこから入り口までの、暗くて渋いアプローチは、わずかな距離ではあるが「雑居」なイメージをリセット。入口の引き戸を開けると一瞬で全貌がつかめる「わたなべ」のL字カウンターが待っている。

最近オープンする鮨屋、特に若い鮨職人が手がける店は、ほとんどみんな同じデザインの内装・照明で、同じような顔つき・佇まい・ユニフォームの職人が立っていて、高級鮨チェーンかと勘違いしてしまう、とよく書いている。確かに、魚への仕事も酢飯の仕上がりも似通っていて、魚の中卸の巧みさを見たり、修業先の指導が行き届いているよなあと、皮肉にも感じたりする。ところが、「わたなべ」はさすがである。同様に清潔で美しく明るいカウンターながら、ほんの少しだけデコラティブ。細かい小さなところで装飾のこだわりがある。「お前ら、若い連中とはひと味違うぞ、見てごらん」と余裕で主張されているようでもあり、そのセンスにまず脱帽する。

「おまかせ」は13000円だという。「菊鮨」など一部を除けば、銀座では破格値だ。というか、この価格をボーダーラインとして、そこに意識的にご自身の仕事を集中させていったと解釈するに足る、考え抜かれたつまみとにぎりだった。

つまみはもちろん魚介類と少量の野菜のみ。鮨屋としてのフィールドを逸脱することなく豊富で飽きさせない展開である。刺身にはそれぞれ異なる下処理がしてあって、香りや触感、味わいが、魚介の持つ様々な可能性を客に堪能させる。酒がすすむのはもちろんだが、さらっとジュンサイの酢の物なども供され、口に残った清酒の甘みがすっきりと緩和した。

にぎりは一転、おなかを満たす食事としての満足感も加味される。もちろん、酢飯の炊き加減・温度はいうまでもないが、実際にそうなのか技法なのか、口に運ぶと、上に載ったタネが少し分厚く感じられ、最初に噛んだときの反発やその後の持続性に、食べる喜びがさらに一枚加わるような気がした。

さて、柳橋「美家古鮨」から「鶴八」「しみづ」へと引き継がれる、トロ・中トロ・赤身の三種類を使った太い鉄火巻がある。「わたなべ」で「おまかせ」をひととおりいただいた後、どのような鉄火巻を出されるのか興味があって追加でお願いしてみた(ちなみに、最後はかんぴょう巻だった)。
「わたなべ」では、文字通り細巻の鉄火が出たので、そのうまみを堪能しつつ「太い鉄火巻はやっておられないんですか」と尋ねてみた。すると渡部さんは「うちは鶴八とは違いますからね」と相好を崩し、小さく胸を張った。

間違いなく自分が大好きであろうことが確信できた店なので、銀座への移転後、一刻も早く訪問したくてスケジュールの調整を何度も試みたが、不覚にも、たどり着くまで半年もかかってしまった。そんな自分を、久しぶりに後悔し叱咤した。

「鮨 わたなべ」
●東京都中央区銀座5-6-14 銀座ビルディング 3F
●03-3572-3330
●17:00〜23:00
●日祝休

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2011年07月01日

(45)渋谷「鮨あい澤」

海外出張帰りを癒した

鮨、期待の新店

長期出張の関係で、2回も休んでしまい申し訳ありませんでした。

チェコのプラハ〜オーストリアのウィーン、いったん帰国しすぐに京都(京都では「おいと」へ行ってきました)。それから再び、プラハ〜ウィーン。東欧という、とりたてて傑出した料理が味わえる土地柄ではなかったものの、震災に原発にと、混迷する梅雨時の日本を脱出できたこと。そして、改めて外から日本を見る機会を得たことに感謝しています。

さて、こうした長期海外出張の後、日本に戻って最初になにを食うか。現地で仕事に追われている段階から、徐々に「それだけが」唯一の楽しみになってくる。当然ながら和食を欲するわけだが、今回は、居酒屋と鮨屋の2軒に絞っていた。

実は、国土が海に面しておらず魚を食べるには適さないチェコやオーストリア滞在中、一度だけ鮨を食べる機会があった。ウィーンでは、メインストリート、ケルントナー通りに沿いにある「グランドホテル」に宿泊。このホテルは日本料理にとても力を入れており、最上階のメインダイニング「雲海」では、札幌出身の日本人シェフによる鮨と日本料理が味わえるし、セールスマネージャーにも大下さんという好青年が在籍しているほど、なのだ。

自分たちの仕事の中で生じたほころびに対し、大下さんを筆頭に、同じ日本人として「雲海」のシェフにも骨を折っていただいた恩義があり、表敬訪問のつもりで「雲海」を訪ねたのである。大下さんいわく、ヨーロッパでも有数の日本料理店として自負している、とのこと。失礼ながら、その言葉を半分ぐらいに受け止めていたものの、実際には「確かにそうかも」と思えるぐらいの高いクオリティ。特に鮨は、少なくともパリで一番と言われている店(ZAGATの鮨部門でトップの店)よりも「雲海」の方が上だと感じた。

とはいえ、帰国した最初の夜は、やはり鮨。そして狙いを、2011年4月にオープンしたばかりの、渋谷「あい澤」に定めた。渋谷といっても、JRの渋谷駅からは歩いて15分、いわゆる宇田川暗渠沿いを脇に入った静かな好立地である。ただ、以前は都内でも有数の大好きな飲み屋街だった宇田川町界隈も、最近は「てっぺん」のようなツマラナイ店に浸食されて寂しい限り。そこに、新たに灯った大人の店として、多大な期待を込めて暖簾をくぐった。そして実際に、その期待値を大きく上回るほどの幸せな時間が、出張帰りの疲れた体を癒してくれたのである。

宇田川を埋め立てて作ったといわれる暗渠をしばらく歩き、右に折れてすぐ。住所表記は一階だが、トントンと少し階段を上る。店内には、細くてしなやかな風情の若い男性がひとり。一瞬お弟子さんかな?と思うも、その応対にて店主と認識。店内は充分に広くゆったりとくつろげて、個室風の小上がりも設けてある。ただ、当面は店主ひとりで営業とのことで、こちらは今後の展開らしい。

夕食には少し遅い時間だったが、客は私たちのみ。このまま、静かに食事が進むかと思いきや、結局、その後もポツポツと席が埋まり満席となる。

あまり店主の経歴を勉強してこなかったが(というか、基本的にあまり興味がない)、同席者が六本木の「なかむら」にて修業をされたことを教えてくれた。「なかむら」は、鮨屋特有の威勢のよさや騒々しさとは対極で、独特の間のとり方・使い方が巧みな店との印象がある。まさにここ「あい澤」もその利点をキッチリ引き継いで、実にゆったりとした流れ。プラハでさんざん聴かされたチェコの名曲「モルダウ」が、再び耳によみがえってくるような優雅さだ。
(ちなみに、チェコ航空がプラハ空港に到着すると「モルダウ」が流れ、チェコ国民は皆、鼻歌を歌いだすのだった)

つまみは比較的少量で、煮炊きしたモノのみ。生はすべてにきりに集中させる様子。その酒肴的な4種も、すべてがやさしい味だったので、このまま次のにぎりも、女鮨を代表する「なかむら」のような感じかなあと思いきや、そこからは180度転換する。

にぎりは、タネこそ丁寧にゆっくりとさばかれ、外気になじませるように時を置いて提供するものの、酢飯はかなり硬質で強く、いわゆるアルデンテの仕上げ。にぎり自体もおおきめで、個人的にはドンピシャの好み。最初に出されたにぎりを口に運んだ瞬間、思わず店主の顔をまじまじと見てしまったぐらいのウレシイ意外性。

たまらずそれを言葉にすると、お客様の口の中でしっかり噛んでもらいたいと考えて、酢飯を硬くしている。鮨は、咀嚼して最終的にタネと酢飯が混ざり合うことで完成される。そんな最後の完成形を色々と想像した結果が「あい澤」のにぎりだという。

まさにぼくのにぎりに対する想いと同じ。ぜひぜひ今後もその意志を貫いてほしいと懇願。オープン当初は酢飯を硬く仕上げていても、客から硬い硬いとクレームを言われて、いつの間にか力がなく弱々しいモノなってしまった鮨店を何軒も知っている。

そしてもうひとつすばらしいのは、酒器だ。清酒のラインナップは、コアな地酒ファンを納得させる銘柄ぞろいで及第点。それにも増してスズの銀酒器が印象的だった。初期投資はかかるが、結局割れないし、磨けばいつまでも美しいスズ製のものを選んだ、との店主の話にも納得。酒飲みゆえ、さまざまな酒器を試したが、冷たい酒を飲むにはスズ製が一番と個人的には思っている。

というより、一国一城の主として、自分の店にとことんこだわっている姿勢が頼もしい。鮨店には多くみられる神棚も、つけ場センターの好位置に違和感なく収まっていて、「ステキですね」と話したら、場所や高さ、設置方法などにもこだわって、自分が毎日拝みやすい位置を選び、店舗デザイナーに指示したという。

にぎり自体は、一貫一貫に魂がこもるとでも形容しようか。目の前ら置かれるまでの仕込みの苦労を一切見せない所作だが、口にするとその過程がよみがえってくるような深みも感じる。ただ穴子だけは弱かった。というより、最近ほとんど鮨店で、すばらしいと思える穴子に出会えなくなった。それは、穴子そのもののパワーが失われているからなのだろう。寂しい限りである。

まだまだ席が埋まらないんですよ・・・と弱気な発言もあったが、その言葉ほど店主は気にしていない様子。細い体躯ながら、店づくりに対する一貫したコンセプトの中にも垣間見る強靭な精神力は相当のようだ。電話して、「すみませんっ」と断られる日もそう遠くはないかな、と思いながら、店を後にした。

「鮨 あい澤」
●東京都渋谷区宇田川町42−15 中島ビル1F
●03-5784-3309
●17:00〜23:30(22:30最終入店)
●不定休
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2011年03月01日

(40) 西麻布「鮨 来主(くるす)」

夫婦ふたりが6席で醸す

いい空気感の鮨店

鮨店の紹介をする際には、少なからず躊躇する。酢飯のちょっとした温度の差や塩加減、硬さなどで味覚や印象は変わるし、まして個体差の激しい魚介を主な材料とするわけで、それはそれは難しい。

そんな困難さや好みの分かれる点をぼくは十分に承知しているつもりなので、ソコにはほとんど言及しない。ただ、以前ここで書いた「太一」にも同様のことが言えたが、どのタネが良かった悪かっただけの瑣末なポイントのみに終始する評価が巷に溢れ、それが本人の耳に入って若い有望な職人を大いに惑わすことになる。鮨フリークは鮨の値段が高い高いと言うが、そのようにタネそれぞれの優劣にこだわればこだわるほど、握る側も素材のいい部分ばかりしか使えず価格は高騰するに違いない。フランス料理でも日本料理でも全体の構成や緩急があるように、鮨もつまみから握りに至る流れをトータルに受け入れることも大切なのではないだろうか。

そんな中、わずか6席の、しかも西麻布の絶好の場所にある鮨店を紹介する気持ちになるまでには、少なからず時間を要した。ただ、握り一個一個の出来不出来ではなく、鮨店の持つ飲食空間としてのすべてを享受し愉しむことのできる方に、ひとりでも多く知っていただきたく、ここに書くことに決めた。

西麻布交差点から六本木方面に向かって坂を上る。立ち退きもほぼ終了し、ようやく取り壊しが始まる気配のホテルメンテルス六本木角を左に折れ、西麻布界隈ではすでに老舗だけど一度も行ったことのない「OZ CAFE」の角を右に。半ば超高級外車の駐車場と化した袋小路の奥。そこに「鮨 来主」はある。来主とは、来るお客さんが常に主である、との志を忘れずにいるためにつけたとは、つけ場に立つご本人からの談。まさにその言葉通りのホスピタリティに満ちた賑やかで寛げる店だった。

エントランスは立派な和食店の様相で入店するまではどんなレイアウトになっているのか想像がつかないが、店内はわずか6席ゆえ最大でも3組程度。そこをご主人と女将さんの二人で動かす最小編成。

私事だが、訪問の日、たまたまクライアントの美容メーカーから難題が出され(その関係で電話が何度もかかってきて)、弱ったなあ……とカウンターでぼやいていたところ、なんと女将さんは元美容師、と聞いて青くなった。

そして普段なら決して聞くことのない「馴れ初め」を、その照れ隠し次いでに尋ねると、お互い通っていた飲食店で隣り合わせたのがキッカケとか。鮨職人が、同じ刃物を使いながらもまったく別分野の職人を伴侶に選ぶ。その事実こそが「鮨 来主」の個性と魅力を醸し出している土壌かなあとまぶしく感じた。

ご主人は、時折高笑いをして客の心を和ませつつ、ひょうひょうとして柔和な人柄だが、さまざまな環境で修業を重ねてきたバックボーンを感じる所作。つまみが出てくるタイミングにも全く過不足がない。しかも、酒飲みのツボを心得た内容には恐れ入る。

清酒は3種類ほど。夫婦でテスティングをして店に置くかどうか決めるという。
いろいろと客からの要望もあるのでもう少し置きたいんですけどねえ……との釈明には大反対をした。この規模なら3種類で十分。しかもお二人のフィルターが通っているならさらに申し分はない。

いっぽう、握り始めると急に寡黙で一徹な職人と化する。ていねいに丁寧に小ぶりで美しい握りが出来上がってくる。一瞬つけ場から姿を消して奥からガリガリッと音が聞えた後、赤貝が出てきた。「むきたてですね」と声をかけると、少しだけ相好を崩したご主人が、「この規模だからできるんですけどね」と応える。わざわざ目の前でモタモタと剥いてみせるパフォーマンスも散見するが、裏仕事は裏で処理する姿勢に、改めて「鮨 来主」の真骨頂を見た。

酢飯の硬さはドンピシャだが、しいて言えば、もう少し酢を効かせた方が好みではある。さらに個人的にはもうちょっと大きな酢飯の方が「握りを食べた」という満足感が得られるような気もする。ただそんな点は、ぼくにとっての「鮨 来主」全体からは瑣末なこと。お二人が醸成する美味しい料理と究極の居心地。そして新たな鮨激戦区西麻布でも納得の低価格。それだけで文句のつけようはない。

「鮨 来主 」
●東京都港区西麻布1-8-12
●03-3478-7525
● 18:00〜翌1:00(月〜金)、12:00〜22:00(土)
●日、祝
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2009年10月15日

(12) 鮨いまむら

散歩コースで見つけた

異端ながら心地よい鮨店

前々回の新・大人の食べ歩き第10回「味農家」にて、ぼくのレストランネタはすべて口コミか信頼できる方のウェブサイトだ、と書いたんだけど、実はもうひとつあったことを忘れていた。それは「歩いて見つける」。ぼくは、食べることと同じぐらい歩くことが好き。歩きながら思考し、歩きながら発見し、歩きながら決断するのが日常といっても過言ではない。

ある時、自分がどの程度歩いているのかを知りたくなり、毎日の歩数データを蓄積し厚労省が定めた一週間の目標運動量をクリアできたかどうかを判定するオムロンの歩数計を使ってみた。二カ月ほど持ち歩いたが、一週間の目標を毎週週半ばには達成してしまうので結局手ばなしてしまった。

そんなぼくが特に好んで歩くエリア。それは、六本木〜広尾間、外苑前〜渋谷間、中目黒〜恵比寿間、そして、恵比寿〜白金高輪間。通りの両側の飲食店を意識しつつ歩くと、常に数店の新規オープンや閉店を目の当たりにし、レストランの改装や微妙な営業形態の変化にも気づく。

今回はその中でも特に好きなコース、恵比寿駅東口から白金高輪に至るバス通りを歩いて発見した鮨店を取り上げてみたい。

この道の白眉は、恵比寿三丁目の交差点(外苑西通り)を越えて白金北里通り商店街へ。「ロウホウトイ」や「シェ・トモ」に始まり、「三合庵」や「バーガーマニア」、北里病院を越えて真新しい白金高輪の駅へ至る・・・。

ちょうどその中程、“813”が目印のドアを開けた階段の上にあるバー「ガランス」の1階に、新規オープンの鮨店を発見した。その名は「鮨いまむら」。しばらく先にも広尾から移転してきた鮨店があるが外観的に今ひとつ惹かれなかった。ところが「鮨いまむら」はとても気になり、日を改めてすぐさま訪問。

引き戸を開けると実に収まりのいいスペースである。4席と4席のL字カウンター。板場のセンターに店主、そしてサービスはお着物も凛々しい女将さんがカウンターの中と外と奥を動き回る。若干女将さんの居場所が窮屈でつらそうながら、とてもほほえましい夫婦のチームワークだ。

「鮨いまむら」の最大の特徴は、時間が実にゆったりと流れていること。鮨、特に江戸前はその江戸っ子気性も反映してか、スピーディでリズミカルなことがヨシとされ、その最右翼「すきやばし次郎」などは30分ですべて食べ終わってしまう(この点には賛否があるが)。

であるなら「鮨いまむら」は、江戸前鮨としては少々異端なのかもしれない。が、そこはひとつの個性。ぼくには意外と貴重に思え、心地よく受け入れられた。というのも店主今村氏はもともと日本料理の出身。日本料理店の一角で鮨部門を任されずっとマイペースでやって来たという。そして鮨の技術は、比較的自由になる時間を利用して何度も食べ歩いて学んだと語る。

鮨職人としても異色の経歴でありつつ、しかも客の立場や気持ちも十分に理解されているのは間違いなさそうだ。満席になると仕事が遅れ気味になるが、客をイラつかせないよう笑みを絶やさず鮨ダネを寝かせて常温に戻す作業を繰り返しながら、あわてることなく丁寧に握る。

その握りは新橋の「しみづ」が目標とのこと。「しみづ」には相当通い詰めたらしい。開店当時からのしみづウォッチャーであるぼくとしては、清水さんも本当に若手から目標とされる親方なんだなと感動すると同時に、形は同じようでも握り具合が柔らかすぎるのと、飯と酢との合わせや口に含んだときのタネと酢飯のこなれ加減には、まだまだ研究の余地がある。

最後に、店主同様ゆったりとした口調になごむ女将さんのことを。もともとフランス料理店でパティシエの修業をされていたそうだが、店主と将来的に鮨店を営むという目標でソムリエに転向。それもあってか、ぼくたち以外の客は皆ワインを飲んでいた。ただ、せっかくソムリエ資格をお持ちなら、好みで選ばせるのではなく女将さんから鮨に合うワインの提案をされるほうがいいかな、とは感じた。

なお、最後に小さなデザートが出されるが、さすがにもとパティシエ。江戸前鮨にしては異例でもその印象もまた「鮨いまむら」ならではだと思った。

imamura.jpg

「鮨 いまむら」
●03-5789-3637
●東京都港区白金5-8-13 白金ハイツ 1F
●17:30〜23:30
(土日は12:00〜14:00、17:00〜22:00)
●不定休

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2009年02月15日

(4) 鮨 太一

鮨業界の兄貴分が教えてくれた

銀座の穴場中の穴場鮨

前回の最後に、その日の朝からしか予約を受け付けない鮨店のことを書いた。1999年のオープン当時、そこの店主は鮨業界のホープといわれたが、今や師匠弟子の関係を超えて多くの若手が敬愛する親方的存在となっている。ただ彼は、「親方」と呼ばれることのみならず、「ムラサキ」や「あがり」など鮨屋の符丁全般について客前で使うことを嫌うので、ここは「兄貴分」としておこう。

そんな兄貴は、ぼくが彼の店を辞する際「伊藤さん、こんどココ行ってみてくださいよ」とショップカードを手渡すことが時々ある。ほとんどが和洋を問わず築地で出会った料理人らしい。というか、毎日真摯に築地で仕入れている姿を兄貴が目ざとく見出したともいえそうだが……。もとより食いしん坊な兄貴の舌にもかなったわけで、行ってみて外れたことはなかった。

ただ今回は鮨屋。さすがに鮨屋は彼の師弟以外で紹介されたことはなく、「オオッ! 兄貴もそこまで面倒を見るようになったか」と、内心驚きつつ興味津々。数日を置かずして平日の昼下がりにその店を訪問した。もちろん昼から営業しているとの情報はなかったが、ダメモトだ。

名は「 太一 」という。場所は鮨の激戦区、銀座である。こちらも西麻布から銀座に乗り込んできた天ぷら店「あさぎ」の上にその店を見つけた。2階にあがりガラッと引き戸を開けると、客は誰もおらず店主はきちんと居住まいを正して扉に向いて立っていた。

正直ビックリした。カウンターに腰掛けて新聞を読んでいる、とまでは思わなかったけど、正面で店主に出迎えていただけるとは予想しなかった。そしてこの店は、兄貴の推薦のみならず間違いなく「イイ」とその場で確信。聞けば、銀座交詢社ビルにある「逸喜優」の店長を務めたのち独立したとのこと。銀座ではそこそこ長いようだ。

店主の石川太一氏は小柄で優しい雰囲気の青年(若干年齢不詳)だが、握りは荒削りといってもいいぐらいの強い鮨飯と大ブリな形、男鮨である。「逸喜優」には本店も二子玉川店にも出向いたが、少々感じが違っていた。どちらかというと兄貴の鮨に似ているかな。

もとはバーだったという店舗は太一氏が弟子と2人で切り盛りするに最適のスペース。店の奥に小さく飾られた神棚にも職人としての心意気を感じる。酒は太一氏の気に入ったもの原則1〜2種類しか置かないようだが、ぼくは賛成。鮨店に日本酒のボトルを羅列する必要はない。

なによりも(混んでしまうので書きたくはないが)、銀座ではかなりのグレイトバリューである。最近の鮨の新店は銀座にあらずとも、どこでもどんなレベルでも確実に20kは飛ぶので、バカバカしくて行く気がしない店が多いが、ココはそれ以内に収まる。

なお、昼時には澄んだ目が印象的な女将さんが着物姿で接客をされる。「夜はどうしていないの?」と聞くと、「子育てが忙しいので……」と恥ずかしそうに太一氏はつぶやいた。確かに残念ではある。でも昼にふらっと立ち寄って握りをつまむにも、穴場中の穴場かもしれない。

太一.jpg

鮨 太一
●東京都中央区銀座6-4-13浅黄ビル2F
●03-3573-7222
●(平日)12:00〜13:30、18:00〜23:00、(土日)12:00〜14:30
●無休
posted by 伊藤章良 at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする