いとうあきら イベントの企画・運営・演出を本業とするも、無類の食べ歩き好きが高じて“食べ手”の視点で店や料理を紹介。過去の書き手になかった大人の切り口で飲食への愛情を示した。著書に『東京百年レストラン(T〜V)』。

2020年02月01日

(132)白金「RAMA」

名店ひしめく広尾の高架下に
大人のためのサロン的イタリアン登場


恵比寿三丁目交差点からプラチナ通りに至る、首都高速高架下のスペースには小さな飲食店が密集する。ラーメン、焼鳥、居酒屋、トンカツなど、決して交通至便とは言えないエリアにもかかわらず、意外と息の長い店が多い。しかも「酉玉」「寅」「すずき」などの名店も生まれている。いっぽう、これらの裏側というか、反対には細い路地があって薄暗い住宅街。少々場違いな定食屋があったり、趣味が高じたような中国料理店を見つけたり。

先日その路を歩いていたら、大きなガラス張りの中に浮かび上がる不思議な店ができていた。「RAMA」と書いてレイマと読むらしい。暗い中での回りとの溶け込み具合と隔絶感が表裏一体で、よくぞ創ったなあと嘆息し、どんな連中が始めたのかにわかに興味が湧き、さっそく予約して訪れた。

入口のドアは重厚で、開けるにはグッと大きな力が必要。男がエスコートするために考えられたかのようで憎いなあと思っていたら、そこでエントランスは終わらず、ダイニングへと続く、いかにも女性が開けるにふさわしい軽快な引き戸がある。

直線ではない緩やかなカーブを描いたカウンター、一段下がったところに施された肘置き、カウンターとキッチンを隔てるように等間隔に設置された真鍮の横長ランプ、カジュアルながら座り心地のいい椅子。店舗としての過去の成功事例をコツコツと集め、それを丁寧にまとめつつ斬新さが生み出す空間だ。

カウンターの中には料理人とサービスの男性が2人。この内装に全く違和感のないグッドルッキングないで立ちだ。しかも何気なく見ていると、2人のチームワークが冴えている。最終仕上げを残した段階で、料理人からサービスに鍋が手渡され、客の前で人数に合わせて皿に盛りつけ、各種チーズやトリュフなどのトッピングを施し提供する。出来上がった料理をただ運ぶだけではない。ひと手間かけるところに料理人以外のヒトの気持ちがこもり、的確な料理の説明とも相まって、食べる前から美味しさが約束されているような気になる。

と、ここまで書くとあまりにも女性向きの店のように伝わってしまうが、それに反して料理やワインは硬派だ。料理は近頃では珍しい、コース主体ではなくアラカルトが中心。メニュー決めはおざなりではすまされず、選ぶ側の度量や経験も求められる。輪郭のはっきりした強めの味付けが多く、食材もニンニクや内臓等もふんだんに使う。トウキョウ風にアレンジされたイタメシは鳴りを潜め、現地さながらのパワフルさが頼もしい。

ワインはグラスでの提供を中心として、サービスというよりソムリエさながらの彼が、ご自身の独自のテーマをもって集めていると感じた。イタリア・フランスの王道が一種類、そして様々な国やブドウをチョイスした個性的なものがいくつか。王道も変則も、ワインそのもののポテンシャルを感じさせながら角がとれてバランスがよく、想像以上の満足かつ料理との相性も確かだった。水はタップウォーターでいいよとお願いしたら、美しいゴブレットにうやうやしく氷を入れ、カクテルを作るようにマドラーを回す。そんな所作の一つをとっても心がこもって、ペットボトルから注がれるミネラルウォーター以上においしそうだ。

久しぶりに、イタリア料理店としての高い充実感を得て店を去る際、ソムリエと思っていたセンターの男性が挨拶に出てこられ名刺をいただいた。そこにはエグゼクティブシェフとあった。そうか、彼が料理もワインも内装デザインも、店全体を統括する要であったに違いない。失礼なことを書いてしまったが、ある意味、それを感じさせないことも「RAMA」の大きな魅力と理解した。  

まだ、マスコミの取材を受けていないとのことだ。食べログは3.04(2020年1月)である。評価については、それぞれの力関係や右へならえの慣習もあろう。しかし、この店が静かに放っている求心力とサロン的な大人の空間は、「ペレグリーノ」の牙城を脅かす可能性を秘めているのではないかと密かに思った。

「RAMA(レイマ)」
https://www.ramatokyo.com/
posted by 伊藤章良 at 21:31| Comment(0) | イタリア料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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