いとうあきら イベントの企画・運営・演出を本業とするも、無類の食べ歩き好きが高じて“食べ手”の視点で店や料理を紹介。過去の書き手になかった大人の切り口で飲食への愛情を示した。著書に『東京百年レストラン(T〜V)』。

2019年05月01日

(123)神宮前「樋口」

料理に、サービスに、空間に。
スジの通ったもてなしの哲学


ぼくが神宮前の日本料理店「樋口」を訪れたのは、すでに15年以上前のことと記憶する。店主の樋口一人さんは、とても素敵な女将さんと都心のど真ん中ながら当時は周りにほとんど飲食店がない、いや、ショップも何もない静かなエリアだった。

女将さんがしばらく休んでおられる時期があり、一時はオペレーション的にも少々ギクシャクすることもあったが、多くの若い料理人夫妻が模範とすべきそんな受難も乗り越え安定の時代に入った。

2年ほど前に、3カ月休んで店内を大改装し厨房の位置が今までと逆になった。その休暇期間を無駄に過ごしておられない証左が、今である。雑念のないご自身の境地に入られた、というか進むべき方向が未来が、キッチリ定まったと感じるのだ。

住所は神宮前だが、場所はどの駅からも遠い。しかしそのアプローチがすばらしい。静かな道を今夜の料理に思いを馳せながらてくてくと歩く時間も、かけがえのないディナーの愉しみだ。行き慣れていても、注意しないと見落としてしまうエントランスは、リニューアル後さらに格調高く、そして控えめになったような気がする。

改装後も以前の細長い店内の雰囲気は変わらないが、アプローチから優れた日本文化の一角を見せる。落ち着きと飾らない気高さ。カウンターに座ると、店主の積年の願いが詰まった厨房がコンパクトにまとまっている。そして天井のしつらえが美しい。何度も何度も上を見上げていた。

ぼくは西で生まれ育ち、その後同じ年月を東でも暮らしているので、自分の中で東の料理、西の料理と、なんとなく線引きをしていて、今や東西いずれも甲乙付けがたい。でも、中途半端というか線引きできない京風料理と東京で出会うこともあり、寂しく感じている。

その点「樋口」は違う。東京の客に迎合することなく、素材の持つ表情に徹したストイックな塩加減。店主の樋口さんは生粋の東京の方と聞いているが、まさに日本人がフランス人以上のフランス料理を作るのに等しい気がする。
素材の扱いも、最良の部分だけを入念に吟味していることが分かる。それは自分が使う調味料や決めたダシの味と食材がきちんと寄り添うための重要な仕事なのだ。

最後の食事として、オープン当初からご飯に次いで蕎麦も提供される。その点が東京らしい主張だが、もちろんその蕎麦は江戸前老舗蕎麦とは異なる、コース料理の最後にふさわしい爽やかな喉越しだ。

「樋口」が最大に心地よい点をもう一つ。カウンターでは写真を撮らせないところだろう。カウンターに座るやいなやスマホを出して置く人は多いが、他の客と共有する一本のカウンターに個人の電話を置きっ放しにするのはマナーに反する。写真NGにすれば客はスマホをカウンターに置かない。耳障りなシャッター音も聞こえてこない。もっといえば、料理をいただくより料理写真を撮る方が重要な面々は、食べログ4点以上でも来店しない。
よって「樋口」の客層は静かな大人ばかり。居心地がよく快適で、食事や同席者、店の方々との会話に没頭できる。この店に貫かれた一筋の哲学がここにも感じられるのだ。

店を辞する際、見送りに立たれたご主人と女将さんお二人の姿は日本人形のように美しかった。このお人柄がお店の全てを制するのだと改めて理解した。

本当に、他店も見習ってほしいと切に願う。

「樋口」
●東京都渋谷区神宮前2-19-12
●03-3402-7038
●18:00〜21:00(LO)
●日、祝休
posted by 伊藤章良 at 17:31| Comment(0) | 日本料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする