いとうあきら イベントの企画・運営・演出を本業とするも、無類の食べ歩き好きが高じて“食べ手”の視点で店や料理を紹介。過去の書き手になかった大人の切り口で飲食への愛情を示した。著書に『東京百年レストラン(T〜V)』。

2018年07月01日

(113)渋谷「酒井商会」

懐痛めず大人が楽しめる
“中庸“なダイニング

15年以上前、情報ポータルサイトに週一で寄稿していた時期があった。食べログもなく今ほどレストラン情報に溢れていなかった時代。けっこう重宝されていたようで、今でも時々、ずっと読んでましたと言ってくださる方に出会う。

そんな方々は総じて、いわゆるダイニングバーで創作という名の素人料理と色付きのアルコールを飲んで女子を口説くことばかり考えていたが、伊藤のような「食べ歩く」楽しみがあるのかと衝撃だったという。しかも伊藤が紹介する店に女性を連れて行く方が確実に口説ける、みたいな話もされる。

確かにダイニングバーと呼ばれる飲食形態があり、今でも食べログ等のサイトにはカテゴリとして残っている。アルバイトが簡単に作れそうなインスタント料理と紙パックからグラスに移しただけの甘いカクテル。一度行けば、もう次の展開は期待できません、みたいな印象が残っている。

ダイニングバーなる言葉が生まれておそらく20余年。調理器具の進化や料理人の腕前も上がり、優れた食材を仕入れレストラン並みの料理が提供できる今。酒も和洋含めて酒屋の情報力やサーブする側のスキルもついてきた。というか、数本こだわった酒を常備することで、店のイメージが格段に上がるという簡単な仕組みに気づいたのである。こうして、美味しい料理とえりすぐりの酒が待っている、もはやダイニングバーと呼べない業態ができ始めた。居酒屋に比べ格調高い雰囲気、割烹より安価。フレンチ・イタリアンほど堅ぐるしくなく、オーセンティックなバーにはない優しさやカジュアルな側面も備える。

本来なら、「ダイニングバー」ではなく別の新たな名前を提案したいぐらいだが、それはやはり難しい。ただ、恐ろしく安価で揚げた油で二日酔いになりそうな居酒屋カテゴリと、天井知らずの価格上昇をもろともしない一部の金持ちとコレクターのための店。今やその上下両極端での凌ぎ合いを他山の石として、一番求められているのが、いずれでもないポジションなのだ。
いわゆる中庸の徳、というのだろうか。外食の愉しみを知った大人が、そんなに大きく懐を痛めることなく寛げる空間。

最近は、折に触れてこのタイプばかりが自分の選択肢に上がり取り上げたい店も数多いが、今回は「酒井商会」にしてみた。何屋か分からない、まして飲食店とも思えない名前ながら、一度見聞きしたら決して忘れることはない。この店の店主は、創業以来ずっと中庸を貫き、今や時代がやっと追いついてきた感のある中村悌二氏率いるフェアグランド出身である。

場所は渋谷警察の裏。大規模工事中の渋谷駅周辺において、これから密かなグルメスポットに成長する予感のエリア。「酒井商会」の店主、酒井英彰氏は、目と鼻の先「並木橋なかむら」に勤めていたというから、中村代表はさすがの太っ腹だ。

店の看板も出ていない古いビルの2階。階段を上がると立派なドアがあるので開けそうになるがそこは化粧室。右側がお店の入口だ。入店すると一瞬で世界は変わる。過不足のない落ち着いた空間。まずその段階で約束された『寛ぎ』にすでに高揚する。キッチンを囲むような長いカウンター、そして奥にはテーブル席も。

どこに保管されていて、どこで調理するのだろうと不安なるぐらい、料理のメニューは多岐にわたり、お酒の種類も豊富だ。じっくり眺めながら逡巡するのも楽しみのひとつといえよう。いっぽうで、好みを伝えて料理も酒もお任せするという手立ても悪くない。特に「お惣菜」を盛り合わせでお願いすれば、小粋な割烹をも凌駕する気の利いた詰め合わせが登場する。

中村門下の特徴の一つでもあるが、スタッフそれぞれの動きに無駄がなく小気味よい。特に料理を本当に効率的に作るなあと感心する。もちろん満席の中、決してスタッフは潤沢ではないが料理やお酒の提供にストレスを感じることがない。しかも、メニューの一つ一つに工夫が凝らされ、居酒屋にありがちな塩味で酒量を増やす作戦ではなく、ダシを利かせた料理で酒を楽しませる。特に、揚げ物に多くのバリエーションや技が光るのは、元々西洋料理も経験してきたと語る店主の幅広さだろうか。

欲を言えば、あまり混んでほしくない店ではある。でも、新・大人の食べあるき読者は、この店にふさわしい客であると信じてお伝えしたい。

「酒井商会」
●東京都渋谷区渋谷3-6-18 萩津ビル2階
●070-4470-7621
●18:00-26:00(LO25:00)
●日休
posted by 伊藤章良 at 06:35| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする