いとうあきら イベントの企画・運営・演出を本業とするも、無類の食べ歩き好きが高じて“食べ手”の視点で店や料理を紹介。過去の書き手になかった大人の切り口で飲食への愛情を示した。著書に『東京百年レストラン(T〜V)』。

2017年04月01日

(100)投稿百回に思う

土田美登世さんが管理するこのサイトに寄稿してついに百回を迎えた。何年だろうか。あまり年月は意識しないけど、百という数字、文字はぼくにとって最大のラッキーナンバーであることに間違いない。百のおがげで本を三冊出版し、一年間テレビの食旅行番組に主演した。

ただ、こんなぼくの書き手としての登場にも土田さんが大きくかかわっている。
共通の友人を介して出会った当時、ぼくはまったく食についての原稿を書くつもりはなかったものの、食事の席では、何の役にも立たない持論を展開していた。土田さんは斎藤壽(「料理通信」顧問、北海道「美瑛料理塾」塾長)氏とともに柴田書店を退職し、ちょうど「料理王国」というズコイ雑誌を立ち上げたばかり。表紙がミシェル・ブラだったりして今からは考えられない高いクオリティだった。

そこに「連載してみない?」と声をかけてくださったのが土田さんだ。
「玄人ばかりの食雑誌の中に素人の意見で風穴をあけたいのよ」と彼女は言った。20年以上前の話である。
それ以来ずっと、土田さんと当時の編集長だった斎藤氏が自分の師匠だと思っている。土田さんから、また土田さんを通じて斎藤さんの意見や考え方がしみ込んだ。修業と修行、フレンチとフランス料理は、それぞれ意味が違う。それを理解していないライターはダメだと言われ、食事中にメモや写真を撮るのは、料理を作った人サービスした人に失礼だとも諭された。当時のぼくはトイレに駆け込んで密かにメモったことも数えきれない。
結果、食に関する文章がきちんと書けるようになり、食事中にメモや写真は撮らない伊藤章良ができあがった。
そしてぼくが、「新・大人の食べ歩き」を書き続けてる大きな理由も、師匠である土田さんに自分の原稿を編集してもらいたいからである。

ぼくが原稿を書き始めた当時、飲食店の情報は少なく限られていた。年に一度、二年に一度発売されるガイド本が頼りで、書店に並ぶのを今か今かと待っていた時代だ。その後、レストランを紹介する側とレストランとの癒着が取りざたされ、フードライターはレストランのスポークスマンであるという位置づけがなんとなく出来上がった。

レストランをレビューする、食を評論するという作業は、書物や映画等の文化的な作品の評価とは異なる。実力を上げるのに座学だけでは足りず、実践というとてもお金と時間のかかる膨大な経験が必要なのだ。となると、少々の知識や取材力より、いかに多くの経験を積んでいるかの方が勝ってくる。
それでもネット以前なら、媒体を持っているのはライターだけだったが、誰もが自由にブログにしたりレビューができたりする時代。金と時間と経験に勝る人たちからの素人情報は、プロのライターを凌駕し始めた。

それが残念ながら今の状況である。フードライターがきちんと取材して書いたものも、ブロガーの偏愛あふれる日記もレビュアーの偏見に満ちたレビューも、大同小異。すべてがそのレストランに対する総合的な評価として読む側は受けとめる。
本当に正しく信じられるのはフードライターであってほしいのだが、勉強や下調べが足りない文章も散見され、経験値とあり余った時間と金に勝る富裕層や奥様層に軍配が上がるケースも少なくない。

ゆえぼくは、新・大人の食べ歩きでは、フードライターもブロガーもレビュアーも書かない文章を創ろうと、土田さんから依頼があった当初から決めていた。極めて料理人側の土田さんとは何度も揉めて、もうやめてくださいと言われたとこともある。

でも百回を迎えた。
そして最近とみに、他の誰もが書かない文章になってきた認識もある。
上から目線だったり嫌味だったり、そこに携わる皆さんがそれぞれ片腹痛い内容に終始する展開も多い。でもそれは、ヨイショとも偏見とも違う、誰よりもレストランに愛情があるであろうと自負する自分の言霊である。

話は変わるが、つい先日、ある料理人さんから、伊藤さんって『デニーロ感』がありますよねと言われた。デニーロ、もちろんロバート・デ・ニーロのことだ。
自分が自分がと前に出ることはせず派手さはないけど、後輩から慕われ尊敬され、ご自身でも他の俳優にはできない確固たる仕事をされてきた。もしそんなイメージなら、百歳まで長生きできそうなほどうれしい。
posted by 伊藤章良 at 07:08| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする