いとうあきら イベントの企画・運営・演出を本業とするも、無類の食べ歩き好きが高じて“食べ手”の視点で店や料理を紹介。過去の書き手になかった大人の切り口で飲食への愛情を示した。著書に『東京百年レストラン(T〜V)』。

2016年02月01日

(89)渋谷「バール・ボッサ」

スマホから離れた

アナログでおだやかなひと時を謳歌

奥目もなく書くと、ぼくは食事をしている、その時間が一番幸せだ。
何か嫌なことがあっても、ご飯を食べれば、いや食事の時間が近づいてくるにつけ、すっかり遥か彼方に追いやってしまうぐらいである。幸いなことに、食後改めて思い出すわけもなく、その余韻に嫌なことなどすっかり忘れてしまうハッピーなオトコなのである。

なので、食事の時間を粗末にチープに扱う人間が嫌いだ。最近もっとも気になる腹立たしい行為は、食事をしながら片手で卓上でスマホをいじるヤツ(あえて「いじる」と幼い表現を使わせていただく。まさにその通りだと思うからだ)。いらただしさを超え席を移動しようかと思うこともしばしば。決して他人に迷惑はかけていないじゃないかと反論されればそれまでだ。でも人生で一番大切な時間を軽んじてる、蔑んでいるヤツが近くにいる、ということだけでぼくは絶望する。隣でタバコを吸われるより、ある意味不快かもしれない。

スマホをいじりながら食事をする。それは言うなれば、生きるためにエサを口にしているだけにすぎない。であればコンビニなどで買ってどこか自分テリトリーでエサを摂取すればいいのであって、なぜ飲食店に入るのだろう。
まず、料理を作った方に失礼だ。そして、こんなに幸せで貴重な時間まで寸暇を惜しんでスマホをいじる価値がそこにあるのか、との大きな疑問にもブチあたる。単なる習慣、ながら、依存、中毒、であるなら、せめて食事をしている間だけでも、そこから離れることを願いたい。

特に悲しいのはラーメン店。まずラーメンが供されるとスマホで撮影。その後片手でスマホをいじりながらもう一方の手でときどき麺をすする。少しでも温かいうちに食べるべき、というか冷めるにつれ油っぽく不味く、そして麺も伸びてしまうのがラーメンなのに、よくスマホをいじりながら食べられるものだ。そんな面々に、ラーメンにつき云々と書かれてしまう、ラーメンのそしてその店主の悲しさを考えるといたたまれない。

さて唐突に話題を変えると、裏渋谷といわれる宇田川暗渠(宇田川という川を埋め立てて作った道なので、川のようにうねっている)のまだ裏側に「バール・ボッサ」というワインとボサノヴァを楽しむバーがある。かれこれ15年ぐらいは通っている、ぼくの至宝の一つである。

マスターの林伸次さんは、ボサノヴァなどブラジル音楽の語り手・評論家でもあり、昨今では(というか、実はずっと以前から)日々さまざまな人間が交錯するバーの経営という職業を生かしながらの人間観察、恋愛観などを日々文章にまとめておられ、その面白さ的確さが大変な評判を呼ぶ文筆家でもある。実際、本も出版されている(『バーのマスターはなぜネクタイをしているのか? 僕が渋谷でワインバーを続けられた理由(DU BOOKS刊』)。

個人的にも大ファンである林さん自身のことを書き始めると多岐にわたりすぎるので「バール・ボッサ」の紹介に戻すと、この店実は、常連にならない限り一人での来店を断られる。つまり一人客のみ紹介制、とでも言おうか。

え、バーでしょ。
その通り、まさに一人でこそ訪れたい魅力的なバーにもかかわらずだ。

その理由を林さんは、いや、意外と素性の知らない一人客って、他の常連さんに話しかけたりなど、いろいろと店内でやっかいなことが多いんですよ、という。でも、ご本人に確認したわけではないが、きっと林さんは、一人で自分の店に来ても、ずっとスマホをいじっているだけなら、他の店に行くか、いや自宅に帰ればいいんじゃないの、と思っているからではないかと想像する。

さまざまな機会で公言しているが、林さんは、スマホはおろか携帯も持たない生活をしている。もはや化石なみに稀有な主張だ。
だって自分は家か店にしかいませんから、と彼はいう。実際に、ご自分の家か店にしかいないという理由で携帯を持たない料理店の店主も知っている。
ただ、こちらも想像ながら、林さんがスマホを持たない理由の一つとして、彼はアナログの楽しさ、すばらしさ、尊さを伝えたいという熱い思いがあり、それゆえ、主義としてアナログから最大にかけ離れた存在のスマホを持たないのではなのかと思うのだ。伝えたいという言葉では軽すぎるだろうか。もはやアナログの伝道師とも称することができるだろう。

それゆえ「バール・ボッサ」には、アナログ特有の緩さ、コージーさ、世界観に満ち溢れている。林さんがカウンターで飲み物や料理を作る時だけ、バチッとランプのスイッチを入れ一角がポッと明るくなる、水道をひねるとボワッと瞬間湯沸かし器の灯る音がする。化粧室の便座が木製だったりもする。もちろんお一人で営まれて忙しいときでも、片面20分足らずのアナログレコードをかけている。音量も大きくも小さくもなく、もっとも心地よいバランスだ。

アナログというぐらいだから、アナログレコードのアナログ感は実にすごい。特にCD世代、いやダウンロード世代にとって、針がレコードに落ちる音、曲がはじまるまでのカスレ音。いざ曲が始まれば、デジタルにはない録音時そのままの伸びやかで継続的な音色。先日デヴィット・ボウイが他界して連日ラジオではデヴィット・ボウイの曲ばかりが流れたが、彼の70年代から80年代の曲って、ぼくはレコードでしか聴いておらず、それが無雑音のデジタルサウンドでラジオからながれると、なんだか妙に居心地悪いなあと感じてしまうぐらい、レコードの音というのは体の芯に刻まれているのだ。

だからぼくは、「バール・ボッサ」にアナログの世界を楽しみに浸りに行く。もちろん絶対に、スマホなど無粋な機械仕掛けのオモチャを卓上に置くという愚かな行為、それどころか一切ポケットから出すこともしない。

アナログを謳歌する、それはぼくたち世代だけの特権なのかもしれない。でも、普段とは異なる意外にも身近で見つかる非日常が、実はこんなところにもあるんだよ、とは、「バール・ボッサ」が、林さんが、表現したい伝えたいことなのではないかと考える。数十分の食事の時間すらスマホいじりを止められない幼稚な世代にとって、ぜひこの環境で、何か穏やかで心地よい非日常に気づいてもらいたいものだ。

「バール・ボッサ」
●東京都渋谷区宇田川町41-23 河野ビル 1F
●03-5458-4185
●18:00〜24:00
●日祝休(祝日は営業していることもある)



posted by 伊藤章良 at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする