いとうあきら イベントの企画・運営・演出を本業とするも、無類の食べ歩き好きが高じて“食べ手”の視点で店や料理を紹介。過去の書き手になかった大人の切り口で飲食への愛情を示した。著書に『東京百年レストラン(T〜V)』。

2019年08月01日

(126)表参道「GOSU」

美辞麗句は必要なし。
ただ純粋に、すぐれた店



一回の食事に費やすお金の価値が、本当に分からなくなってきている。
コストパフォーマンスという和製英語が食事の価格にも普通に使われ、コスパやCPがいいね、みたいな会話も日常。ところが、なにをもってコスパがいいのかと突っ込んでも、そこから明確な回答は得られない。それは単純に、コスパの意味が分からないからだ。
元々の価値の良しあしを、自分の舌ではなく情報のみに頼っている現状では、判断もつきにくいし、判断力も醸成されない。
ぼく個人は、飲食でいうコスパは、情報に影響されない満足度対価格比であってほしいし、著名なシェフの料理だから、あの漁師が獲った魚だからみたいな前提は、本来のコスパには不要なのだ。

ぼくは、中村悌二氏率いる飲食グループ「フェアグランド」の店舗が、東京で最もコスパ(情報に影響されない満足度対価格比)のいいレストランだと思っている。
ここを巣立った面々は、「高太郎」「バール・ボツサ」「酒井商会」「の元」など、各所で人気を博しているし、代表の中村悌二さんを中心に開いていたスクール出身者を合わせるとさらに数えきれない。
中村悌二さんは、どんどん独立をしてくれればいい、独立店が人気になれば、どこの出身かと必ず辿られ、ひいてはうちのグループ全体にもいい影響かあるんだよと語っている。
そんな「フェアグランド」の中から、今回は、表参道の「GOSU」を、紹介したい。
グループでも、唯一洋風の打ち出しをしている店かと思う。

「GOSU」の満足度は、とにかく総合的に優れた点だ。
もはや大多数のレストランが、「総合的にいい」を目指さなくなった。著名なシェフの元で修業した料理人、現地でワイン造りまで体験したソムリエ、海外のホテルまで手掛ける有名デザイナーの内装、生産者を回って見つけた、有機農家の〇〇さんから直接仕入れた野菜。
最近では当たり前すぎるこれらの美辞麗句は、どこまでが本当の、といえば失礼だが、語れる価値のある内容か。もっと問うなら、どこまで客がその差に気づき、興じることができるかだ。
それはたぶん、他人を誘うとき、そこに様々な尾ひれがあれば箔がつくし、相手にも興味を持ってもらいやすいのは確かだが

「GOSU」は、もしかしたらスペックで食べているひとには響かないかもしれな。いっぼう、どんなシチュエーション、どんな相手とでも、決して失敗することはない。さらに、支払いの談になれば、相当感謝されるはずだ。それこそが、総合力なのだ。
国道246号から少し奥まったビルの地下。数軒の飲食店が並ぶエリアだが、店内ではそれを感じさせる気配はなく、完全な「GOSU」の世界観に引き込まれる。それはまず、スタッフの客に対する姿勢と統一感だろう。気持ちがいい、の一言だ。さほど広いダイニングではないが、席間やレイアウトがゆったりしているのも、功を奏している。

「GOSU」の料理を伝えるのは少し難しい。言葉を選ばないと、単なる創作料理の類に見えてしまう。メニューを見ると、どれもすべて食べて観たくなるほど全方位的で食材も多岐に渡る。餃子もパスタも肉団子もあり、それらは想像や期待の常に上をいく。中華の定番マコモタケを肉巻きにして使う。うにのフリットにも驚かされた。いずれも申し分なくうまい。しかも、愛情の注がれた調理を感じ、サービスとの連携の妙も加わってくる。
さらにうれしいのは酒、特にワインだ。安価で良質な、しかも店の料理との相性も寝られたワインを世界中から探してきてリスト化している。グラスワインの種類も豊富だし飲み放題まである。
しかも、料理もワインも、それを客に伝えるグラフィックの使い方が巧みで美しい。とても理解しやすく、随所に興味をそそり、自然と指を差してしまう。それが、総合力のなせる技なのだ。

「GOSU」は、食べログでもぐるなびでも、ダイニングバーとなっている。つまり情報先行型の有象無象には、選択肢として響かないだろう。だからこそ、ずば抜けて客層がいい。
様々に研鑽を積み、試行錯誤も繰り返し、一周回ってこの位置まで来た。
知り尽くした大人が原点に戻って求める場所、そんな印象だ。ここは、もしかしたら最も先端を走るレストランなのではないか。そんな想いを巡らせながら、店を後にした。

GOSU
●03-6450-5339
●東京都渋谷区神宮前5-51-8 ラ・ポルト青山B1F
●月〜金、祝前日: 18:00〜翌0:00 (料理LO.23:00 ドリンクLO.23:00)
土、祝日: 17:00〜23:00 (料理LO.22:00 ドリンクLO22:00)
●日休
posted by 伊藤章良 at 23:57| Comment(0) | フランス料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月01日

(125)熱海「THE HIRAMATSU HOTELS&RESORTS 熱海」

高級レストランの世界的グループが仕掛ける
日仏融合の大人の遊び場


ソムリエとは、大人の日本人ならたいていその職業が分かるほどポピュラーだが、アメリカ人など英語を母国語とする人たちはほとんど知らない。オーベルジュとなるとさらに特殊で英語圏では全く通じないが、意外と日本人には理解されやすい。
オーベルジュとは、フランスにある宿泊施設付きレストランのこと。温泉旅館同様一泊二食付き。食事と宿泊が込みの料金で、飲んだお酒のみ別払いとなるのが通例だ。

フランスの著名なオーベルシュをいくつか訪問したが、パリなどで高級レストランを利用するときとは圧倒的な違いが一点ある。それは、ダイニングの座席が利用宿泊施設のランク順に、きちんと割り振られることだ。
パリの高級フランス料理店なら、確実に、アジア・中近東エリアの席に通される。料理の内容は別として、パリで食事をしているという臨場感も高揚感も、そこには生まれない。
一度、パリでぼくの通訳をしてくれている友人に頼んで、ネイティブのフランス語で「ランブロワジー」を予約してもらったら、アジア人席をスルーして奥のフランス人席に通された。パリでのレストランの予約は、ネイティプフランス人に頼むしかないなと納得した記憶が残っている。

日本でも、オーベルジュは早々に全国各地で生まれると期待をしたものの、オーベルジュと名乗りながらもペンションの延長だったり、ホテルの付け足しだったりと、料理のクオリティが伴わなかった。

そこで、やっとというか流石と唸るか、高級飲食店展開では世界唯一の一部上場企業としても過言ではない「ひらまつグループ」が、その事業に乗り出した。レストランにある程度成功を収めると、次に宿泊施設、そして学校と拡大するのは多くの飲食店運営会社を見ていると同様の流れがあるが、ひらまつグループは、日本という風土の持つ慣習や肌感覚を壊すことなく、いや、それを大胆に活用し、世界を視野に入れて日本的オーベルジュを、全国各地に作り始めた。

今回取り上げるのは「THE HIRAMATSU HOTELS&RESORTS 熱海」。ホテルズ・アンド・リゾーツでは、世界中の観光地にある大型施設の印象が強く、せっかく作ろうとしている日本的オーベルジュに逆行するような気がして少し残念に感じる。

気分を取り直し、熱海の駅からタクシーで向かう。タクシードライバーは「ひらまつ」というだけで場所を熟知しており、熱海城の上ですよと説明がある。まさに城へ攻め込まれないように作られた、迷路のようなヘアピンカーブを登り、高級和風旅館の趣もある玄関に止まった。
数人の男女スタッフが駆け出して出迎え、荷物を取る。フランスにはない和のもてなしが心地よい。個人の別荘だった純和風の物件を買い受け、そこに洋風の宿泊施設を建て回して完成させたと説明を受ける。なんとも奥ゆかしい建物だ。

もちろん和風の建物ゆえ、玄関と三和土(たたき)がある。そして意外にも靴を脱いで上がるのだ。それ以降施設を辞するまで靴を預け、館内は極上のスリッパで移動。オーベルジュと思い、ドレスアップを考えてきた女性などは相当の肩透かしではないか。ところが、元来室内では裸足で生活するDNAを持つ民族。時が経つにつれ、スリッパで過ごし、スリッパでフランス料理を食べる贅沢な寛ぎは、ここだけの体験だと高揚する。

エントランスでも度肝を抜かれたが、客室はさらに和洋折衷の極みである。ドアを開けてすぐ、部屋の半分は最高クラスのベッドルーム。ホテル客室のベッドカバーは靴のままベッドに上がった際、シーツが汚れないためにあるものだが、ここではすでに不要だ。
客室の真ん中に、部屋全体を間仕切るスライドドアがあり、そのドアを開けはなんと、ど真ん中に風呂、左右に洗面台、奥にシャワールーム。そして全面がガラス張りの巨大な窓。体がしっかり伸ばせる広い湯船には、熱海の温泉が引かれ、24時間、温度も42度に保たれている。

窓からのぞむ相模湾には、海へと視界を遮るものは一切なく、道路や民家も遥か遠くかすかに見える程度。もちろん車の音など全く聞こえない静謐な場。ここまで完璧なプライベート空間が日本の中で実現すること自体、ここは日本なのかと錯覚する。

ディナーは、ふたたび玄関のある日本家屋へと移動し、地元の食材を中心としたフランス料理を堪能。ザ・フランス料理の食材には頼らない、工夫や切り崩しが随所に見えて勢いがある。また、この環境からの和食寄りや流行りのイノベイティブなアプローチには頼らない決意が、美味しさをさらに確実なものにする。。

人生初、スリッパでのディナーに勝るとも劣らないのが、ひらまつ流というか、ひらまつの真骨頂であるサービスだ。料理やワインを何倍にも美味しく感じさせる彼ら彼女らの笑顔、そつのない動き。と、ここまでは市中のレストランにも見られるが、さらに加わるのが、客個人の個性やテーブル内の関係性、求める情報などによって、きちんと過不足なく応対できる柔軟性だろうか。

東京・品川からなら、ほんの30分。予約の取れない寿司店で信じられない高額を支払う客が絶えない東京のグルメ事情。熱海のこんな隠れ家に、どうして目が向かないのかと、日本人はつくづくお金の使い方が下手な人種だと悲しくなる。
優雅で豊かな遊びとは、こんな場所にこもってゆったりと時間を費やすことに他ならない。なお、一人でもこちらの施設は利用できる。

THE HIRAMATSU HOTELS&RESORTS 熱海
●静岡県熱海市熱海1993−237
●0557-52-3301

posted by 伊藤章良 at 18:10| Comment(0) | フランス料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月01日

(124)「鮨みうら」

うんざりする鮨店の現況に
ひと筋の光を見せる

昨今の若い新しい鮨店、具体的に言えば、東麻布「天本」以降。相当数が新たにオープンし「天本」を筆頭に、客が指をくわえて待つ状態になっている。何度も書いているけど、超高額の支払いさえすれば、自分でメニューを考える必要はなく、ひたすら写真を撮ってブロイラーのごとく食べ、予約の取れない席に陣取る自己に陶酔できる。
しかしぼくにとって、「天本」以降にすばらしいなあと感じた新規オープンの店は皆無だ。その理由は三点。

1.あまりにも高額なこと。比較対象としてふさわしいかどうかだが、鮨よりipadの方が安いのだ。

2.日本料理の素養や経験がないのにツマミを色々と出すので、料理の流れや緩急が考慮できていない。ある店のツマミの最初の方でアワビのキモが出された。キモ自体は上質で苦味も際立っていたが、味が強すぎて、ずっと口の中に残り、その後の繊細な魚はほとんどキモの中に消えた。

3.にぎりがユルい。上質の魚は金さえ出せば手に入るが(それを客に転嫁しても文句を言う客はいないが)、握る技術は、やはりそこに年季が必要なことを知る。

あと、どの店もみんな同じようなライティングと内装(笑)というのもあるが、ほぼすべて上記の3点に集約されている。であれば、3点がクリアできる店が現れれば及第点を越えると思うのだが、なかなか出てこない。

そこに一筋の僥倖と巡り合った。麻布十番「鮨みうら」である。
ぼくが日ごろから大好きな、百年続いてほしいと願う数軒をのぞけば、久しぶりに支払いを終わった後も満足感が長く続いたのだった。

「鮨みうら」は、麻布十番の好位置にあるものの、かなり怪しげなビルである。エレベーターまでの廊下に絵画が飾ってあり、ビル内の他のフロアも会員制の文字が目立つ。訪れた日が休日だったので事なきを得たが、平日ならば、エレベーターのドアが開くたびドギマギしたかもしれない。

しかし店のしつらえは、がらりと印象を変える。きちんとエントランスと化粧室、ダイニングが切り分けられ、客が快適に過ごせるレイアウト。店主の眼が行き届くL字カウンター8席。

「鮨みうら」の店主三浦健太さんは、もともと鮨店を開きたくてこの業界に入ったが、考えがあって長く日本料理店でも務められたそうだ(といっても、日本料理店の鮨部門のようだが)。つまり、つまみ半分にぎり半分の今のおまかせコースでは、きちんとした日本料理の技術が必要と理解していたに違いない。
(ただ、それが正しいと言いたいわけではなく、煮炊きしたものをつまみで出さない鮨店なら、その限りではない)

さすがに「鮨みうら」でのつまみは、きちんと流れを考えて構成され、優しく緩やかにスタートする。三浦さんはお酒もお好きなようで、酒の進むつまみも織り込まれるが、決して突出するわけではなく、にぎりへのアプローチを考慮した上り坂を巧に組み立てている。

にぎりは、「鮨なんば」で務めたということからも想像がつくように、酢飯の温度が高い。特に最初に出されたイカを口にしたとき、エッと思った。「鮨なんば」ほどではないが、三浦さんもタネに応じて酢飯の温度は意識していると説明する通り、最初の驚きからは、進につれ慣れるというかなじんでくる感覚だ。酢の加減や酢飯の切り方は好みなので、なじめば抵抗はなかった。

特筆すべきことではないのかもしれないが、三浦さんの包丁さばきには注目してほしい。基本サウスポーなのに、料理人は包丁を右手で使うべきと強制的に直したという。ゆえ、箸を左手に包丁を右手に、つまり両手で持ち、実に器用にまな板の上で動かす。というか、両手を使って仕事をするなら、おそらく日本一効率的で早い職人ではないかなと思う。

お酒、特に日本酒の揃えも見事だ。自らお酒か大好きと言うだけのことはある。好みの地酒がつらつらと並び、どうしても飲みすぎてしまう。しかしながら、おまかせで十分すぎる量をいただき巻物を追加しても、ipad半分くらいの納得価格である。

オープン間もないのに、昨今の超高額店に流れる、ある種の「イキリ」のような空気は感じられず、不思議と終始リラックスしながら時を過ごせる。それは店主三浦さんの風貌にもあるのかなあと思い出し、また訪れたくなった。

「鮨みうら」
●東京都港区麻布十番2丁目12−2−4
● 03-3457-5777
●18:00〜/20:30〜
●定休日は店に確認のこと
posted by 伊藤章良 at 23:09| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月01日

(123)神宮前「樋口」

料理に、サービスに、空間に。
スジの通ったもてなしの哲学


ぼくが神宮前の日本料理店「樋口」を訪れたのは、すでに15年以上前のことと記憶する。店主の樋口一人さんは、とても素敵な女将さんと都心のど真ん中ながら当時は周りにほとんど飲食店がない、いや、ショップも何もない静かなエリアだった。

女将さんがしばらく休んでおられる時期があり、一時はオペレーション的にも少々ギクシャクすることもあったが、多くの若い料理人夫妻が模範とすべきそんな受難も乗り越え安定の時代に入った。

2年ほど前に、3カ月休んで店内を大改装し厨房の位置が今までと逆になった。その休暇期間を無駄に過ごしておられない証左が、今である。雑念のないご自身の境地に入られた、というか進むべき方向が未来が、キッチリ定まったと感じるのだ。

住所は神宮前だが、場所はどの駅からも遠い。しかしそのアプローチがすばらしい。静かな道を今夜の料理に思いを馳せながらてくてくと歩く時間も、かけがえのないディナーの愉しみだ。行き慣れていても、注意しないと見落としてしまうエントランスは、リニューアル後さらに格調高く、そして控えめになったような気がする。

改装後も以前の細長い店内の雰囲気は変わらないが、アプローチから優れた日本文化の一角を見せる。落ち着きと飾らない気高さ。カウンターに座ると、店主の積年の願いが詰まった厨房がコンパクトにまとまっている。そして天井のしつらえが美しい。何度も何度も上を見上げていた。

ぼくは西で生まれ育ち、その後同じ年月を東でも暮らしているので、自分の中で東の料理、西の料理と、なんとなく線引きをしていて、今や東西いずれも甲乙付けがたい。でも、中途半端というか線引きできない京風料理と東京で出会うこともあり、寂しく感じている。

その点「樋口」は違う。東京の客に迎合することなく、素材の持つ表情に徹したストイックな塩加減。店主の樋口さんは生粋の東京の方と聞いているが、まさに日本人がフランス人以上のフランス料理を作るのに等しい気がする。
素材の扱いも、最良の部分だけを入念に吟味していることが分かる。それは自分が使う調味料や決めたダシの味と食材がきちんと寄り添うための重要な仕事なのだ。

最後の食事として、オープン当初からご飯に次いで蕎麦も提供される。その点が東京らしい主張だが、もちろんその蕎麦は江戸前老舗蕎麦とは異なる、コース料理の最後にふさわしい爽やかな喉越しだ。

「樋口」が最大に心地よい点をもう一つ。カウンターでは写真を撮らせないところだろう。カウンターに座るやいなやスマホを出して置く人は多いが、他の客と共有する一本のカウンターに個人の電話を置きっ放しにするのはマナーに反する。写真NGにすれば客はスマホをカウンターに置かない。耳障りなシャッター音も聞こえてこない。もっといえば、料理をいただくより料理写真を撮る方が重要な面々は、食べログ4点以上でも来店しない。
よって「樋口」の客層は静かな大人ばかり。居心地がよく快適で、食事や同席者、店の方々との会話に没頭できる。この店に貫かれた一筋の哲学がここにも感じられるのだ。

店を辞する際、見送りに立たれたご主人と女将さんお二人の姿は日本人形のように美しかった。このお人柄がお店の全てを制するのだと改めて理解した。

本当に、他店も見習ってほしいと切に願う。

「樋口」
●東京都渋谷区神宮前2-19-12
●03-3402-7038
●18:00〜21:00(LO)
●日、祝休
posted by 伊藤章良 at 17:31| Comment(0) | 日本料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月01日

(122)大阪「福助」

名物は白身魚の鍋。西の焼き肉タウン
鶴橋に君臨する老舗高級割烹


ぼくは、プロフィール上大阪生まれとしているが、大阪での生活は昭和までで平成ととも東京在住となった。つまり大学生や新入社員レベルの収入で行ける店しか引き出しはなく、多くは稼げるようになってからの後追いである。

もちろん大阪に実家があり、大阪・京都は地理的にも熟知しているので、それなりのアドバンテージはあるものの、未だに大阪や京都の奥深さを知らされることが多く、驚き震え、ある意味誇らしくもある。

この「深さ」なる概念は、関西の芸人やSNSでディープ大阪みたいなくくり方をされる店とは意味が異なる。歴史や伝統、確かな技術力に裏打ちされた、もっといえば淘汰される中で培われた強さだ。

40以上前から続く大阪・鶴橋の「福助」は、その一軒だろう。
鶴橋といえば、すっかり焼肉タウンだ。駅を降りた瞬間から焼肉の匂い漂う、それが嘘ではない場所である。そんな鶴橋の駅を出た瞬間に、日本料理「福助」の小さな間口がある。そしてここは、魚介専門の、しかも魚介を鍋で食べさせる「ショット鍋」なる料理がメインの店なのだ。

店舗は、奥に長くカウンターが伸び、各所でコンロと鍋があらかじめセットされていて、ぼくも、鍋を挟んで同席の友人と座った。もちろん鶴橋の雑踏とは異次元の格調ある高級割烹だ。二階は広いお座敷で、もうすぐ半世紀を迎える店らしく、さまざまな過去の需要に応えてきた逞しさも感じる。

店の看板にもイラストが描かれているように、冬の時期は当たり前にふぐが出る。座るとまず、とびきりうまいてっさ(ふぐさし)の洗礼からスタート。
ショット鍋は、すべて大将はじめ店のスタッフが調理をする。基本は、煮立った鍋に一種類ずつ魚介や野菜などの食材を入れ、絶妙のタイミングでそれを取り出して、塩、もしくはポン酢で食べる。
ショットとは、ゴルフ、銃、お酒など、さまざまに使われるが、料理人が次々に食材を投入するさまを分かりやすく表現したと想像する。

ぼくは常日頃、焼肉や鍋料理など、客側に調理を任せてしまうスタイルを好まない。であれば家で作ればいいと単純に考えてしまう。いい食材とタレを買ってくれば、家庭でも十分に楽しめるからだ。
「福助」のショット鍋は、その考えをすっかり改めることとなった。ふぐ、ふぐの白子、サワラ、キンメダイ、キンキ、クエ……。高級白身魚が、鍋料理ではありえないレベルの分厚い切身でショットされていく。ここまで厚いと、ちょうど火が入る最高においしいタイミングがいつなのか、素人には見当もつかない。もちろん生でも食べられる鮮度だろう。ただ、茹でることで生まれる独特のあま味、魚それぞれの微妙な香りや違いを感じる愉しさは、プロに委ねなければ体験できない。実際、百貨店でふぐの白子を買って鍋に入れたこともあったが、どのタイミングで食べたらいいか迷っているうちに溶けてしまった苦い思い出もある。

タレは、塩とポン酢が中心。魚によってどれを選ぶか、場合によっては何もつけないでと大将からアドバイスがある。後半にはウスターソースが追加。これまた大阪らしい。アジフライの感覚で魚の種類によっては合うそうだ。高級魚をウスターソースで食べるのは初だが、目からウロコとはまさにここに使うべき言葉。

箸休め、と言うには失礼なほど、きんぴら、もずく、へしこ、漬物と、口を洗いリニューアルするに最適な品々が止めどなくカウンターに並ぶ。さらに、のどぐろのつけ焼きといった焼き物も加わる。

マグロマグロと新年早々からの豊洲の喧騒とは別次元な、白身魚のオンパレード。これこそが西だ。ここまで白身魚の食べ比べを愉しみ、魚料理の神髄に浸ったところで、最後に最高級の牛肉を一枚だけ、というアイデアも痛快だ。
このショット鍋、冬場だけではなく一年を通じて提供される。暑い時期はハモや松茸といった趣向らしい。その徹底ぶりも潔い。

日本酒もレアすぎる品ぞろえだった。飲んだうち、半分は知らない銘柄、そしてもう半分も知ってはいるが、その蔵にて限定出荷されている日常は見かけない代物。しかし、すべての酒が、香りや味に特出するまでの強いベクトルはなく、すべてが白見魚の繊細さに寄り添う儚い味わいだった。

ぼくが訪れた日、大阪北新地で最も老舗クラブのママが、プライベートで来ていて、大将と普通に比良山荘の話をしていた。
大将もママも、齢70代。やはり大阪は深い。

福助
●大阪府大阪市天王寺区下味原町1-23
●06-6771-8473
●17:00〜23:00
●月休
posted by 伊藤章良 at 22:00| Comment(0) | 日本料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月01日

(121)白金台「ラソスタ」

料理人とソムリエールとのコミュニケーションから
生まれる抜群のマッチングと心地よさ


高級な西洋料理店のダイニングでは、アルコール類の仕入れからサービスまでを担当するソムリエという職業が定着した。
日本における長いワインの歴史の中で、田崎真也氏を世界最高ソムリエになり、キャリアとしてのソムリエがレストランに不可欠との認識を脈々と作り上げてきた。
英語圏の人間に対しソムリエと言っても、レストラン関係者以外には通じないが、日本では、飲食に関係なく大抵の人がその意味を理解するぐらい、すごいことである。

ところが昨今、ペアリングと呼ばれる便利で無精なシステムが台頭し、料理のメニューが出来上がったときにワインをセレクトすれば、ソムリエが常時ダイニングにいなくても足りうる事態となった。悲しいことにその多くは、専門家としてのソムリエが本当に考えているのだろうかと首をかしげるぐらいミスマッチなことも多い。さらに先月書いたように、ワンオペの高級一膳飯屋では、料理人がワインのセレクトから提供までやってしまう。料理担当の好みに合わせているだけに、それで十分な場合も多く、さらにレストランからソムリエの存在価値が薄れていく。

ただ、そんな現象を嘆く以前に、そもそもソムリエは、ワインのセレクトやマリアージュを考えるより先に酒の飲まし手であり、その役割をおろそかにしているのも価値を失う理由の一つではないかと考える。
飲まし手とはつまり、端的に的を射る説明やオススメで心地よくグラスを空け、さらに、もう一杯もう一杯と、香りや味わい、アルコール度数の変化で違和感なく杯を重ねてしまう。そんな酒飲みの懐に飛び込むサービスであろう。

そこで今回は、ソムリエの職業を全うする、飲まし手として優れた技量を持つソムリエール(女性)のいるイタリア料理店を紹介しよう。「ラソスタ」という。

「ラソスタ」は白金台。プラチナ通りから一本目黒側に寄った細い道。以前は建築設計事務所だったと聞く瀟洒な建物の地下。小さなダイニングスペースながら、素敵な調度品が過不足なく目を楽しませ、ソムリエ兼サービスを担当する女性が襟を正して出迎える。

ソムリエの話ばかりが先行したが、実は「ラソスタ」のシェフ武田正宏さんの経歴は筋金入りである。日高良実シェフ、濱崎龍一シェフを輩出した「リストランテ山崎」で修業後イタリアに渡り6年。戻って「リストランテ山崎」の5代目料理長を務めた。

料理のアイテム一つ一つはイタリアっぽい輪郭のはっきりしたテイストながら、前菜の盛付けは、日本料理の八寸のように多彩で鮮やか。小田原の海の近くでもシェフの経験があるそうで、魚に対する突っ込み具合が半端ない。力のある素材をチョイスするのは言うまでもないが、皿の上に凝縮させるというよりは、のびのびと皿で泳がせて、食べたときの客の感性が加わって完結するような構成を見る

さらに特筆すべきは柔軟性だろうか。
当初ソムリエが代わったとの一報を受けて訪問。あれこれと新しいソムリエールと料理についても会話し2か月後に再訪すると、料理が見事に変貌を遂げ硬質な輪郭の中に優しさや繊細さが見え隠れした。
それは、料理人とソムリエールとの密なコミュニケーション、つまり客の声をソムリエールが理解し厨房に的確に届けている証だ。当たり前のようで、それができておらず失望するケースは後を絶たないものだ。

飲まし手ソムリエには、飲ませるためにどんな料理を客が欲しているかという情報も、併せて厨房に伝える仕事が必須だと思う。2か月でその片鱗を見せた点にも、新任ソムリエールの潜在能力に触れた気がした。

今日は心の底から美味しく愉しく酔いたい、そんな方々には貴重な一軒となるだろう。

「La Sosta(ラソスタ)」
●東京都港区白金台5-13-14-B1
●03-3447-8934
●水休・その他に月1回
posted by 伊藤章良 at 20:47| Comment(0) | イタリア料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月01日

(120)恵比寿「イル・バロンドーロ」

料理とサービスのペアリングが
resutaurantの存在意義を再認識させてくれる

西麻布に「ペレグリーノ」というイタリア料理店があった。
良質な生ハムを常備、ベーシックなメニューもおいしく、なによりいつでも予約が取れた。もう少し混んでもいいのにねと、そんな会話を友人と交わした記憶がある。
その「ペレグリーノ」のシェフ、高橋隼人さんは近所に移転した。スタッフを減らし、極端に席数を減らし、休みを増やし、客単価を大幅に上げた。そして予約がとれない店となった。これだけが理由ではないだろうが、結果、食べログ東京イタリア料理部門一位になる。高級食材を多用できる環境ゆえ出すものは変わるだろうけど、作っている人は同じだ。この現象、驚きを通り越して、違和感しかない。

もう一点、亀戸「メゼババ」の登場によって、客はどんなに虐げられ、劣悪な環境でも、おいしい料理をいただくためなら、辛抱強く待ち、言われた金額を素直に払うことに慣れてしまった。
「メゼババ」のシェフ高山大さんは、お店以外の場所で会うと、とても腰の低い好青年である。ただ、彼の流儀で店では威厳を崩さず高圧的だ。客がまだかまだかと料理を待っていても悠然と洗い物をしている。
客にへりくだるより、そんな態度をとる方がよほどキツイと思うが、高山シェフは流儀を貫いた。結果、客のほうがマゾヒスティックに耐え忍ぶことを覚え、「メゼババ」での高額支払い告白までが横行するようになった。

上記の二例はシェフ批判ではない。いずれも、シェフご自身の信念のもとに、考えたこと決めたことをやっているだけ。他人の評価ばかりを気にして自分で良し悪しの判断ができない、というか、しようとしない客側に問題がある。
そして、こんなビジネスモデルが拡大するなら、人を雇わなくても劣悪なダイニング環境でもタップリ稼げるなら、世の中からレストランは激減し、どんどん「高額一膳飯屋」ばかりが増える。あまりにも寂しくて悲しい現状が今である。

2018年晩秋、恵比寿にオープンした「イル・バロンドーロ」のシェフ、岩田正記さんは、いらっしゃいませの代わりに「ボナ・セーラ」と叫ぶボナセラ系イタリアンとして一時代を席巻した「イル・ボッカローネ」出身。恵比寿のこの店で19年勤め、恵比寿しか知らないので恵比寿で独立しましたと語るように、白金へと続くバス通りの裏道でひそかにオープンした。同じ通りのほんの50m間に、すでにイタリア料理店が2軒。さらに2018年暮れ、もともと居酒屋だった広い店舗がイタリアンになり、今だに恵比寿はイタリア料理店の激戦区だ。

入口から右側にカウンター席があり、ここはバー使いもできる。奥にもカウンターとテーブルがある細長い構造だ。こぢんまりとしているが、待合的なエントランスのバーの造りなど意外と機能的でモダンなレイアウト。

テーブルについてメニューを見ながら検討していると、長身の男性がスムーズかつにこやかに会話の中に入ってくる。料理もワインも当然だが、イタリアという国自体に造詣が深くネタは尽きることがない。ぼくはシェフのお顔を知らなかったので、あれ、この方がシェフで厨房にいるのはアシスタントかなと、普通に感じたぐらい。もっと席数の多いリストランテでも十分に支配人としてやっていける力量だ。こんなサービス担当が一緒にやっていこうと決めたシェフなら、きっと間違いはない。

感じた通り、シェフはしなやかなのに手堅く、しかも早い。職人として圧倒的だ。オーソドックスなメニューの数々だが、そこにスキがなく見た目以上のおいしさが詰まっている。イタリア料理は、やっぱりこうじゃなくっちゃとぼくの体が叫んでいる。料理がシンプルゆえか余計なことを考えずに済み、胃腸だけではなく頭も疲れない。食べ終わって店を辞して初めて、なんでこんなにおいしかったのか楽しかったのかと改めて振り返るぐらい、食べること飲むことにのめり込んでいた。
それがシェフやサービスの「キャリア」なのだろう。そして、restaurantの語源である回復するための場所にふさわしい存在感である。

もともと外食の場所は、キッチンから料理係が運んできた大皿料理を大テーブルにドンと載せ、それぞれに腰かけた赤の他人が自分の分だけ取り分けて食べていた。それではあまりにもプライバシーがなかろうと、テーブルを小さく分け個々で使えるようにし、そこに給仕係が生まれ、今のカタチのレストランとして発展した。

外食形態は多様であるから面白いし、ぼくもそれを愉しむ一人である。でも、ある種の後退ともいうべき一膳飯屋化する料理店より、restaurantに一軒でも多く通って、その努力を応援したいと思う。

「イル・バロンドーロ」
●東京都渋谷区恵比寿1丁目24−10 アリエス恵比寿ビル 1F
●03-5422-8977
●18時〜26時
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2019年01月01日

(119)赤坂「タンモア」

情報や星に流されない姿勢を貫く

若き女性シェフの堂々たる料理


あけましておめでとうございます。

2019年は平成最後の年、そしてプレオリンピックイヤー。激動・激変の昨年にも比して、目まぐるしい一年が予想される。
平(たいら)に成ればいいなあと、そればかり念じて執筆活動を続けてきたが、とりわけ飲食の世界は、ますます格差が広がっている。現実には紙一重の差もないのに、どうしてここまで客は一極集中するのか。正しい正しくないに関わらず、情報の一人歩きは本当に怖い。

もう一つ、イノベイティブ、ガストロノミックと呼ばれる料理が、ますます退屈になった。
イノベイティブじゃなければ評価されないのは、調査員のレベルの低さを顕著に現わしているだけだ。でも、評価されることを目標にひたする頑張る若い料理人にとっては、低次元の評価者に合わせざるを得ない。これでは料理人の真の実力は上がらないし、客は単なる模倣の連鎖を、高額を払って食べさせられる。

えらそうに言うつもりはないけど、レストランへお金を払うのは、ある意味その店や料理人への投資ともなる。価値ある投資をするために店を選ぶ、これが最近の心境となった。

赤坂のフランス料理店「タンモア」は、まったく存在を知らなかった。評論家でもライターでも、おそらく調査員でもなく、筋金入りのフランス料理の食べ手と尊敬する方からのメールだった。そこには、移転前の「フロリレージュ」に初めて行ったとき以来の衝撃とあり、その一言に震えた。確かに今の「フロリレージュ」は、賞レースに翻弄されている部分も見受ける(がしかし、いつかまた変わるであろうことも期待している)。

メトロの駅では乃木坂が最寄りだが、赤坂からの方が楽しいので、古くから飲食店が並ぶ馴染みの通りを進む。ビルの小さな地下食堂街みたいな一角に「タンモア」を見つけた。

年配の男性に迎えられる。あれ、この人と会ったことあるなあ。そうだワイン評論家の葉山孝太郎さんだ。著書も何冊か読んだ。かなり昔、葉山さんが主催する持ち寄りワイン会にVieux Chateau Certanを用意したら、こんな説明の難しいワインはつらいなあと愉快な口調で言われたことを覚えていた。
若い女性シェフの店との前情報はあったがワイン業界の重鎮に迎えられるサプライズ。記憶に残る一夜となりそうだ。

料理は月替わりでの一種類。メインの肉料理に選択肢があった。基本のフルコース、途中にチーズをはさみデザート2種を加えて7000円。食べた12月のメニューは、フォワグラ、オマール、ブーダン・ノワール、ショコラと、シーズンをきちんと意識した構成だった。

驚くべき、地に足着いた堂々たる料理。ムースがありソースがあり酸がありスープがあり‥‥‥。見かけの美しさや繊細さより、内面に描く姿が伝わる。口にした瞬間から感じる優しさと深み。ある面では大胆で、また別の側に儚さが添えられる、極めて趣きのある皿の連続だ。久しぶりに、舌だけではなく脳が喜ぶ感触があった。

女性シェフはルックスも含めとても若い。フランスで修業し日本に戻ってオープンしたと伺った。ややこしい師弟関係や星の数や流行りすたりなど意識の外にある。古い話で恐縮だが、成澤由浩シェフがフランスから戻って小田原の早川にオープンした「ラナプール」を思い出していた。

ワインのペアリングは、フランス産オンリーとそれ以外の新世界ものと、同じ3500円で2通りの用意がある。趣向自体面白いが、ペアリングの妙はさらに流石としか言いようがなく、失望することの方が多い昨今のペアリングにあって、説明の巧みさも含め文句のつけようがなかった。
葉山さんは毎日おられるわけではなく、シェフのお父様がお友達という縁で手伝っているとのこと。シェフのお母様は美術の先生で陶芸もたしなまれ、店の食器はお母様の手によるものだとか。情報に左右されない、本当の価値が分かる大人がサポートする姿もまた、シェフの人柄、いや個性に違いない。

今から、将来が楽しみだと書くのは少々勇気がいる。ただ、ずっとブレずにこの流儀を貫いてほしいと切に願う。

「タンモワ」
●03-6447-1996
●東京都港区赤坂8-13-19インペリアル赤坂壱番館B109
●12:00~14:00(LO)土日のみ。18:00~21:00(LO)
●水休
posted by 伊藤章良 at 21:12| Comment(0) | フランス料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月01日

(118)新橋「シンバル」

激戦区新橋で安くおいしく飲み食いできる
レアな大人の空間

ぼくは現在、経営者向けの情報サイト「リーダーズ・オンライン」に連載を持っている。
https://leaders-online.jp/category/life/gourmet

たまたま宴席で隣り合わせた税理士法人代表からのご依頼。大変ありがたいご縁だった。
ぼくは、せっかく経営者向けサイトだから、単なるレストランガイドではなく、店の情報と組み合わせて飲食店の経営に踏み込んだ内容にしましょうと提案。初回から上場企業「株式会社ひらまつ」の陣内孝也社長を取材するなど、経営的にも成功している店を取り上げて、すでに10軒以上となる。

とはいえ、カジュアルフードや居酒屋チェーンなどに伺う予定はない。その後もワンダーテーブル、際コーポレーション、WDI(敬称略)等業界大手の社長にインタビューできたので、最近はもう少し専門性の高い店にシフトしつつあり、ますます楽しくなってきた。

経営と美味しい料理とを両立させて成功しているトップに訊くと、すべてではないものの、狙うターゲット層に重きを置いているケースに気づく。
数席しかない孤高の高級鮨や三つ星を取るようなレストランなど、高額や予約の取れなさでしのぎを削るカテゴリではなく、反対に数千円で飲み食いできる、居酒屋チェーンのような安いことが第一シリーズでもない。
その中間層を目指して自分の店を展開する。実は、その層は意外にも競争が少なく、さらに、今一番、客が求めているはずだと語る。

数回前の「酒井商会」でも述べたように、一万円でお釣りがくる価格帯で、おいしく飲み食いができて、すこぶる快適な大人の空間は希少。実は個人的に必死で探しているし、皆さん隠して(笑)教えてくれない分野でもある。
「和」系では、上記のウェブ連載でも紹介した中村悌二氏率いる「フェアグランド」の店など比較的見つかるけど、ワイン中心の西洋系レストランとなるとさらに難しい。ということで、今回はそれにふさわしい一軒「シンバル」をお伝えしたい。

場所は激戦区新橋。ソムリエと料理人、男性2人で営む空間だ。2人ともファーストネームに「シン」が付き場所も新橋。気軽に使ってくださいとの意味も込め「シンバル」としたようだか、まったくバルの印象はない。

二人の経歴を知ると、なるほど確かにバルではないと分かるが、あえて書く必要もなく実際に訪れてみれば納得だろう。
メニューを見ると、和の居酒屋的つまみから生ハムに至る前菜、パスタ、がっつりとしたフレンチの肉料理まで幅広く、それを家庭のキッチンかと思えるような小さなスペースで、一人黙々と作る。全ての料理において味のバランスがきっちたり整っていて、手作りの温かみとプロの技法が両輪となって加速する。

ソムリエも名だたるフランス料理店での経験を持ち、世界のワイナリーにも訪れていて、バルと呼ぶには格の違うレベルだ。しかも高額店で鍛えた舌をフル活用し、世界各地の優れたワインをできる限りの安価で揃える。へー、この味でそんな値段なの?と、毎回瞠目だ。もちろん接客も完璧でしかもイケメンである。

そんな高い技量を持つ連中ながら2人だけで切り盛りする結果、最終的にはエッと見直すほどリーズナブル。もちろんサービス料はとらず、なんらかのチャージもかぶせない。

場所は新橋の通称マッカーサー通り手前。ウェブの地図を頼っていくと入り口が分からない隠れ家感もまた遊び心がくすぐられる。
裏に回って小さな階段を上がるとそこが「シンバル」。カウンター6席とテーブルが4卓ほど。2人で回すには少々多めの客席を、そつなく、そして客にストレスを与えることなくこなすのも、過去の修業と実績の賜物だろう。

オープン2年経つが、未だ食べログに点が付かないぐらいレアで秘密の場所。
にもかかわらず、食べログからの予約も可能。そういったメディアをうまく使って人手を削減する感覚も新しい。

唯一の不満は店内が分煙、つまり禁煙ではないこと。新橋ならではの、バルと名乗ることからの必定か。それゆえ、嫌煙家をお連れするには少々気を遣う。が、時代の趨勢で間もなく全面禁煙になるだろうなと密かに期待をしている。

シンバル
●東京都港区新橋4-18-4 十合ビル 2F
●050-5595-7681
●17:00〜24:00
●日祝
posted by 伊藤章良 at 10:12| Comment(0) | フランス料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月01日

(117)日本橋「フォカッチェリア ブリアンツァ」

伝統の街に誕生した
ローカルなフォカッチャ専門店

9月にフィレンツェに行ったのだけど、着いた日があいにく日曜だった。
名だたるイタリア料理人の皆さんにフィレンツェの名店を教えていただくものの、すべて日曜休み。困ったなあと悩んでいたら、ひとり思い出した。
事情を説明すると長くなるのだが(笑、ぼくの友人の息子さんが20年以上フィレンツェに住んだ経験がありフィレンツェの大学も卒業している。ローカルかつカジュアルで日曜開いている店を教えてもらうには最適の人物だ。
その彼の推薦は、これまた別途一軒書けるぐらい素晴らしいレストランだったのだけど、ここでは冒頭だけ。

もちろん英語は全く通じない。メニューを開くとなんと1ページ目からパスタ、次にピッツア、そしてメインと、前菜が全く載っていない。こりゃまさに理想的な店に来たもんだとほくそえんでいたら、「フォカッチャをどうぞ」とテーブルに置かれたもの、誤解を恐れず形容すれば小麦粉で作ったカリカリのせんべいだ。そこに少量の塩とオリーブオイルがかけられ、その瞬間からイタリア料理になる。うますぎて、ぼりぼりパリパリと無心でつまむ。塩加減もほどよく、続いて運ばれた10ユーロしないボトルワインもクイクイ進み、一本空きそうな勢いだ。

フォカッチャは、日本においてもポピュラーな食べ物である。しかし、ファミレスや、そこそこのイタリア料理店でも、ふかふかの生地でオリーブオイルがしっとり感じられる、スポンジケーキのような食感のものが、日本では概ねフォカッチャと呼ばれている。

冒頭のフィレンツェのケースでも分かるように、フォカッチャといえどもイタリア全土でさまざまなタイプがあり、気候や土壌に合わせ独自に進化を遂げている。
イタリアを巡ると、実は日本に入ってきていない、もしくは違う形でひとり歩きしている例がまだまだあることを痛感する。法律的な制約や食材の輸入制限も考えられるが、「イタメシ」との愛称までもらいつつ、現地のイタリア料理には程遠いこともしばしば起こる。

六本木ヒルズなどで4店舗を展開するブリアンツァグループの奥野義幸シェフも、きっとその疑問、いや憤りを持っていたのだろう。
日本橋高島屋レストランフロアという、これ以上にない保守的な場所に、イタリアのフォカッチャを提供する専門店「フォカッチェリア ブリアンツァ」をオープンした。

イタリアで広く食べられているフォカッチャは、平たく焼いたパンの一種でピッツアの原型とも言われる。日本人がイメージするフワフワでもちもちのパンだけではなく、イースト菌等で発酵させない無発酵パンのカテゴリも存在するのだ。
そんなフォカッチャは、焼くのに時間がかからず粉の味をダイレクトに感じられる特徴を持つ。シンプルゆえ、他の食材との相性もいい。

「フォカッチェリア ブリアンツァ」では、フォカッチャで名を馳せるリグーリア州レッコの伝統的な手法を、東京日本橋へ持ち込んだ。レッコには、古くからのオリジナルレシピを守るフォカッチェリアがたくさんあり、オープン前にスタッフ全員で訪れたと聞いた。
イタリアン激戦区の恵比寿や西麻布ではなく、無発酵のフォカッチャを知らない層が集まるであろう日本橋高島屋であえて披露した大胆さに瞠目すると同時に、この環境にもキッチリとハマる仕掛けが随所に施されている。

基本フォカッチャは、現地から取り寄せたストラッキーノチーズをはさんで焼く、レッコのやり方そのままだ。トッピングや特別に吉田牧場の国産チーズも選択可能。それらを決め焼きあがるまでの間、本格イタリア料理がビュッフェから取り放題。ブリアンツァ本店で修業したシェフがすべて手作りで用意する。前菜や野菜料理は、それぞれ細かく味付けが異なり、サラダに使用する葉物野菜も新鮮で苦みばしった歯ごたえ。スープやパスタ類のホット系に加え、肉、魚料理も。フィレンツェ名物「ランプレドット(牛ギアラ煮込み)」まで、さらっと置いてある。
スタッフから、フォカッチャが仕上がるまでにお腹一杯にならないでくださいねと声がかかるが、そんなことをすっかり忘れて全種類制覇だ。

ビュッフェを2〜3順した辺りでフォカッチャが登場。見た目は大きいけれど軽くて食べやすい。小麦の味もチーズの香りもしっかりと感じられ、舌の上での触感まで記憶に残る。まるで上質のパスタやうどんを食べたときと同じ喜びだ。あっという間に食べてしまうが、その後、空前絶後の満腹感に驚愕。すでにビュッフェには戻れない。こうして取り放題といっても皿に残すことのない流れも、してやられた感アリだった。

果物はビュッフェにあるもののドルチェはない。ところが自らカップに入れるソフトクリームが食べ放題。エンディングにも遊び心を忘れていない。

日本橋高島屋レストランフロアに灯った新しいイタリア料理の潮流。10年後にはあちこちにフォカッチェリアが出来て、イタリア各地のフォカッチャを紹介しているかもしれない。こうして海外の料理が正確に日本に浸透していく姿に、ぼくは改めて期待する。

「フォカッチェリア・ブリアンツァ」
posted by 伊藤章良 at 19:20| Comment(0) | イタリア料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする