いとうあきら イベントの企画・運営・演出を本業とするも、無類の食べ歩き好きが高じて“食べ手”の視点で店や料理を紹介。過去の書き手になかった大人の切り口で飲食への愛情を示した。著書に『東京百年レストラン(T〜V)』。

2017年08月01日

今月はお休みさせていただきます

いつもご愛読ありがとうございます。
今月は著者、伊藤章良さんが出張&夏休みのためお休みさせていただきます。
次回は9月1日となります。
よろしくお願いいたします。 
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2017年07月01日

(103)恵比寿「いまり」

東京屈指の大阪の味
海外を視野に入れた本場のお好み焼き

もう10年近く前になろうか。何度か買い物をしたことのある恵比寿の雑貨店が、突然お好み焼店になった。
僕は大阪出身で、お好み焼にはひとかたならぬ思い入れがある。東京で暮らして約30年。既存店はもちろん、新しい店ができたと聞けば、とにかく一度は顔を出すのが習慣だ。

ただそのお好み焼店、今では名前も忘れてしまったし料理も印象に残らなかった。そしてほどなく閉店。その後、お好み焼仕様のカウンター店舗はとうなるのだろうと動向が気になっていたところ、名前が代わって、いわゆる居ぬきで新たなお好み焼店がスタートした。「いまり」といった。
お店の経営者が代わったなら、もちろん料理も変わるだろうとの確信で再び訪問。今では考えられない、まだ他の客が誰もいない時代だった。

カウンターの向こうに、背の高い精悍な若い男性が一人。容姿だけではなく、ハキハキキビキビとして、すこぶる気持ちがいい。関西弁を隠すことなく武庫之荘から来ましたと言い、実は俳優志望で東京に出てきたんですが、実家の稼業がお好み焼で、いっちょそれを東京でやってみようかと決心しましたと、ご自身のプライベートも開陳する。
敵を作らない笑顔、誰もが好感を持つ素直でストレートな関西人が焼くお好み焼。これはもう、食べる前から流行るだろうなあとの予感があった。
しかも、うまい。そのとき受けた印象も、そして今も、東京でトップクラスにうまい関西のお好み焼かと思う。

店主は鉄板の前でじっと待つ。つまりじっくりすぎるほど火を通す必要性を身に着けている。客はぼくたちだけ。すでに十分火が通っているやに見えるお好み焼も、決して動かさず最良のときが来るのを辛抱強く見守っている。ぼくは、その時間のかけ方に感心した。まして経験を積んできたわけではなく、始めたばかりの店でこの度胸。

実家に敬意を表して「おかんの」と名付けた料理の数々。これがまた一味も二味も折り重なる深みがあって、単純に粉モノと括れない完成度なのだ。

ぼくが『東京百年レストラン』という本を最初に著したとき、百年続いてほしい店として「いまり」も取り上げた。後々に、その当時の「いまり」は取材拒否店だったことを聞き、勝手なことをしたなあと反省もした。
でも店主はぼくの本を店に置いて、スタッフにも、これを書いてくださった方だとぼくを紹介。さらにうれしかったのは、「いまり」を気に入ってくれた著者が他にどんな店を選んでいるのかと興味を持ち、本に掲載した他の店にもあれこれと通っているとの話を、他の店の店主から聞いたときだった。

この味を知ってか知らずか、またたく間にフリでは入れなくなった。無理やり調整して入っても、女性ばかりが鉄板を囲み、料理も食べずグラスは乾いた状態を何度か見た。それでも店主は、丁寧に個々の客に接し、いつもいつも変わらぬさわやかさと笑顔を保っていた。

いつしか「いまり」は、恵比寿駅の反対側に、カウンターのみの最初の店から想像もつかない広いダイニングの店舗をオープン。そして2017年春、五反田に3店目を出店した。彼らしい、地道に一歩ずつ進み続け、自ら百年続いてほしいと願った通りの持続可能性を見せてくれている。

彼を慕うメンバーがどんどん集い始め、そんなメンバーにもチャンスをとの思いで新たな出店を決めたのだろう。オーナーの背中を見て後を追う若手も、礼儀正しく清潔で、なによりカッコいい男たちばかりなのだ。

先日3店目の五反田店を訪問。改めてその進化を確認してきた。オーナーの彼も店にいて、多くのスタッフをある時は助け、ある時は束ねて、オープンしたばかりの五反田店も満員の盛況だった。

オーナーと少し話し、海外出店という夢も聞くことができた。そういえば恵比寿の小さな店にて一人でやっていたころ、彼がニューヨークに行くと聞いたので、いろいろとニューヨークのお店を教えたことを思い出した。あのころの青年は、すでに海外を視野に入れた実業家と成長していて、眩しかった。

「いまり」
●東京都渋谷区恵比寿西2-3-11 メゾン ド エビス 1F
●03-6455-0993
●18:00(土日祝17:00〜)〜25:00
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2017年06月01日

(102)和歌山「ヴィラ・アイーダ」

和歌山の土地と旬の魅力を
その地で鮮やかに描く自然体料理

東京の著名なフランス料理店シェフが、スペインの料理人を連れて北陸の食材を探し巡るNHKの旅番組を観た。
北陸から滋賀まで、さまざまに日本固有の食材や優れた料理法を紹介しながら試食する。最後に厨房へ戻り旅の思い出の一品を二人のコラボで作り上げるという趣向だ。それを観ながらふと考えた。スペイン人シェフが口に出して言うシーンはなかったけど、「それなら、なぜオマエは北陸の地でレストランを開かないんだ」と、普通に聞きたかったのではないか。

最近とみに東京の料理人が、生産者生産者と声高に言うようになった。もちろん料理は食材ありきで生産者と関係を密にし敬意を払うことは極めて大切だ。自ら食材を探して全国を歩いたり、生産者と渡り合ったりすることも、食べ手として頼もしく感じる。
ただぼくは、生産者ありき、生産者頼みではなく、集められた食材を折り重ねアレンジすることが、東京の料理人としての役目、技の見せどころで、客はそれを楽しみに足を運んでいると考える。

東京にここまで多くの飲食店が林立する中、自分の店を他と差別化するにも、差となる特徴を見つけるのが困難ゆえ、生産者の個性や名声に頼らざるを得ない閉塞感が、どうも腑に落ちないのだ。

東京で飲食店を展開する意味は、ビジネスが生産者本位を上回るからに他ならないと思う。それは正しいし恥ずかしいことではない。でも、自分が生産者本位であることを隠れ蓑にしてビジネスにいそしむ面々を潔いとは思えない。

フランスの偉大な料理人フェルナン・ポワンは「若者よ、故郷へ帰れ。そしてその街の市場に行き、その街の人の為に料理を作れ。」との言葉を残している。もし生産者ありきなら、故郷の市場に行き、その街の人の為に料理を作るべきではないか。それがいずれ世界中から客を集める料理になりうることは、フランスのミシュランガイドが100年かけて証明してきた。

今回紹介する和歌山の「ヴィラ・アイーダ」は、約20年間の研鑚によって生産地に根付くことを証明した貴重なレストランである。よく知られるように、和歌山地場の食材だけではなく、それ以上に自分の畑で栽培した野菜を中心としてコース料理を構成している。市場でも見ることのできないような野菜の数々は、東京でも注目するシェフが多く、「フロリレージュ」の野菜も「ヴィラ・アイーダ」から一部を仕入れていると聞く。もはやイタリアンと呼ぶより、言葉を探すなら和歌山料理店だろうか。

フランスやイタリアでも、クルマでしばらく走らないと見つからない、吸い込まれそうにステキな外観。食事の楽しみは、すでにここから始まることをヨーロッパを巡って幾度か体験し、和歌山でもまさにそれが可能な場所があることに気づく。

訪れた日はゴールデンウイークの最中。元々料理人だったというマダムから、今の時期は豆しか収穫がないので、今日は豆のコースですよと告げられる。豆というのは日本人の感覚からいうと少々軽んじられる平凡な食材である。というのも、ほとんど目にすることのない豆の豊富な種類を知らないからだろう。

その日の豆の個性は圧巻だった。そして、堂々たるものだ。
東京のレストランでは、今は豆しか取れないという理由で豆を中心にコースを作ることなどありえない。ところが「ヴィラ・アイーダ」は、あえて挑戦する。季節や収穫のイメージに結びつけ、店のコンセプトを客に認識、納得させるためなのだ。

もちろん豆が主体としても、それを補い凌駕する食材は、魚・肉を含めてふんだんに登場する。そこでも当然、和歌山の地のものばかりとの組み合わせだ。徹底したこだわりというよりは、自然体なのだろう。いかに日本の、とりわけ東京のレストランが無理や苦労をして料理を提供しているか、「ヴィラ・アイーダ」に来ると感じることができる。

さらに驚いたのは、お酒とのマリアージュだった。
マダムのススメでチョイスした北イタリアのシャルドネとともに、お店と隣接する海南市で醸された日本酒を持ち込ませてもらった。
驚いたことに、前菜から肉料理に至るまで、どの料理もどの皿も、ワインより日本酒の方がすっきりと調和して、料理のエッジをさらに際立たせる触媒となってくれた。これこそがテロワールのたまもの。原料が米だの蒲萄だのとは関係なく、和歌山の食には和歌山の酒だという衝撃の事実だ。

たまたま隣の席に大勢の東京からの集団がいて、コント・ラフォンなどのワインを持ち込んで食事会をしていた。東京から和歌山までやってきて、フランスの高級ワインを飲むという。その姿は、あまりにもステレオタイプで残念としか思えなかった。

ぼくたちが「ヴィラ・アイーダ」を目指す意味、そして意義。ここにはビジネスとは真逆の、崇高な料理人としての思いがある。それに習い身を任せることのできる客がもっと増えれば、故郷に帰る若者も増えることになるのかもしれない。

「ヴィラ・アイーダ」
●和歌山県岩出市川尻71-5
●0736-63-2227
●11:30〜14:00、18:00〜21:00
●月休(祝日の場合は翌日)
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2017年05月01日

(101)広尾「ボッテガ」

予約がとれない人気の秘密は
食べ手を饒舌にさせる魅力的な皿にあり

ぼくの妻は、フラワーデザインを生業としている。一番得意なのは、ブーケなどウェディング装飾。それ以外に、新店オープンやお誕生日、芝居の役者などへ贈るスタンド花も頻繁に作成している。

ぼくが入手するレストラン新店情報は、意外と妻からというものも多い。
妻が依頼を受けて新規でオープンするレストランに花を届け、「え、それって、どこなの」「ああ、あの店のシェフ、独立したんだ」等々の会話が我が家でしばしば沸き起こる。

妻が花を届ける際、注目しているのはお届け先スタッフの対応だ。受け取る側は、もちろん伊藤章良のヨメとは知らず(笑)、花屋の配達として相対する。客でもないし、ましてや出資者でもない一業者をどのように扱うか、そこにレストランの裏側が見て取れる、けっこうコワい話なのだ。怒りながら帰宅することもしばしばある。でも、とてもすばらしい人柄に感激して晴れやかに戻るときもある。最近記憶に残る一軒は、「バカール」から移転オープンした「シンシア」。この店の絶大なる人気は、やはり表裏トータルとして本物なのだ。妻は「シンシア」に行ってみたいと切望するものの、いまだ予約が取れない(泣)。

そしてもっと最近、妻がすばらしかったと語った店。それは、広尾の「ボッテガ」だった。その後、オープンしてすぐにでも行こうと思いつつ予定が合わず、さあ、と電話をするも2度満席で振られた。アッという間に人気店だよなあと、それでもトライをして、ようやく訪問にこぎつけた。

地下に降りるとカウンター中心の静謐な空間。
男性2人に女性1人。予約電話時の気持ちのいい穏やかな応対は女性の声だったので、ああ彼女なんだなあと認識しつつ席に案内される。
厨房は、いかにも職人気質なシェフと、それをサポートして余りある笑顔のさわやかな男性。ぼくが予約をお願いした時間だと厨房がたて込むので30分ずらしてほしいと言われた、その意図を一瞬で理解する。入念に手をかけ丁寧に仕上げた料理が出てくるんだろうと、食いしん坊のアンテナはますます敏感になっていく。

とても、とてもおいしいイタリア料理店である。
メニューを見ただけでも垂涎ながら、実際に目の前に置かれるとメニューのテキストから得られる情報をはるかに超えている。カルパッチョ仕立てとあっても、まったく見知っているカルパッチョではない。ヤリイカのローストも、ヤリイカと野菜の一体感が半端なく、もはやローストとしてだけの範囲を逸脱している。

パスタはさらに饒舌に語りたくなる。シェフはアロマフレスカグループ出身でパスタのうまさに元々定評があるものの、自家製生麺の特徴を知り尽くした、しっとり感と弾力の相互作用は、今でも目をつぶると口の中によみがえる。
とりわけ、“完熟トマト、パンチェッタ、卵黄で和えたトンナレッリ”。
トマトとパンチェッタ、イタリアを代表する極め付けのシンプルさながら、トマトソースとパンチェッタを見切った匠の技。突き抜けるジューシーさ、バランス感覚を通り越した優しさは、自分自身を初めて「アロマフレスカ」に訪れたときまで遡らせた。広尾の明治通りそば、フランス料理「アラジン」の地下にあったファースト「アロマフレスカ」。母と訪れたその母から、「この店にわたしと来てるようじゃダメよ」と言わしめた高揚感と艶っぽさが、突然蘇ったのである。

ぼくは、ほとんど一つ一つ食べた料理を取り上げて紹介することをしない。その理由は、もしぼくの文章を読んで興味を持ってくださった方が実際に店に足を運んだ際、同じメニューが必ずあると保証できないからだ。それでも「ボッテガ」の料理を具体的に書きたい。そんな気持ちは久しぶりである。
これもほとんど使わない言葉だけど、いや、使うべきではないと師匠に教わったが、至福の時間だった。

妻がお届けをした花の話題になった。開店当初、表にある花を見て、新規オープンを知り飛び込んでくる客も多数いたとか。少しはお店の役にたってるんだな。そして、お花屋さんにきちんと応対して本当によかったと笑い安堵する様子に親しみを覚えた。優れた料理と、このアットホームさ。
満席が続いても、そのいずれも見失わず、いつまでも客を楽しませてほしい。

「ボッテガ」
●東京都渋谷区 広尾5-17-8 アプリシエ広尾B1F
●03-6450-3933
●17:00〜25:00
●日休

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2017年04月01日

(100)投稿百回に思う

土田美登世さんが管理するこのサイトに寄稿してついに百回を迎えた。何年だろうか。あまり年月は意識しないけど、百という数字、文字はぼくにとって最大のラッキーナンバーであることに間違いない。百のおがげで本を三冊出版し、一年間テレビの食旅行番組に主演した。

ただ、こんなぼくの書き手としての登場にも土田さんが大きくかかわっている。
共通の友人を介して出会った当時、ぼくはまったく食についての原稿を書くつもりはなかったものの、食事の席では、何の役にも立たない持論を展開していた。土田さんは斎藤壽(「料理通信」顧問、北海道「美瑛料理塾」塾長)氏とともに柴田書店を退職し、ちょうど「料理王国」というズコイ雑誌を立ち上げたばかり。表紙がミシェル・ブラだったりして今からは考えられない高いクオリティだった。

そこに「連載してみない?」と声をかけてくださったのが土田さんだ。
「玄人ばかりの食雑誌の中に素人の意見で風穴をあけたいのよ」と彼女は言った。20年以上前の話である。
それ以来ずっと、土田さんと当時の編集長だった斎藤氏が自分の師匠だと思っている。土田さんから、また土田さんを通じて斎藤さんの意見や考え方がしみ込んだ。修業と修行、フレンチとフランス料理は、それぞれ意味が違う。それを理解していないライターはダメだと言われ、食事中にメモや写真を撮るのは、料理を作った人サービスした人に失礼だとも諭された。当時のぼくはトイレに駆け込んで密かにメモったことも数えきれない。
結果、食に関する文章がきちんと書けるようになり、食事中にメモや写真は撮らない伊藤章良ができあがった。
そしてぼくが、「新・大人の食べ歩き」を書き続けてる大きな理由も、師匠である土田さんに自分の原稿を編集してもらいたいからである。

ぼくが原稿を書き始めた当時、飲食店の情報は少なく限られていた。年に一度、二年に一度発売されるガイド本が頼りで、書店に並ぶのを今か今かと待っていた時代だ。その後、レストランを紹介する側とレストランとの癒着が取りざたされ、フードライターはレストランのスポークスマンであるという位置づけがなんとなく出来上がった。

レストランをレビューする、食を評論するという作業は、書物や映画等の文化的な作品の評価とは異なる。実力を上げるのに座学だけでは足りず、実践というとてもお金と時間のかかる膨大な経験が必要なのだ。となると、少々の知識や取材力より、いかに多くの経験を積んでいるかの方が勝ってくる。
それでもネット以前なら、媒体を持っているのはライターだけだったが、誰もが自由にブログにしたりレビューができたりする時代。金と時間と経験に勝る人たちからの素人情報は、プロのライターを凌駕し始めた。

それが残念ながら今の状況である。フードライターがきちんと取材して書いたものも、ブロガーの偏愛あふれる日記もレビュアーの偏見に満ちたレビューも、大同小異。すべてがそのレストランに対する総合的な評価として読む側は受けとめる。
本当に正しく信じられるのはフードライターであってほしいのだが、勉強や下調べが足りない文章も散見され、経験値とあり余った時間と金に勝る富裕層や奥様層に軍配が上がるケースも少なくない。

ゆえぼくは、新・大人の食べ歩きでは、フードライターもブロガーもレビュアーも書かない文章を創ろうと、土田さんから依頼があった当初から決めていた。極めて料理人側の土田さんとは何度も揉めて、もうやめてくださいと言われたとこともある。

でも百回を迎えた。
そして最近とみに、他の誰もが書かない文章になってきた認識もある。
上から目線だったり嫌味だったり、そこに携わる皆さんがそれぞれ片腹痛い内容に終始する展開も多い。でもそれは、ヨイショとも偏見とも違う、誰よりもレストランに愛情があるであろうと自負する自分の言霊である。

話は変わるが、つい先日、ある料理人さんから、伊藤さんって『デニーロ感』がありますよねと言われた。デニーロ、もちろんロバート・デ・ニーロのことだ。
自分が自分がと前に出ることはせず派手さはないけど、後輩から慕われ尊敬され、ご自身でも他の俳優にはできない確固たる仕事をされてきた。もしそんなイメージなら、百歳まで長生きできそうなほどうれしい。
posted by 伊藤章良 at 07:08| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月01日

(99)台北「RAW」

料理やワインの印象を超えるほどの
徹底した清潔感

日本の某レストランに行った時のことだ。
料理を食べるというよりは料理人の話を聞く、みたいな展開。劇場型とかいわれる存在らしい。劇場なら役者に任せて料理に専念してほしいと単純に思うわけだが、なかなか饒舌で興味深い話もするし、それを聞いた後で見る皿は認識度や感動も大きい。

ただぼくは、ひとつ大きな疑問を抱いた。
料理人が皆、汚いのである。もっといえば、見るからに不潔なのだ。
どんなに優れた技術を持ち、客の想像力をはるかに超えるアイデア表現があったとしても、料理人に一番に望みたいのは清潔であることだ。
ぼくはその瞬間に食欲をなくし気持ちまでげんなりしてしまったが、劇場型というアプローチに、日本人ですら清潔さを求めない、いや忘れてしまうのだから、ある意味成功なのか。

もちろん、ファッション・髪型・肌の色等、どのような風体や色や柄を好もうと当然個人の自由である。ただそれは、人前に出るか出ないかということとは別問題だ。客の前に出て、料理人としてご自身の持つ哲学やコンセプトを語るなら、身綺麗であることも大変重要だと考える。

日本人はとても清潔な国民だし、他人やパブリックな空間にも清潔さを求める。
その傾向はますます増長して、最近では駅のトイレもホテル並みに美しかったりする。
飲食店もしかり。アジアの国で、いや欧米を含めても日本ほど飲食店が清潔な国は類を見ない。

さて、台北にある「RAW」というフランス料理店に行ってきた。
少しこの店の解説を試みたい。ずっと以前にクーチャンネルのコラムで書いたシンガポールのフランス料理店「アンドレ」のシェフであるアンドレ・チャンは台湾人で、自分の基幹店はシンガポールに置くが、その凱旋というか祖国に錦を飾った姉妹店こそが「RAW」である。
「アンドレ」は、世界のベストレストランとかいう炭酸水のメーカーがやっているランキングにてアジアで2位(ちなみに日本のトップは「ナリサワ」で6位)、「RAW」も24位に入っていて、三ツ星の「鮨さいとう」より上である。

「RAW」は、現在台北において尋常ではないほど予約の取れない店となっている。50席程度のダイニングに日々1000件以上の予約のアクセスがあるそうで、オークションやダフ行為も横行しているとの噂も聞く。
たまたま直前に、台北のホテルコンシェルジュに人数の変更を頼んだら、今まで幾度となく海外の客に予約を頼まれたが一度も取れことがない。予約を取ることよりキャンセルの方が先なんてと嘆かれ、別件でホテルのサービスセンターと電話をしていると、お客様はRAWへ行かれるのですね。アンドレ・チャンは台湾の英雄ですと胸を張られ、ホテルのベルボーイに行先の住所を見せたら、RAWに行くのか。なんて幸運でうらやましい奴だと、真剣に羨望のまなざしを向けられた。

そして「RAW」に入店、なぜか最上の席に案内される。眼前に半オープンキッチンになっている厨房そして大人数の料理人を見た最初に、なんて美しい清潔な連中なんだ! と驚愕した。
きちんと刈り込まれた黒い頭髪、真っ白な長袖シャツ、全員お揃いのデニムのエプロン、白い肌……。最初、このシーンはすべて役者で自分が観ているのはプロジェクターから投影されたスクリーンに映る映像なのかと錯覚してしまったほどだ。

なにせ「鮨さいとう」より上位の店なのだ。料理がすばらしいことをあえて書かないが、その後も驚くことが連続した。一皿ごとに、つまりコースの一皿を下げるたびに、日本でいうデザートコースに入る前のような感じで、パン屑を掃除し皿を置くためのマットのゴミを落とし、ワイングラスやパンの位置を整える、それをサービススタッフは都度繰り返すのである。

ここから先はまったくのぼくの想像だが、台湾の英雄アンドレ・チャンは、この一軒のフランス料理店でタイワニーの食習慣までも変えようと試みているのではないか。その必然として、考えられないぐらい予約の取れない店に育て上げ、この店での食事が究極の理想なのだとタイワニーに分からせようとしているのではないか。

台湾は中国本土など他のアジア圏に比べると清潔な方だが、やはり骨付きや殻付きの料理が多いこともあって、食事が進むにつれテーブル上は所せましと食べカスで埋っていく。それも含めての臨場感とぼくも一緒に溶け込み楽しむが、西洋の食事は、常にテーブルの上をきれいに清潔に保ちながら進めていくことが通常で、日本では家庭でもそれを実践している。キレイに食事をする欧米や日本ではあたりまえの習慣、それを「RAW」を体験することでタイワニーに伝えようとしているのではないかと気づいたのである。

その視点で見ると、目に入るところすべてに、実は何も物がおかれていないことに気づく。「RAW」に雑然という言葉は存在しない。コルクを抜いたワインを冷やすワインクーラーも引き出しの中に収納される。各テーブルのカトラリーもすべてテーブルの下の引き出しに入っていて、昨今このアプローチは日本でも見る。しかし目的は日本と異なり、これについてもカトラリーを使うに際しタイワニーにさらに踏み込んで考える機会をを与える手段の一つに思えてくる。小さなゴミですら、引き出しを開けてその中に入れる所作を見て、そこまで徹底させているのかと感嘆した。

レストランの紹介に料理やワインのことを書かなくて恐縮至極である。
ただそれ以上に書きたいことがありすぎて前後編に分けたいぐらいだ。

ラストまで清潔をテーマとして続けると、特に中華圏ではトイレの汚さに閉口することが多い。女性はできるだけ店内のトイレは使いたくないという声も聞く。
「RAW」の化粧室は、一万軒以上レストランに行った中でも、もっとも度肝を抜かれた構造になっている。一瞬なんだこれはと異空間に迷い込む。こうして化粧室の重要性までタイワニーに訴えるというその英雄ぶりに、ただただ嘆息するのみだった。

RAW
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2017年02月02日

(98)渋谷「池湖」

システムの不具合でアップが1日遅くなりましたこと、深くお詫びいたします
***


高額の波が押し寄せる本格中国料理において安価。
立地でもたげるオトコの下心を抑制できる上質な料理

前回、「たいへん上手に描けた子供の絵」を題材にしたので、今月も少し絵画を例にとって話を始めたい。
ここ何百年間で描かれた巨匠とよばれる画家の作品は、当然ながら世界的に高く評価され、とてつもない高額で取引されている。とりわけ日本人は、この「世界的に高く評価された」ことが大好きで、評価と価格が高いから、この絵は優れていると認識。個人の好き嫌いとか感性に合うとは関係なく展示会に出かけ、金持ちはこぞって購入する。どこもかしこも、ゴッホやシャガールばかりである。

誰もが優れていると認めてしまった(すでに終了した)ものへの憧憬や投資ってワクワクするのだろうか。もちろん投機のために動かす人たちもいるだろう。それは芸術を金儲けに使うわけで、さらに卑しいともいえるが。

近いことが東京の外食の世界でも起こっている。
予約が全く取れなくなった超人気店ばかりを集め星やアワードを授与したりパトロンになったりという金銭や労力を、底辺を引き上げ埋もれている価値を見出す方向に繋げていけないものだろうか。
すでに価値や名声を確立した料理人や店より、自分自身や自分の仲間で密かに楽しめ共有する、そんなキラリと光る店を見つける悦楽を享受しないのか。

他人が、というより多くの人が散々に引いたレールを単にトレースするだけの、安全で退屈なスタンプラリーばかりを近くで見ていると、やっぱりここでも、結局は子供の課題解決手法なのかと思わざるをえない。大人にしかできない、というかもっと皆で大人になって大人の愉しみ、応援の歓びを感じたいものだ。

今回取り上げる中華バル「池湖」は、東急文化村から渋谷のホテル街に上がる坂の途中にある。自ら中華バルとオフィシャルサイトで名乗っているのでしかたがないが、〇〇バルと称するだけで、最初から料理はイマイチですと言い訳をしているようにも見え、しかも黒く埋もれたビルの4階。食べること以外の目的がないと選択肢にはなりにくい環境だ。

ところが。
中華バルなのに料理がめっぽうウマイ。2017年2月現在、男性が一人で営むが、つき出しのえびせんから、客が来るたびにひとつひとつ丁寧に揚げて用意する。名物である焼豚も注文を受けてから火を入れ始める。カウンター中心で店主の動きが逐一見渡せ、よどみなくテキパキと対応しつつ料理のすべてに手間を惜しまず真面目一徹なのを確認する。

メニューにXO醤を使った料理があったので、自家製ですかと聞いたら、醤の作り方は修業先で学んできたが、一から作ると採算がとれないので仕入れています。でもいつかは自家製でやりたい、との言葉が返ってきた。
ただ、ほとんどの調味料は自家製。食材のロスを極力なくすための小さな工夫がちりばめられ、玄人をも唸らせる技巧を随所に備える。
そう、店主はアイアンシェフ脇屋友詞氏のもとで、約10年じっくりと修業を積み、脇屋氏と中国各地も回ったという。

さらに言えば、大丈夫なのかと心配するぐらい安価だ。安さゆえ客層が荒れることも先回りして不安になる。昨今、鮨だけではなく中国料理にまで高額の波が押し寄せ天を仰ぎたくなるが、ここではそんな不安も一掃。未だ食べたことはないが、フカヒレ(6,000円)もメニューにあるので、いつかトライしてみたい。

さて『東京いい店やれる店』という黄色い本をご存知だろうか。
やれるかどうかという視点で飲食店を評価する画期的なガイドだが、やれるためには、下心を封印しつつそれを上回る驚きや意外性、ひいては感動を与える店を選ばなくてはならない。「池湖」こそ、立地といい味といい、いい店やれる店の秀逸なる一軒ともいえよう。
店名の「池湖」は、店主が池田さんなので、池よりも大きな湖に成長したいとの思いでつけたそうだ。ただ一説には、店主が通っていたゲイバーでイケコと呼ばれていたからだとも聞く。そんな店主ゆえ、さらに「やれる店」としてオトコの味方となってくれるような気がする。

「池湖」
●東京都渋谷区道玄坂2-22-6 CREA道玄坂 4F
●03-6455-1550
●11:30〜14:30、18:00〜23:30
●月休

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2017年01月01日

(97)新橋「割烹 山路」

今年も期待。大人の作品を描く
若き日本料理人

あけましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願いします。

そろそろ、この新・大人の食べ歩きも100回を数えるということで、書き始めた当初はいろいろと方向性を模索していたものの、最近は自分が書きたいことを比較的完結に書けるようになってきたかなと感じています。少しずつブレイクスルーした自分を、今年もこのページに表現していきたいと思います。

TBSのバラエティ番組で、数枚の絵をパネラー見せてその中で一枚だけ何億円もするものを当てるというコーナーがある。ぼくもテレビを観ながら考えるが、絵の質感や色がテレビだとよく分からないこともあり、何億もする絵画を当てるのは相当難しい。もちろん回答者も外す人が続出する。しかも、その高価な絵画以外は小学生が描いているとの種明かしもある。今の小学生ってすごいなといつも関心しっぱなしだ。

さて、最近特に料理の世界で思うのは、ああ、このお皿って、たいへん上手に描けた子供の絵と同様だなと感じるケースが頻繁にあることだ。特に和食系に顕著。加えて言えばそんな子供の料理に何万も出す人の多いことか。

子供の絵と何億もする芸術作品との違い、それは、キャンバスの中にどれだけ無駄がないか、その中で可能な限り取捨選択、いや引き算ができているかだと考える。概念的には分かっているものの、四角い中にそれを見つける能力や経験は自分にはない。いっぽう料理の世界では、経験だけは長年積んできたので、これは子供の上手な絵なのか、きちんと大人が描いた作品といえるのか、そこに高額の価値があるのか。ある程度判断できるような気がする。

2016年を振り返って、東京の日本料理店で大人の作品だなあと強く印象に残ったのは新橋の「割烹 山路」。意外にもかなり若手の料理人だった。
店は烏森神社脇の飲食店街、ビルの2階である。つい先日まで別の形態の店が営業していた空間をそのまま引き継いでいるようにも見え、店舗からは料理人本人の個性や主張はほとんど感じられない。あえて言うなら、「山路」という暖簾ぐらいだろうか。

そんなシンプルな環境下で食事はスタートしたが、皿が自分の前に置かれるたび、静かに心が震えるような感動を久しぶりに経験した。店主はこれと決めて入手した食材をさらに一つ一つ吟味し、食材を際立たせる調味料を自作し、それ以外は何も加えず足さず仕上げる。今日は魚河岸にすごくおいしそうなハタハタがあったのでと、シンプルに焼いて供するが、見たこともない大きなハタハタで身は締まり、たっぷり卵も詰まっていて別種の味わいがあり、そこにほんの少し添えられたオリジナルの調味料との組み合わせで、シンプルな焼き魚にも3度の楽しみをもたらす。

料理人もそれを紹介するライターも「食材の持ち味を生かす」と安易に表現するが、基本的に食材の持ち味を生かせなくてはプロの料理人ではない。ぼくたちは、食材の持ち味が生かされた次の段階を心待ちにしているのだ。単に持ち味をいただくなら、わざわざ料理店に足を運ぶ必要はない。

たとえば、とても渋い野菜があったとして、ほんの少しの調味料や調理技術でその渋さを損なわず、逆に上手に印象づけながら美味しいと感じさせる。食べ手側は、「え、何か手を加えた?」と首をかしげるぐらいな引き算のなせる技。「割烹 山路」の料理にはそれがあった。

若いながらも彼のなかに、きちんと食材そして調味料が整理されていて、一皿一皿それぞれの戸棚を開いて提供するのだろう。高級品や希少品を乱暴、いや無謀に組み合わせて豪華に皿に盛り付け、客の舌よりは情報が詰まった左脳にのみ働きかける。さあどうだと眼前に置かれても、それはやっぱりたいへん上手な子供の絵なのだ。そこにぼくは技も洗練も魅力も愛情も感じることができない。

清酒の選択も彼らしい。自分は酒のことがあまり分からないので、二軒の酒屋さんに対し、コースの最初、中盤、ラストに合うとの観点で三本持ってきてくださいとオーダーするそうだ。「割烹 山路」には二軒の酒屋が競う銘酒が、マリアージュも考慮され常に6本揃っている。実にクレバーなやり方だと思う。

食べてこそ美味しい、それは食べた本人だけしか味わえないからこそ価値がある。将来が楽しみな店との出会いは、客自身をも若返らせる。

「割烹 山路」
●東京都港区新橋2-9-12 フロンティアビル 2F
●050-5590-8896(専用予約)
●12:00〜(なくなり次第終了)、18:00〜23:00(L.O.22:00)
●日祝休
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2016年12月01日

(96)「麻布 山路」

偉大なる師匠たちの技と心を受け継いで
港区に帰り咲いたすしの名店

「山路」と聞いて、テレ朝通りを少し脇に入ったところにある「鮨」の大きな看板を思い出した方は、相当のすし通であろう。
もはや伝説となった鮨職人・藤本繁蔵から薫陶を受けた弟子といわれる、清水喜久男、鈴木民部、新津武昭らと並ぶ位置にこの舘野弘光氏の店「山路」はあったが、抜群の立地や店に敷きつめられた赤じゅうたんの色っぽさ、そして店主のざっくばらんな人柄等、1980年代東京に移動してすぐの自分にはとても親しみやすく、最初に受けた江戸前鮨の洗礼だった。よく言われる関東と関西とで異なるテイストとは、うどんでも蕎麦でも鰻でもなく、一番大きく違うのは「鮨」なのだ、と深く知った。

松田優作が愛した店などさまざまな逸話が残り場所柄も芸能系の方々が多い環境で、六本木ヒルズができる前のこの界隈のコアな東京っぽい雰囲気がまた格別。全国からの来客、例えば大阪の兄と慕うJ氏や広島の弟と想うI君など、食べ好きの友人も多数お連れした思い出がある。

テナントビルの取り壊しが理由とも聞くが「山路」は閉店、舘野氏は腕を買われて別の店を少し手伝っておられるとまでは耳にした。ただ、六本木当時のお弟子さんが「山路」という屋号を引き継いで、盛岡で鮨店を営まれている、との話は伝わってこなかった。

そして、もっと驚いたのは、10代のころから六本木の「山路」で舘野氏の元にて修業ののち盛岡に移って36年間続けた「山路」を閉め、再び東京の麻布に「山路」を再開させた、という事実に直面したときだ。

ご主人曰く、二人いる息子さんも料理人だが、おひとりは東京でお勤め、もう一人はすでに東京で店を開いており、盛岡の店を継ぐ人間は誰もいない。であるなら、ぼくが再び東京に行こうと思い立ったというのである。60代後半からの新たな東京出店なのだ。そんな熱い前情報のなか予約の電話を入れると、優しい東北なまりの女将さんによる応対で、これはもう間違いないと確信。心が震え静かに興奮した。

お店は、東京メトロ麻布十番駅からすぐ。軽井沢に本店のある蕎麦「川上庵」の前である。頻繁に歩いているこの界隈だが、不覚にも「麻布 山路」の暖簾に気づくことはなかった。店内にすすむと予約電話通りの柔和な女将さんの笑顔に迎えられ、この道50年というベテランながらも、新たな東京出発に意気が揚がるご主人の前へと導かれた。

刺身、召し上がりますかの声にうなずくと、いかにも老舗のごとく、皿を広く使っての4点盛。日本酒に切り替えると岩手の未経験な銘柄。ホタテ、赤ムツなど火を入れたお魚が続く。強烈にうまいかというと、それはよくわからない。でも、この上なく快適だった。

昨今の東京の鮨店は、血気盛んな若手の職人による高級食材の饗宴である。店内もその職人と呼応してギラギラに明るい。しかも、少しずつ次から次へと出てきて都度長い解説が入るので味の本質がつかめない。客はブロイラーのごとく連続して突っつき続け、落ち着く暇もない。

にぎりをお願いする。酢飯はかなりのアルデンテである。この硬さを盛岡でも提供し続けてこられたのだろうか。今の東京の主流は、もう少し酢や塩を利かせた具合だが、酢飯の炊き加減には往年の六本木「山路」を彷彿とさせるものがあった。しかもさすがというべきか、これも昨今の若手職人には技術的に追いつけない、握る際の力加減にこそ、この道50年の技を感じて目頭が熱くなる。

他の客は、焼酎を飲みつまみながらのビジネス談義で、にぎりは少々との注文。
30年前なら「すきやばし次郎」にもこんな客はいたなあと思いつつ、おそらくは盛岡でも移ってきた東京に至っても、まだまだこういった客層なのかと少々残念に思う。その日は、コハダをお願いしても寝かせが足りないのでまだ未完成と言い、かんぴょうを頼んだら冷凍しかないとの回答。

ただ、圧倒的な技術力と実直なお人柄は比類なく、しかもここが藤本繁蔵の孫弟子の店と知られることになれば、高スペックが大好きな東京の鮨フリークがいずれは日参するに違いない。
そして、そんな鮨好きが飲み客を圧倒しつつ、ご主人が本流のにぎりに注力し昔の杵柄を取り戻したあたりで(おそらくすぐだと思うが)、また再訪しようと強く誓った。

「麻布 山路」
●東京都港区麻布十番3-2-6 ライオンズマンション麻布十番第三 105
●03-6453-6717
●17:00〜23:00
●水休
posted by 伊藤章良 at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月01日

(95)南青山「いち太」

締めは秀逸のそば。東京らしい日本料理を

踏襲する若き主の攻めの舞台

日本料理は、そこに訪れる客の潜在意識として、京都の料理、つまり京料理とのイメージが強い。関西にも東京にも暮らしたことのあるぼくは、その両方の良さや残念な面を多数体験し私見も持っているが、一番残念に思うのは、日本料理に限って言えば、東京の人はあまりにも京都の匠を神格化しすぎで、京都はまたそんな東京を自分たちより下に見て(あくまで日本料理の世界に限るが)、利用しようという意識が感じられる点だ。

東京から関西方面、特に京都の高級割烹に大挙して訪れ、それが京都での一大マーケットを形成する。京都を神格化している美食家たちは、掛け値なしにうまいすごいと言いつつ高額の支払いをするので、京都にとってはそんなありがたい客はいない。というのも、京都のハイクラスな客層である旦那衆の目は極めて厳しいからだ。「宵越しの金は持たない」とひと晩で散財してしまう江戸の気質と、お金は穢いものとして財布すら持ち歩かない旦那衆とでは、そもそもの立脚点が異なるわけだ。

さらに京都における勘違いを上げれば、例えば薄味とかで画一的に括られるような料理ばかりではないこと。さらにダシが決め手としても、その味わい、香り、うま味すべてにおいて、店主が調味料をどのように使うかとの最終判断はバラバラ。相対的にみれば確かに塩は控えめと思うが、それも習慣や気候風土の問題で京都全体の決まりごとではない。また、祇園の「ユキフラン佐藤」のように、東京の「和幸」で修業をして京都に独立の場を求めた料理人もいて、ぼくが思うには、「京都の料理」と一元化することはかなり困難で、実際は玉石混交なのである。

ただ、東京人の京都信仰もあってか、東京には「京味」に代表されるように京のつく料理店が多い。そしてその料理店のほとんどすべてが京料理ではない。
ぼくが京料理ではないと思う最大の理由は、もちろんきちんと京料理を修めた優れた料理人ながら、東京の人たちに好まれるよう密かに、もしくは堂々とアレンジをしているからだ。

たとえば甘味。京都の場合、塩が強くても弱くても、甘味に対しては一定の基準や申し合わせがあるのではないかと勘ぐるぐらいに安定している。というか、料理の中に出る甘さという味覚は、素材本来のもの以外ほとんど感じさせるつもりもないとさえ思う。いっぽう東京で食べる日本料理には、どこかに甘さを感じるケースが多く、それはきっと関東の人たちがその点を好むからなんだろうなというのが、両方で暮らしたぼくの経験だ。

なので、京都や関西圏で修業をしても実際のマーケットを意識して甘味を加えるなら、初めから東京の地で育まれた日本料理を、きちんと京料理とは違うカテゴリと認識しながら食べる方が愉しいし間違いないと考える。

そして、東京の日本料理だなあとつくづく思う店に、銀座と新宿御苑にて営む「矢部」がある。「矢部」には、新宿御苑の前で、今はお弟子さんの「せお」になっている場所にて開業した最初のころから通っているが、その場所を譲り受けた「せお」をはじめ、西麻布の「豪龍久保」と、大変優れた東京発らしい料理を提供する独立組があるが、今回取り上げるのは「いち太」である。

「いち太」は南青山の奥、どちらかというとアパレルやファッション関係のブティックや会社が集まってそうなエリアにあるが、この界隈にはポツポツと光る飲食店も存在する。メトロの最寄り駅からは少し離れていて、しかも、外苑西通りを下るというロマンチックなアプローチもあり、カップルでぶらぶらと歩きながら訪れるにもふさわしいエリアなので、できればタクシーを使わず、最寄駅から徒歩で訪れたい。

「いち太」は、入口が判別しにくい比較的大きなビルの一角にある。もちろん暖簾もでているが、初めて訪れたときビルを一周してしまった。
店に入ると、いかにも若い料理人がきびきびと働けそうな機能性や効率のよさを秘めたバランスのいいレイアウト。昨今の和食系に見られる画一的な照明やカウンターとは異なり、奥行きと可能性を蓄えた感じが好みだ。

もともと「矢部」の最初の店は大変狭く、狭い厨房に若い衆がひしめき合っていたので、より「いち太」が広く見えるといこともあるだろう。
店主は若く、若々しく、声にも張りがあり歯切れがいい。カウンターなど対面式の料理人には願ってもないキャラクターだ。同業者、客を問わず、先輩にも後輩にも好感を持たれるタイプで、料理が出てくる前にすでにすっかり魅了されていた。

料理人にはもちろん様々な型があるが、店主は常に前向きに攻める派。ひとつひとつ丁寧に料理や食材に対し言葉を費やすことを厭わない。それをよしとするか否か。べらべらしゃべるのは言い訳や自信のなさとも受け止められがちだ。それゆえある程度好みに分かれるとこだが、店主の受け答えはそれをよしとするに足る誠実さと意欲、なにより食材への愛にあふれていた。

前述の「豪龍久保」もそうだが、「いち太」も修業先のテイストを感じさせられる部分はほとんどない。総じて修業先からのブレイクスルーに成功しているからこそ独自性が見つかるのかもしれない。ただ「いち太」は、最後にそばを出す。そのそばのあまりのうまさに驚き唸る。表現はあまりふさわしくないが、今まで食してきた料理のすべてを忘れそうになるぐらいなのだ。

修業先の「矢部」もコース料理の最後にそばを出しランチタイムはそばを中心にした展開である。その点だけは修業先のままを貫く(ランチのそばはやっていないが)。そして自分も、そのこだわりが東京における日本料理の魅力とオリジナリティではないかなと考える。

京料理を想起した場合、最後のご飯に栗や豆などを使用し一番の甘みを感じたりすることも多い。いっぽう、最後をキリッと辛口のそぱでしめる。まして様々に飲み食いしてきた後の麺ののどごしの快感は誰もが頬を緩めることだろう。
それを「いち太」が踏襲した点も、東京で日本料理を営む上でのある種の匂いを嗅ぎ取っているのではないかと感じた。最後の炭水化物はご飯である必要はない。まして、そば打ちに対する見識も技量も一流とあらば。
そば屋でもないのに、あのそばをもう一度食べたい。そんな再訪動機もまた、食べ手にとっては重要なのだ。

「いち太」
●東京都港区南青山3-4-6 AOYAMA346-1F
●03-6455-4023
●17:30〜LO21:00
●日祝休
posted by 伊藤章良 at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする