いとうあきら イベントの企画・運営・演出を本業とするも、無類の食べ歩き好きが高じて“食べ手”の視点で店や料理を紹介。過去の書き手になかった大人の切り口で飲食への愛情を示した。著書に『東京百年レストラン(T〜V)』。

2019年11月01日

(129)フランス・ケゼルスベール「CHAMBARD」

日本でフランス料理を食べたいと思えなくなった
フランス料理の底力を見せた一軒


先月の続き、である。
ぼくは毎年パリまでは行っているが、2019年秋、久しぶりにパリから地方へと向かった。その目的は食ではなく村だ。フランスでは「フランスの最も美しい村」を認定する協会が1982年に設立された。その厳格なルールにそって認められた美しい村が、フランス全土に150以上存在する。人口が2000人以下で、歴史的文化的遺産を持ち、景観を損ねる新たな建造物は許されない。経済発展よりも、遺産を守り観光産業に特化するという村の宣言でもあるようだ。今まで食オンリーだったフランス渡航ながら、ようやく観光らしい観光をすることに決め、パリからアルザス地方の起点となるストラスブールに移動した。ストラスブールから、アルザス一帯に点在する最も美しい村、エーグイスハイム、ユナヴィール、アンスパック、ミッテルベルカイム、リクヴィールといった村々をどのように回るか、そしてそこに息吹くワイナリーのどこに行くか検討を重ねた。

といっても、食についても忘れることはない。前回紹介した「レストラン ラシーヌ」の田中一行シェフに、今年はアルザスを回遊するので、あの辺でどこかおすすめのレストランはないかと聞いていたのである。そこで彼が紹介してくれたのは、ミシュラン二つ星の「シャンバール」という店だった。全く知らない。でも田中シェフの推薦なら、ここは外すわけにはいかない。そのレストンがあるケゼルスベールは、そうとう不便なところだ。そして、フランスの最も美し村には認定されていないが、それに匹敵する素敵な場所のようだ。

アルザスにある最も美しい村巡りの一村に加えたぼくは、さっそく予約を開始。「シャンバール」はオーベルジュ(宿泊施設付きレストラン)だったが、あえてそこには泊まらず、すぐ近くに宿をとった。チェックインの際、今日のディナーはどうするのかとホテルのフロントに聞かれたので、「シャンバール」に行くつもりだと答えると、即座に「予約はしたのか」と。とんでもない田舎にあっても、予約がないと入れないのは想定内だけど、さすがフランス、さすがミシュランガイド。日本のものとは、歴史も価値も目的すら違う。

ホテルフロントに教えられた通り、ほんの100メートル程度のメインストリートを歩き、通りに面した店のドアを開ける。まるで山小屋風の居酒屋だ。そして満席。首を傾けつつ入口に立つ真っ赤なスーツを着た長身の女性に予約の旨を告げると、ああ、それはこっちよと指示。

居酒屋を通り抜けると、突然、鹿の角が天井各所にディスプレイされた広いレセプションに出た。いかにもアルザスのレストランといった感じの、自然とモダンが融合したスペースだ。ダイニングはもちろん、二つ星をきちんとわきまえた、ゴージャスな空間。どこから来たのか、品のいい男女が、すでに多くのテーブルを囲っている。そして、ダイニングに通されて初めて、この店の入口は自分が入ったところとは別にあることに気づいた。

もちろん、事前にこのレストランを検索してみたが、ほとんど情報がなく、まして日本人が書いているものは見当たらなかった。三つ星ではないゆえ、コレクターの餌食にもならず、この辺鄙な地区にて徹頭徹尾アルザスの地方料理を昇華させてきたに違いない。

最近のフランスはどこでもそのようだが、まずは手でつまんでいただくアミューズが出る。続いてフォワグラ。最初からアルザスの名物が登場だ。「冬のアルザスのフォワグラ アルザス地方の菓子ベラベッカのソース 山のチーズ」。
ひとさじ口にして最初に思ったのは、未だかつて食べたことのない特別なおいしさ。時が止まったような気がして陶然となった。信じられないぐらいフレッシュでなめらかなフォワグラにベラベッカ、つまりドライフルーツのソース、そして素朴なチーズ。このシンプルな三位一体がとてつもなく巨大で複雑な味を創り出し、個々が小さく主張しながらも口の中で儚く消える。半分ぐらい食べたとき、もう半分しかないのかと天を仰ぎたくなった。

魚料理は「アルザスの山の岩魚 ザリガニ、エスカルゴと共に パセリのソース」。
サービススタッフは英語でトロートと言ったので、味わいや色も含めておそらくマスだろう。これは特筆すべきことは少ないものの、皿にイクラがちりばめてあり、日本的に言うと親子状態。メニューに記載はないし、フランスでも生の魚卵は食べるのですかと聞いたら、そんなに量は多くないのでとはぐらかされた。

さらなる初体験はメインの鹿。シェフ オリビエ・ナスティ自ら撃ってしとめたものだ。フランスで野性の鹿肉を食べるのは初めて。国内外であらゆる四つ足を口にしてきたつもりでも、そのどの肉とも違う、そしてどの肉からも抜きんでた食感。チープな表現だが、馬肉や牛肉、イノシシ、熊など、獣の赤身の特徴的な部分があちこちから顔をのぞかせているようだ。強烈に大きなナイフがプリセットされたのに、自重だけでもスパンと切れそうなぐらい、引き締まりつつも柔らかい肉質。肉の旨さというより、山の自然の恵みを舌に覚えさせていた。

最初に迎えてくれた真っ赤なスーツの女性は、やはりマダムだった。子供のころ日本に住んだことがあると言い、少しだけ日本語を話した。素朴で自然体な女性でミシュラン二つ星のレストランでは珍しく感じ、同席した妻は、最後まで「あの人がマダムかなあ」と言っていた。ぼくにとっては、料理もマダムも、わざわざこの地まで来なければ決して出会えない稀有な存在として呼応したのだった。

2018年は、たまたまその年の世界のベストレストランでトップだったイタリアはモデナの店に行った。でも帰国後さっそく日本のイタリア料理店にも足は向いた。ところが今回のフランス紀行は、改めてフランス料理の底力を思い知ることとなった。パリで展開されているような、見かけの美しさや驚きだけを皿の上表現した似非日本料理とは違う、地に足の着いた真のフランス料理に何度となく出会った。帰国して一か月、未だに日本でフランス料理を食べたいとは思わない。そして来年もまた、再びフランスの地方をめぐりたいと切に願った。

Le Chambard - Hotel Restaurant Alsace
●9-13 Rue du Général de Gaulle, 68240
Kaysersberg,
●+33 3 89 47 10 17


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2019年10月01日

(128)フランス・ランス「Restaurant Racine」

皿から見えるフランス料理と日本料理のアウフヘーベン。
ランスでさらなる上をめざす日本人シェフ

ぼくは毎年パリには行っているが、2019年秋、8年ぶりぐらいにパリ以外の地方を2週間かけて回った。目的はいろいろとあり、スケジュールを組むのに苦労したが、中でも最大の楽しみは、現地で活躍する日本人シェフに会うことだった。

8年前、フランスのミシュラン三ツ星オーベルジュ「レジス・マルコン」を訪れた時のこと。食事の大半が終わり、そろそろ会計かなと考えていると、サービスから厨房に日本人がいるので紹介しようかと言われた。それは願ってもないお話。登場したのは田中一行さん。彼は、厨房を案内しシェフのレジス・マルコン氏に引き合わせ、自分はガールフレンドの故郷ランスにてレストランを開くつもりだと語り、同じ「レジス・マルコン」で働くフランス人のガールフレンドにも会わせてくれた。「コンニチワ」と日本語で挨拶をした、とても可愛らしい女性だった。オーブンしたら、必ず訪ねるからねと約束し厨房を後にした。

その後田中シェフは、プラン通りランスに結婚した奥様と二人で「レストラン・ラシーヌ」を開き、オープン一年半後にミシュラン一ツ星を獲得。2年前に移転・拡張した。

出会いから8年後、ぼくはようやくランスに渡り、念願だった「レステラン・ラシーヌ」のドアを開いた。もちろん最初に出迎えてくださったのは、あの時厨房にいたフランス人のマダムだ。

エントランスの左側は全面ガラス張りの厨房、ダイニングは木目の格子を使ったりと、どことなく和を意識した落ち着いた内装の中、厨房のよく見える奥の席に通された。もちろんフロアのスタッフはマダムを中止人に全員フランス人だが、厨房は、シェフの他、料理人が4人全員が日本人、厨房の公用語は日本語だ。

料理は筆舌につくしがたく、ぼくの表現力では伝えきれないぐらいにすばらしい。特筆したいのは、今、フランス人のトップシェフたちがもっとも作りたいと切望するが、なかなかその域に到達しないレベルの、フランス料理と日本料理のアウフヘーベンがある。

一番顕著なのが魚の火入れ。限りなく生に近い状態ながら、どの段階で止めるか、その「寸止め」の感覚や技術は日本人、いや田中シェフにしかできない極み。しかも、オマール海老は1分28秒とか、ライトの熱だけで2時間とか、彼の中で最適な時間がきっちり出来上がっている。

加えて、酸の使い方である。自作したビネガーが50種類を越えるというシェフだが、酸、つまりすっぱさも、おお、と嘆息するぐらいの強い踏み込みながら、付け合せに果物を紛れ込ませ、ほのかに甘味で中和させる。その面白さは、過去を思い出しても未だ記憶のない感動だ。

シェフは噛んだ時の音まで考えて食材を組み合わせると語る。そういった地道にコツコツと育んだ要素の一つ一つが、最良の状態で皿にのるのだから、食べる喜びは、まさに日本人としての誇りだ。

二ツ星をとりたいと、シェフは素直に語る。「レジス・マルコン」にいたおかげで、それなりの食材業者とのルートはあるが、二ツ星になると、業者の方からトップクラスの食材を供してもらえるのだそうだ。よりグレードの高い食材を得るために星を獲る。まさに田中シェフらしい言葉だった。

今、「レストラン・ラシーヌ」のフランス人のお客様はわずか4割。それ以外は外国人なのだそうた。ランスという世界に冠たるシャンパーニュの地に買い付けに来るバイヤーがその魅力を知り、一年後の予約をして帰国するという。二ツ星を獲得しこの店のすごさをフランス人が知り始めると、いったいどうなるのか。想像しただけで、今からゾクゾクが止まらない。

田中シェフに、なぜラシーヌという名前にしたのかと聞いたら、根っこという意味なのですが、自分とヨメがその根っこになり大きく育てて行きたいという意味ですと話された。その意図もさすがだか、フランス人の奥様をヨメという九州の男らしい口ぶりが、印象に残った。

Restaurant Racine
●0033 326 35 16 95
●6, place Godinot 51100 Reims
●12:15~13:30、19:15~21:00
●火水休






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2019年09月01日

(127)ハワイ「ハマダ・ゼネラルストア」

ハワイアン・アレンジが効きまくる
滞在中に通うべき朝昼食堂

ハワイリピーター初期の皆さんが確実にハマるレストランの代表が「サイドストリート・イン」である。innとは宿泊施設のことを指すが、ハワイでは食堂を意味し、各所に「〇〇イン」という名のレストランを散見する。いずれもローカルの人たちが朝から夜まで楽しそうに語らい食事をする素敵な場所。「サイドストリート・イン」は、中でも若者や仕事終わりの現地ビジネスマンが深夜まで騒ぐスポットとして認知され、カパフル大通りには、大人数に向けた広いスペースの2号店を出し、本店はさらにリモデルして発展し続ける。

確かにいい店だし勧めることも多いものの、料理がかなり塩辛いのと時間によって安定していないことも何度か経験し、食にこだわる諸氏には、さらに一歩先を行く別の店にお連れすることが増えた。ハワイコンベンションセンター近くにある「ホーム・バー&グリル」である。

この店に初めて入ったのは、10年近く前だったか。無謀にも何の前知識もなく飛び込みで駐車場にクルマを止めドアを開けたら、入口に見たこともないぐらい大きなガードマンが座っていてギョッとし引き返そうかと思った。だが、にこやかに通してくれたいい奴で、「ホーム・バー&グリル」の料理を堪能できた。確かにおいしいのは、それもそのはず。後になって、この店のシェフはハワイ随一と言われるレストラン「アラン・ウォンズ」出身だと分かったのである。それゆえか、オーナーシェフのアラン・ウォン氏も時折訪れると聞いた。

大変気に入って、その後も様々な友人を連れて訪問したが、ある時、全員のIDを見せろと言われたりと不穏な雰囲気も感じているうち、2019年、突然閉店したことを前を通って知った。連日満席で、決して経営的に苦労していた気配はないので、衝撃は大きかったし、未だその真相も判明してない。

しかし、朗報もゲットしていた。「ホーム・バー&グリル」のシェフが、新たな食堂の厨房に立っているというのである。しかもその店の名が「ハマダ・ゼネラルストア」。おや、インではなくストアなのか。

もちろんスーパーマーケットの総菜売り場ではない。
Amazonが経営する高級スーパー「ホール・フーズ」が新しくでき、ますます賑わいを見せるワード地区。しかも「ホール・フーズ」からもほど近い場所に、その食堂は完成していた。というか、ぼくが訪れた際はまだ看板もついておらず、ここが「ハマダ・ゼネラルストア」と知らなければ、気づかず素通りしてしまうだろう。

しかし、道路から少し奥まった場所にある建物内を全面改装し駐車スペースも十分。単なる食堂とは思えない広くて最新の厨房を目の当たりにしたら、この店は只者ではないと気づく。スタッフの数も十分だ。看板はないが、店内にはすでにオリジナルデザインのTシャツも販売されていて、外観が整うのも時間の問題だろう。

「ハマダ・ゼネラルストア」が完全な食堂運営なのは、営業時間が午前7時〜午後2時まで(2019年夏現在)。間違いなく人気が出ると思うので、この時間帯は変更を余儀なくされる可能性もある。この時間を見る限り、「ホーム・バー&グリル」が閉店したのは、シェフが深夜まで仕事をしたくなかったというのが真相かもれない。

メニューは、サンドイッチ、プレート、サイドデッシュ、オミヤゲとある。
キムチやネギなどの扱いがとても巧みだった往年の「ホーム・バー&グリル」を彷彿とさせる垂涎ものもちらほら。「キムチ・ステーキ」や「ネギトロポキボール」「カツカレー・モコ」「ワフー・ハンバーグ」など。どれもこれも、いかにもなハワイアレンジが利きまくってそうで、メニューを見ているだけで楽しい。

実際に食すと、明らかに普通の食堂とは違う「冴え」を感じるおいしさ。フォークの動きが止まらなかった。しかも、ソースやドレッシング、普通に炒めた感じの玉ねぎ等にも奥深い工夫があった。これはもう、滞在中に一度は通うべき。さらには、ハワイ最終日にこちらでテイクアウトして空港に行くという試みも毎回となりそうだ。

さて、さすがにハワイの物価は高く、「ハマダ・ゼネラルストア」のメニューも主なものは15ドルを越える。一回のランチに2000円近く使う計算だ。量はハワイサイズだけど、おいしいしいろいろ食べたいので、2人で分けるという選択肢はない。ここは旅行先ゆえの贅沢ランチで財布の紐を緩めていただきたい。

観光客としてもそこそこ高く感じるのに、ハワイの民は裕福そうには見えない庶民的な方々も、こういった高額ランチを普通に楽しそうに食べている。
金銭感覚が違うのかなとハワイ在住の日本人に話したら、ハワイは衣食住のうち「衣」にほとんど金がかからないので、意外と大丈夫なのだそう。なるほど。


「Hamada General Store」
●(808) 379-199
●885 Queen St Honolulu, HI 96813
●日休
posted by 伊藤章良 at 17:21| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月01日

(126)表参道「GOSU」

美辞麗句は必要なし。
ただ純粋に、すぐれた店



一回の食事に費やすお金の価値が、本当に分からなくなってきている。
コストパフォーマンスという和製英語が食事の価格にも普通に使われ、コスパやCPがいいね、みたいな会話も日常。ところが、なにをもってコスパがいいのかと突っ込んでも、そこから明確な回答は得られない。それは単純に、コスパの意味が分からないからだ。
元々の価値の良しあしを、自分の舌ではなく情報のみに頼っている現状では、判断もつきにくいし、判断力も醸成されない。
ぼく個人は、飲食でいうコスパは、情報に影響されない満足度対価格比であってほしいし、著名なシェフの料理だから、あの漁師が獲った魚だからみたいな前提は、本来のコスパには不要なのだ。

ぼくは、中村悌二氏率いる飲食グループ「フェアグランド」の店舗が、東京で最もコスパ(情報に影響されない満足度対価格比)のいいレストランだと思っている。
ここを巣立った面々は、「高太郎」「バール・ボツサ」「酒井商会」「の元」など、各所で人気を博しているし、代表の中村悌二さんを中心に開いていたスクール出身者を合わせるとさらに数えきれない。
中村悌二さんは、どんどん独立をしてくれればいい、独立店が人気になれば、どこの出身かと必ず辿られ、ひいてはうちのグループ全体にもいい影響かあるんだよと語っている。
そんな「フェアグランド」の中から、今回は、表参道の「GOSU」を、紹介したい。
グループでも、唯一洋風の打ち出しをしている店かと思う。

「GOSU」の満足度は、とにかく総合的に優れた点だ。
もはや大多数のレストランが、「総合的にいい」を目指さなくなった。著名なシェフの元で修業した料理人、現地でワイン造りまで体験したソムリエ、海外のホテルまで手掛ける有名デザイナーの内装、生産者を回って見つけた、有機農家の〇〇さんから直接仕入れた野菜。
最近では当たり前すぎるこれらの美辞麗句は、どこまでが本当の、といえば失礼だが、語れる価値のある内容か。もっと問うなら、どこまで客がその差に気づき、興じることができるかだ。
それはたぶん、他人を誘うとき、そこに様々な尾ひれがあれば箔がつくし、相手にも興味を持ってもらいやすいのは確かだが

「GOSU」は、もしかしたらスペックで食べているひとには響かないかもしれな。いっぼう、どんなシチュエーション、どんな相手とでも、決して失敗することはない。さらに、支払いの談になれば、相当感謝されるはずだ。それこそが、総合力なのだ。
国道246号から少し奥まったビルの地下。数軒の飲食店が並ぶエリアだが、店内ではそれを感じさせる気配はなく、完全な「GOSU」の世界観に引き込まれる。それはまず、スタッフの客に対する姿勢と統一感だろう。気持ちがいい、の一言だ。さほど広いダイニングではないが、席間やレイアウトがゆったりしているのも、功を奏している。

「GOSU」の料理を伝えるのは少し難しい。言葉を選ばないと、単なる創作料理の類に見えてしまう。メニューを見ると、どれもすべて食べて観たくなるほど全方位的で食材も多岐に渡る。餃子もパスタも肉団子もあり、それらは想像や期待の常に上をいく。中華の定番マコモタケを肉巻きにして使う。うにのフリットにも驚かされた。いずれも申し分なくうまい。しかも、愛情の注がれた調理を感じ、サービスとの連携の妙も加わってくる。
さらにうれしいのは酒、特にワインだ。安価で良質な、しかも店の料理との相性も寝られたワインを世界中から探してきてリスト化している。グラスワインの種類も豊富だし飲み放題まである。
しかも、料理もワインも、それを客に伝えるグラフィックの使い方が巧みで美しい。とても理解しやすく、随所に興味をそそり、自然と指を差してしまう。それが、総合力のなせる技なのだ。

「GOSU」は、食べログでもぐるなびでも、ダイニングバーとなっている。つまり情報先行型の有象無象には、選択肢として響かないだろう。だからこそ、ずば抜けて客層がいい。
様々に研鑽を積み、試行錯誤も繰り返し、一周回ってこの位置まで来た。
知り尽くした大人が原点に戻って求める場所、そんな印象だ。ここは、もしかしたら最も先端を走るレストランなのではないか。そんな想いを巡らせながら、店を後にした。

GOSU
●03-6450-5339
●東京都渋谷区神宮前5-51-8 ラ・ポルト青山B1F
●月〜金、祝前日: 18:00〜翌0:00 (料理LO.23:00 ドリンクLO.23:00)
土、祝日: 17:00〜23:00 (料理LO.22:00 ドリンクLO22:00)
●日休
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2019年07月01日

(125)熱海「THE HIRAMATSU HOTELS&RESORTS 熱海」

高級レストランの世界的グループが仕掛ける
日仏融合の大人の遊び場


ソムリエとは、大人の日本人ならたいていその職業が分かるほどポピュラーだが、アメリカ人など英語を母国語とする人たちはほとんど知らない。オーベルジュとなるとさらに特殊で英語圏では全く通じないが、意外と日本人には理解されやすい。
オーベルジュとは、フランスにある宿泊施設付きレストランのこと。温泉旅館同様一泊二食付き。食事と宿泊が込みの料金で、飲んだお酒のみ別払いとなるのが通例だ。

フランスの著名なオーベルシュをいくつか訪問したが、パリなどで高級レストランを利用するときとは圧倒的な違いが一点ある。それは、ダイニングの座席が利用宿泊施設のランク順に、きちんと割り振られることだ。
パリの高級フランス料理店なら、確実に、アジア・中近東エリアの席に通される。料理の内容は別として、パリで食事をしているという臨場感も高揚感も、そこには生まれない。
一度、パリでぼくの通訳をしてくれている友人に頼んで、ネイティブのフランス語で「ランブロワジー」を予約してもらったら、アジア人席をスルーして奥のフランス人席に通された。パリでのレストランの予約は、ネイティプフランス人に頼むしかないなと納得した記憶が残っている。

日本でも、オーベルジュは早々に全国各地で生まれると期待をしたものの、オーベルジュと名乗りながらもペンションの延長だったり、ホテルの付け足しだったりと、料理のクオリティが伴わなかった。

そこで、やっとというか流石と唸るか、高級飲食店展開では世界唯一の一部上場企業としても過言ではない「ひらまつグループ」が、その事業に乗り出した。レストランにある程度成功を収めると、次に宿泊施設、そして学校と拡大するのは多くの飲食店運営会社を見ていると同様の流れがあるが、ひらまつグループは、日本という風土の持つ慣習や肌感覚を壊すことなく、いや、それを大胆に活用し、世界を視野に入れて日本的オーベルジュを、全国各地に作り始めた。

今回取り上げるのは「THE HIRAMATSU HOTELS&RESORTS 熱海」。ホテルズ・アンド・リゾーツでは、世界中の観光地にある大型施設の印象が強く、せっかく作ろうとしている日本的オーベルジュに逆行するような気がして少し残念に感じる。

気分を取り直し、熱海の駅からタクシーで向かう。タクシードライバーは「ひらまつ」というだけで場所を熟知しており、熱海城の上ですよと説明がある。まさに城へ攻め込まれないように作られた、迷路のようなヘアピンカーブを登り、高級和風旅館の趣もある玄関に止まった。
数人の男女スタッフが駆け出して出迎え、荷物を取る。フランスにはない和のもてなしが心地よい。個人の別荘だった純和風の物件を買い受け、そこに洋風の宿泊施設を建て回して完成させたと説明を受ける。なんとも奥ゆかしい建物だ。

もちろん和風の建物ゆえ、玄関と三和土(たたき)がある。そして意外にも靴を脱いで上がるのだ。それ以降施設を辞するまで靴を預け、館内は極上のスリッパで移動。オーベルジュと思い、ドレスアップを考えてきた女性などは相当の肩透かしではないか。ところが、元来室内では裸足で生活するDNAを持つ民族。時が経つにつれ、スリッパで過ごし、スリッパでフランス料理を食べる贅沢な寛ぎは、ここだけの体験だと高揚する。

エントランスでも度肝を抜かれたが、客室はさらに和洋折衷の極みである。ドアを開けてすぐ、部屋の半分は最高クラスのベッドルーム。ホテル客室のベッドカバーは靴のままベッドに上がった際、シーツが汚れないためにあるものだが、ここではすでに不要だ。
客室の真ん中に、部屋全体を間仕切るスライドドアがあり、そのドアを開けはなんと、ど真ん中に風呂、左右に洗面台、奥にシャワールーム。そして全面がガラス張りの巨大な窓。体がしっかり伸ばせる広い湯船には、熱海の温泉が引かれ、24時間、温度も42度に保たれている。

窓からのぞむ相模湾には、海へと視界を遮るものは一切なく、道路や民家も遥か遠くかすかに見える程度。もちろん車の音など全く聞こえない静謐な場。ここまで完璧なプライベート空間が日本の中で実現すること自体、ここは日本なのかと錯覚する。

ディナーは、ふたたび玄関のある日本家屋へと移動し、地元の食材を中心としたフランス料理を堪能。ザ・フランス料理の食材には頼らない、工夫や切り崩しが随所に見えて勢いがある。また、この環境からの和食寄りや流行りのイノベイティブなアプローチには頼らない決意が、美味しさをさらに確実なものにする。。

人生初、スリッパでのディナーに勝るとも劣らないのが、ひらまつ流というか、ひらまつの真骨頂であるサービスだ。料理やワインを何倍にも美味しく感じさせる彼ら彼女らの笑顔、そつのない動き。と、ここまでは市中のレストランにも見られるが、さらに加わるのが、客個人の個性やテーブル内の関係性、求める情報などによって、きちんと過不足なく応対できる柔軟性だろうか。

東京・品川からなら、ほんの30分。予約の取れない寿司店で信じられない高額を支払う客が絶えない東京のグルメ事情。熱海のこんな隠れ家に、どうして目が向かないのかと、日本人はつくづくお金の使い方が下手な人種だと悲しくなる。
優雅で豊かな遊びとは、こんな場所にこもってゆったりと時間を費やすことに他ならない。なお、一人でもこちらの施設は利用できる。

THE HIRAMATSU HOTELS&RESORTS 熱海
●静岡県熱海市熱海1993−237
●0557-52-3301

posted by 伊藤章良 at 18:10| Comment(0) | フランス料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月01日

(124)「鮨みうら」

うんざりする鮨店の現況に
ひと筋の光を見せる

昨今の若い新しい鮨店、具体的に言えば、東麻布「天本」以降。相当数が新たにオープンし「天本」を筆頭に、客が指をくわえて待つ状態になっている。何度も書いているけど、超高額の支払いさえすれば、自分でメニューを考える必要はなく、ひたすら写真を撮ってブロイラーのごとく食べ、予約の取れない席に陣取る自己に陶酔できる。
しかしぼくにとって、「天本」以降にすばらしいなあと感じた新規オープンの店は皆無だ。その理由は三点。

1.あまりにも高額なこと。比較対象としてふさわしいかどうかだが、鮨よりipadの方が安いのだ。

2.日本料理の素養や経験がないのにツマミを色々と出すので、料理の流れや緩急が考慮できていない。ある店のツマミの最初の方でアワビのキモが出された。キモ自体は上質で苦味も際立っていたが、味が強すぎて、ずっと口の中に残り、その後の繊細な魚はほとんどキモの中に消えた。

3.にぎりがユルい。上質の魚は金さえ出せば手に入るが(それを客に転嫁しても文句を言う客はいないが)、握る技術は、やはりそこに年季が必要なことを知る。

あと、どの店もみんな同じようなライティングと内装(笑)というのもあるが、ほぼすべて上記の3点に集約されている。であれば、3点がクリアできる店が現れれば及第点を越えると思うのだが、なかなか出てこない。

そこに一筋の僥倖と巡り合った。麻布十番「鮨みうら」である。
ぼくが日ごろから大好きな、百年続いてほしいと願う数軒をのぞけば、久しぶりに支払いを終わった後も満足感が長く続いたのだった。

「鮨みうら」は、麻布十番の好位置にあるものの、かなり怪しげなビルである。エレベーターまでの廊下に絵画が飾ってあり、ビル内の他のフロアも会員制の文字が目立つ。訪れた日が休日だったので事なきを得たが、平日ならば、エレベーターのドアが開くたびドギマギしたかもしれない。

しかし店のしつらえは、がらりと印象を変える。きちんとエントランスと化粧室、ダイニングが切り分けられ、客が快適に過ごせるレイアウト。店主の眼が行き届くL字カウンター8席。

「鮨みうら」の店主三浦健太さんは、もともと鮨店を開きたくてこの業界に入ったが、考えがあって長く日本料理店でも務められたそうだ(といっても、日本料理店の鮨部門のようだが)。つまり、つまみ半分にぎり半分の今のおまかせコースでは、きちんとした日本料理の技術が必要と理解していたに違いない。
(ただ、それが正しいと言いたいわけではなく、煮炊きしたものをつまみで出さない鮨店なら、その限りではない)

さすがに「鮨みうら」でのつまみは、きちんと流れを考えて構成され、優しく緩やかにスタートする。三浦さんはお酒もお好きなようで、酒の進むつまみも織り込まれるが、決して突出するわけではなく、にぎりへのアプローチを考慮した上り坂を巧に組み立てている。

にぎりは、「鮨なんば」で務めたということからも想像がつくように、酢飯の温度が高い。特に最初に出されたイカを口にしたとき、エッと思った。「鮨なんば」ほどではないが、三浦さんもタネに応じて酢飯の温度は意識していると説明する通り、最初の驚きからは、進につれ慣れるというかなじんでくる感覚だ。酢の加減や酢飯の切り方は好みなので、なじめば抵抗はなかった。

特筆すべきことではないのかもしれないが、三浦さんの包丁さばきには注目してほしい。基本サウスポーなのに、料理人は包丁を右手で使うべきと強制的に直したという。ゆえ、箸を左手に包丁を右手に、つまり両手で持ち、実に器用にまな板の上で動かす。というか、両手を使って仕事をするなら、おそらく日本一効率的で早い職人ではないかなと思う。

お酒、特に日本酒の揃えも見事だ。自らお酒か大好きと言うだけのことはある。好みの地酒がつらつらと並び、どうしても飲みすぎてしまう。しかしながら、おまかせで十分すぎる量をいただき巻物を追加しても、ipad半分くらいの納得価格である。

オープン間もないのに、昨今の超高額店に流れる、ある種の「イキリ」のような空気は感じられず、不思議と終始リラックスしながら時を過ごせる。それは店主三浦さんの風貌にもあるのかなあと思い出し、また訪れたくなった。

「鮨みうら」
●東京都港区麻布十番2丁目12−2−4
● 03-3457-5777
●18:00〜/20:30〜
●定休日は店に確認のこと
posted by 伊藤章良 at 23:09| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月01日

(123)神宮前「樋口」

料理に、サービスに、空間に。
スジの通ったもてなしの哲学


ぼくが神宮前の日本料理店「樋口」を訪れたのは、すでに15年以上前のことと記憶する。店主の樋口一人さんは、とても素敵な女将さんと都心のど真ん中ながら当時は周りにほとんど飲食店がない、いや、ショップも何もない静かなエリアだった。

女将さんがしばらく休んでおられる時期があり、一時はオペレーション的にも少々ギクシャクすることもあったが、多くの若い料理人夫妻が模範とすべきそんな受難も乗り越え安定の時代に入った。

2年ほど前に、3カ月休んで店内を大改装し厨房の位置が今までと逆になった。その休暇期間を無駄に過ごしておられない証左が、今である。雑念のないご自身の境地に入られた、というか進むべき方向が未来が、キッチリ定まったと感じるのだ。

住所は神宮前だが、場所はどの駅からも遠い。しかしそのアプローチがすばらしい。静かな道を今夜の料理に思いを馳せながらてくてくと歩く時間も、かけがえのないディナーの愉しみだ。行き慣れていても、注意しないと見落としてしまうエントランスは、リニューアル後さらに格調高く、そして控えめになったような気がする。

改装後も以前の細長い店内の雰囲気は変わらないが、アプローチから優れた日本文化の一角を見せる。落ち着きと飾らない気高さ。カウンターに座ると、店主の積年の願いが詰まった厨房がコンパクトにまとまっている。そして天井のしつらえが美しい。何度も何度も上を見上げていた。

ぼくは西で生まれ育ち、その後同じ年月を東でも暮らしているので、自分の中で東の料理、西の料理と、なんとなく線引きをしていて、今や東西いずれも甲乙付けがたい。でも、中途半端というか線引きできない京風料理と東京で出会うこともあり、寂しく感じている。

その点「樋口」は違う。東京の客に迎合することなく、素材の持つ表情に徹したストイックな塩加減。店主の樋口さんは生粋の東京の方と聞いているが、まさに日本人がフランス人以上のフランス料理を作るのに等しい気がする。
素材の扱いも、最良の部分だけを入念に吟味していることが分かる。それは自分が使う調味料や決めたダシの味と食材がきちんと寄り添うための重要な仕事なのだ。

最後の食事として、オープン当初からご飯に次いで蕎麦も提供される。その点が東京らしい主張だが、もちろんその蕎麦は江戸前老舗蕎麦とは異なる、コース料理の最後にふさわしい爽やかな喉越しだ。

「樋口」が最大に心地よい点をもう一つ。カウンターでは写真を撮らせないところだろう。カウンターに座るやいなやスマホを出して置く人は多いが、他の客と共有する一本のカウンターに個人の電話を置きっ放しにするのはマナーに反する。写真NGにすれば客はスマホをカウンターに置かない。耳障りなシャッター音も聞こえてこない。もっといえば、料理をいただくより料理写真を撮る方が重要な面々は、食べログ4点以上でも来店しない。
よって「樋口」の客層は静かな大人ばかり。居心地がよく快適で、食事や同席者、店の方々との会話に没頭できる。この店に貫かれた一筋の哲学がここにも感じられるのだ。

店を辞する際、見送りに立たれたご主人と女将さんお二人の姿は日本人形のように美しかった。このお人柄がお店の全てを制するのだと改めて理解した。

本当に、他店も見習ってほしいと切に願う。

「樋口」
●東京都渋谷区神宮前2-19-12
●03-3402-7038
●18:00〜21:00(LO)
●日、祝休
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2019年04月01日

(122)大阪「福助」

名物は白身魚の鍋。西の焼き肉タウン
鶴橋に君臨する老舗高級割烹


ぼくは、プロフィール上大阪生まれとしているが、大阪での生活は昭和までで平成ととも東京在住となった。つまり大学生や新入社員レベルの収入で行ける店しか引き出しはなく、多くは稼げるようになってからの後追いである。

もちろん大阪に実家があり、大阪・京都は地理的にも熟知しているので、それなりのアドバンテージはあるものの、未だに大阪や京都の奥深さを知らされることが多く、驚き震え、ある意味誇らしくもある。

この「深さ」なる概念は、関西の芸人やSNSでディープ大阪みたいなくくり方をされる店とは意味が異なる。歴史や伝統、確かな技術力に裏打ちされた、もっといえば淘汰される中で培われた強さだ。

40以上前から続く大阪・鶴橋の「福助」は、その一軒だろう。
鶴橋といえば、すっかり焼肉タウンだ。駅を降りた瞬間から焼肉の匂い漂う、それが嘘ではない場所である。そんな鶴橋の駅を出た瞬間に、日本料理「福助」の小さな間口がある。そしてここは、魚介専門の、しかも魚介を鍋で食べさせる「ショット鍋」なる料理がメインの店なのだ。

店舗は、奥に長くカウンターが伸び、各所でコンロと鍋があらかじめセットされていて、ぼくも、鍋を挟んで同席の友人と座った。もちろん鶴橋の雑踏とは異次元の格調ある高級割烹だ。二階は広いお座敷で、もうすぐ半世紀を迎える店らしく、さまざまな過去の需要に応えてきた逞しさも感じる。

店の看板にもイラストが描かれているように、冬の時期は当たり前にふぐが出る。座るとまず、とびきりうまいてっさ(ふぐさし)の洗礼からスタート。
ショット鍋は、すべて大将はじめ店のスタッフが調理をする。基本は、煮立った鍋に一種類ずつ魚介や野菜などの食材を入れ、絶妙のタイミングでそれを取り出して、塩、もしくはポン酢で食べる。
ショットとは、ゴルフ、銃、お酒など、さまざまに使われるが、料理人が次々に食材を投入するさまを分かりやすく表現したと想像する。

ぼくは常日頃、焼肉や鍋料理など、客側に調理を任せてしまうスタイルを好まない。であれば家で作ればいいと単純に考えてしまう。いい食材とタレを買ってくれば、家庭でも十分に楽しめるからだ。
「福助」のショット鍋は、その考えをすっかり改めることとなった。ふぐ、ふぐの白子、サワラ、キンメダイ、キンキ、クエ……。高級白身魚が、鍋料理ではありえないレベルの分厚い切身でショットされていく。ここまで厚いと、ちょうど火が入る最高においしいタイミングがいつなのか、素人には見当もつかない。もちろん生でも食べられる鮮度だろう。ただ、茹でることで生まれる独特のあま味、魚それぞれの微妙な香りや違いを感じる愉しさは、プロに委ねなければ体験できない。実際、百貨店でふぐの白子を買って鍋に入れたこともあったが、どのタイミングで食べたらいいか迷っているうちに溶けてしまった苦い思い出もある。

タレは、塩とポン酢が中心。魚によってどれを選ぶか、場合によっては何もつけないでと大将からアドバイスがある。後半にはウスターソースが追加。これまた大阪らしい。アジフライの感覚で魚の種類によっては合うそうだ。高級魚をウスターソースで食べるのは初だが、目からウロコとはまさにここに使うべき言葉。

箸休め、と言うには失礼なほど、きんぴら、もずく、へしこ、漬物と、口を洗いリニューアルするに最適な品々が止めどなくカウンターに並ぶ。さらに、のどぐろのつけ焼きといった焼き物も加わる。

マグロマグロと新年早々からの豊洲の喧騒とは別次元な、白身魚のオンパレード。これこそが西だ。ここまで白身魚の食べ比べを愉しみ、魚料理の神髄に浸ったところで、最後に最高級の牛肉を一枚だけ、というアイデアも痛快だ。
このショット鍋、冬場だけではなく一年を通じて提供される。暑い時期はハモや松茸といった趣向らしい。その徹底ぶりも潔い。

日本酒もレアすぎる品ぞろえだった。飲んだうち、半分は知らない銘柄、そしてもう半分も知ってはいるが、その蔵にて限定出荷されている日常は見かけない代物。しかし、すべての酒が、香りや味に特出するまでの強いベクトルはなく、すべてが白見魚の繊細さに寄り添う儚い味わいだった。

ぼくが訪れた日、大阪北新地で最も老舗クラブのママが、プライベートで来ていて、大将と普通に比良山荘の話をしていた。
大将もママも、齢70代。やはり大阪は深い。

福助
●大阪府大阪市天王寺区下味原町1-23
●06-6771-8473
●17:00〜23:00
●月休
posted by 伊藤章良 at 22:00| Comment(0) | 日本料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月01日

(121)白金台「ラソスタ」

料理人とソムリエールとのコミュニケーションから
生まれる抜群のマッチングと心地よさ


高級な西洋料理店のダイニングでは、アルコール類の仕入れからサービスまでを担当するソムリエという職業が定着した。
日本における長いワインの歴史の中で、田崎真也氏を世界最高ソムリエになり、キャリアとしてのソムリエがレストランに不可欠との認識を脈々と作り上げてきた。
英語圏の人間に対しソムリエと言っても、レストラン関係者以外には通じないが、日本では、飲食に関係なく大抵の人がその意味を理解するぐらい、すごいことである。

ところが昨今、ペアリングと呼ばれる便利で無精なシステムが台頭し、料理のメニューが出来上がったときにワインをセレクトすれば、ソムリエが常時ダイニングにいなくても足りうる事態となった。悲しいことにその多くは、専門家としてのソムリエが本当に考えているのだろうかと首をかしげるぐらいミスマッチなことも多い。さらに先月書いたように、ワンオペの高級一膳飯屋では、料理人がワインのセレクトから提供までやってしまう。料理担当の好みに合わせているだけに、それで十分な場合も多く、さらにレストランからソムリエの存在価値が薄れていく。

ただ、そんな現象を嘆く以前に、そもそもソムリエは、ワインのセレクトやマリアージュを考えるより先に酒の飲まし手であり、その役割をおろそかにしているのも価値を失う理由の一つではないかと考える。
飲まし手とはつまり、端的に的を射る説明やオススメで心地よくグラスを空け、さらに、もう一杯もう一杯と、香りや味わい、アルコール度数の変化で違和感なく杯を重ねてしまう。そんな酒飲みの懐に飛び込むサービスであろう。

そこで今回は、ソムリエの職業を全うする、飲まし手として優れた技量を持つソムリエール(女性)のいるイタリア料理店を紹介しよう。「ラソスタ」という。

「ラソスタ」は白金台。プラチナ通りから一本目黒側に寄った細い道。以前は建築設計事務所だったと聞く瀟洒な建物の地下。小さなダイニングスペースながら、素敵な調度品が過不足なく目を楽しませ、ソムリエ兼サービスを担当する女性が襟を正して出迎える。

ソムリエの話ばかりが先行したが、実は「ラソスタ」のシェフ武田正宏さんの経歴は筋金入りである。日高良実シェフ、濱崎龍一シェフを輩出した「リストランテ山崎」で修業後イタリアに渡り6年。戻って「リストランテ山崎」の5代目料理長を務めた。

料理のアイテム一つ一つはイタリアっぽい輪郭のはっきりしたテイストながら、前菜の盛付けは、日本料理の八寸のように多彩で鮮やか。小田原の海の近くでもシェフの経験があるそうで、魚に対する突っ込み具合が半端ない。力のある素材をチョイスするのは言うまでもないが、皿の上に凝縮させるというよりは、のびのびと皿で泳がせて、食べたときの客の感性が加わって完結するような構成を見る

さらに特筆すべきは柔軟性だろうか。
当初ソムリエが代わったとの一報を受けて訪問。あれこれと新しいソムリエールと料理についても会話し2か月後に再訪すると、料理が見事に変貌を遂げ硬質な輪郭の中に優しさや繊細さが見え隠れした。
それは、料理人とソムリエールとの密なコミュニケーション、つまり客の声をソムリエールが理解し厨房に的確に届けている証だ。当たり前のようで、それができておらず失望するケースは後を絶たないものだ。

飲まし手ソムリエには、飲ませるためにどんな料理を客が欲しているかという情報も、併せて厨房に伝える仕事が必須だと思う。2か月でその片鱗を見せた点にも、新任ソムリエールの潜在能力に触れた気がした。

今日は心の底から美味しく愉しく酔いたい、そんな方々には貴重な一軒となるだろう。

「La Sosta(ラソスタ)」
●東京都港区白金台5-13-14-B1
●03-3447-8934
●水休・その他に月1回
posted by 伊藤章良 at 20:47| Comment(0) | イタリア料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月01日

(120)恵比寿「イル・バロンドーロ」

料理とサービスのペアリングが
resutaurantの存在意義を再認識させてくれる

西麻布に「ペレグリーノ」というイタリア料理店があった。
良質な生ハムを常備、ベーシックなメニューもおいしく、なによりいつでも予約が取れた。もう少し混んでもいいのにねと、そんな会話を友人と交わした記憶がある。
その「ペレグリーノ」のシェフ、高橋隼人さんは近所に移転した。スタッフを減らし、極端に席数を減らし、休みを増やし、客単価を大幅に上げた。そして予約がとれない店となった。これだけが理由ではないだろうが、結果、食べログ東京イタリア料理部門一位になる。高級食材を多用できる環境ゆえ出すものは変わるだろうけど、作っている人は同じだ。この現象、驚きを通り越して、違和感しかない。

もう一点、亀戸「メゼババ」の登場によって、客はどんなに虐げられ、劣悪な環境でも、おいしい料理をいただくためなら、辛抱強く待ち、言われた金額を素直に払うことに慣れてしまった。
「メゼババ」のシェフ高山大さんは、お店以外の場所で会うと、とても腰の低い好青年である。ただ、彼の流儀で店では威厳を崩さず高圧的だ。客がまだかまだかと料理を待っていても悠然と洗い物をしている。
客にへりくだるより、そんな態度をとる方がよほどキツイと思うが、高山シェフは流儀を貫いた。結果、客のほうがマゾヒスティックに耐え忍ぶことを覚え、「メゼババ」での高額支払い告白までが横行するようになった。

上記の二例はシェフ批判ではない。いずれも、シェフご自身の信念のもとに、考えたこと決めたことをやっているだけ。他人の評価ばかりを気にして自分で良し悪しの判断ができない、というか、しようとしない客側に問題がある。
そして、こんなビジネスモデルが拡大するなら、人を雇わなくても劣悪なダイニング環境でもタップリ稼げるなら、世の中からレストランは激減し、どんどん「高額一膳飯屋」ばかりが増える。あまりにも寂しくて悲しい現状が今である。

2018年晩秋、恵比寿にオープンした「イル・バロンドーロ」のシェフ、岩田正記さんは、いらっしゃいませの代わりに「ボナ・セーラ」と叫ぶボナセラ系イタリアンとして一時代を席巻した「イル・ボッカローネ」出身。恵比寿のこの店で19年勤め、恵比寿しか知らないので恵比寿で独立しましたと語るように、白金へと続くバス通りの裏道でひそかにオープンした。同じ通りのほんの50m間に、すでにイタリア料理店が2軒。さらに2018年暮れ、もともと居酒屋だった広い店舗がイタリアンになり、今だに恵比寿はイタリア料理店の激戦区だ。

入口から右側にカウンター席があり、ここはバー使いもできる。奥にもカウンターとテーブルがある細長い構造だ。こぢんまりとしているが、待合的なエントランスのバーの造りなど意外と機能的でモダンなレイアウト。

テーブルについてメニューを見ながら検討していると、長身の男性がスムーズかつにこやかに会話の中に入ってくる。料理もワインも当然だが、イタリアという国自体に造詣が深くネタは尽きることがない。ぼくはシェフのお顔を知らなかったので、あれ、この方がシェフで厨房にいるのはアシスタントかなと、普通に感じたぐらい。もっと席数の多いリストランテでも十分に支配人としてやっていける力量だ。こんなサービス担当が一緒にやっていこうと決めたシェフなら、きっと間違いはない。

感じた通り、シェフはしなやかなのに手堅く、しかも早い。職人として圧倒的だ。オーソドックスなメニューの数々だが、そこにスキがなく見た目以上のおいしさが詰まっている。イタリア料理は、やっぱりこうじゃなくっちゃとぼくの体が叫んでいる。料理がシンプルゆえか余計なことを考えずに済み、胃腸だけではなく頭も疲れない。食べ終わって店を辞して初めて、なんでこんなにおいしかったのか楽しかったのかと改めて振り返るぐらい、食べること飲むことにのめり込んでいた。
それがシェフやサービスの「キャリア」なのだろう。そして、restaurantの語源である回復するための場所にふさわしい存在感である。

もともと外食の場所は、キッチンから料理係が運んできた大皿料理を大テーブルにドンと載せ、それぞれに腰かけた赤の他人が自分の分だけ取り分けて食べていた。それではあまりにもプライバシーがなかろうと、テーブルを小さく分け個々で使えるようにし、そこに給仕係が生まれ、今のカタチのレストランとして発展した。

外食形態は多様であるから面白いし、ぼくもそれを愉しむ一人である。でも、ある種の後退ともいうべき一膳飯屋化する料理店より、restaurantに一軒でも多く通って、その努力を応援したいと思う。

「イル・バロンドーロ」
●東京都渋谷区恵比寿1丁目24−10 アリエス恵比寿ビル 1F
●03-5422-8977
●18時〜26時
posted by 伊藤章良 at 09:22| Comment(0) | イタリア料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする